1985年 同い年の・・・
1985年4月1日、フジテレビで「夕やけニャンニャン」(月~金、夕方5時)という番組が始まった。
リスペクトしているミュージシャン土屋昌巳と、当時カリスマと自称していたとんねるずが出ていたので、信者の私はもちろん見ていた。
斉藤由貴が司会だった特番「オールナイトフジ女子高生スペシャル」の流れで、おニャン子クラブとやらは現役女子高生中心。男子中高生をメインターゲットにしているから仕方ないのだが、二十歳前で、ターゲットからちょっとズレている私は、「このムーブメントにノれるだろうか?」とも思っていた。
が、蓋を開けてみると、いるじゃないか、最年長・同い年、エントリーNo.1 昭和40年6月20日生まれ 河合その子(19歳)。オーディションのコーナー「ザ・スカウト アイドルを探せ」に、同い年とは思えない人形のような女の子が出ていた。
「こんなカオスな番組はすぐ打ち切りになるかもしれないぞ」と思いながらも、同い年のこの子は(その子だけど)応援しなければならんとなにやら謎の義務感が湧いた。
カオスな番組と言ったのは、最初のうち、各コーナーが何の脈絡もなく、出演者の系統もバラバラだったから。
「オールナイトフジ」を見ていたのでハチャメチャな内容には慣れていたが、それに比べると二番煎じというか、地味な感じもあったからだ。
しかし、カオスだったこの番組も、コーナー、出演者が整理されてきて(土屋昌巳はいなくなったが)、曜日ごとに売り物のコーナーもでき、いつの間にかおニャン子ブームが始まった。
7月には「セーラー服を脱がさないで」でレコードデビュー、おニャン子ブームを増幅させていったのとは逆に、おかわりシスターズらがいなくなった「オールナイトフジ」は衰退、オールナイターズが「セーラー服を脱がさないで」のパロディバージョン「セーラー服を脱いじゃってから」を出すくらいに人気が逆転していた。
オールナイターズと掛け持ちからおニャン子のみに鞍替えするメンバーも出てくる中、二十歳になっていた会員番号12番・最年長のおニャン子は、9月にソロデビュー。デビュー曲「涙の茉莉花LOVE」がヒットチャート1位、つづく「落葉のクレッシェンド」は2位に。
※「落葉のクレッシェンド」を聴くと、当時よく遊びに行ってた、原宿や、神宮外苑、絵画館前のいちょう並木の景色が頭の中に浮かぶのだ。
翌年3月、3枚目のシングル「青いスタスィオン」をリリース、おニャン子卒業で私の役目も終わったのだが(どういう役目だ)、河合その子の作品は、後に旦那になるゴッキーさん(後藤次利)が、この頃から力を入れてたのか、レコード会社がCBSソニーだからか、クオリティが高くアルバムの曲も良かったので、おニャン子卒業後も聴いていて思い出もあるんだよなぁ。
今、サブスクでは4枚目のアルバム「Rouge et Bleu」(1987年)などが人気みたいだし、私の眼は確かだったんじゃないかと勝手に再確認している次第である。
それにしても、時間の流れが毎年毎年速くなっている感じでイヤになってくるなぁ。昭和40年生まれは来年還暦だぜ・・・(苦笑)