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1980年8月30日

中学最後の夏休み、最後の登校日、“ヤツ”(※これからも度々出てくるであろう、N君)が転校してきた。
筆者の隣の空席に座った。画鋲を椅子に置くトラディショナルな悪戯をしたのだが、気がつかなかったようだ。
二学期、音楽好きという共通点もあって、すぐ友達になった。
流行っていたYMO、ふたりでリコーダーで「Fire Cracker」を吹いた。
YMOを真似たテクノカットだった筆者はリフを、元野球部、坊主頭のNはメロディーを吹いた。今考えるとかなり滑稽だ。まぁ、確かにあの頃も滑稽だったが…(※この後バンドを組むことになるのだが、決して栗コーダーカルテットのような感じではない”念のため)

「中国女(LA FEMME CHINOISE)」のイントロ前のフランス語のセリフ。

  - Des notes sans fin Des visages identiques -

何て言ってるのだろうって話になった。

『ユノ サーファ イジゾージ イトウキックだろ!?』
空耳にもならないバカさ加減(笑)
まぁ、フランス語だから中学三年生にわかるハズがない。
それにしても、高校受験の前だというのに、何やってても楽しかったよな。

3月14日は、そんなNの命日。
40歳にならずに逝ってしまい、こんな馬鹿話も思い出話もできなくなってしまった。
ここで、馬鹿話させてね・・・


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