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別冊 MUSIC LIFE 80's

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about 80's Music... ファントマ、ミュートマ、SONY MUSIC TV、ベストヒットUSAで形成された“昭和40年男”のお気に入りから厳選した記事などをひとま…
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#1980年代

7インチ盤専門店雑記681「U2はお好き?」

ちょうど一年前、U2の「I Will Follow」に関する記事を書いております。U2の、というか、ボノの拘りについて書いたものですが、自分の中では忘れられないnoteの記事だったりします。 その後、修正も兼ねてU2に関する記事を書き続けておりますから、涼しくなってきていたのでしょうか。夏にU2は聴けないというか、聴きたくならないですよね。…私だけですか?どうしても寒い音がするので、夏はダメですね…。 来月のイベントがポリスとU2を中心にかけるものなので、選曲というレベル

パラリンピックによせて

映画とともに、イントロからアガる曲、「ST. ELMO'S FIRE(MAN IN MOTION)」。歌っているのは、「記憶喪失の男」としてデビューしたイギリス人ロック・シンガー、ジョン・パー(JOHN PARR)。 「記憶喪失」だなんて、もちろん誰も信じていないが、このジョン・パー、最初はソングライターとしてロジャー・ダルトリーやミート・ローフら大御所に曲を提供していた。84年に歌手デビューとなった「NAUGHTY NAUGHTY」で幸先よくビルボード23位を記録。 翌年リ

7インチ盤専門店雑記679「1988年~89年のアナログサウンド」

明日がトークイベント「80sいろいろ」の開催日でして、まだまだ悩みながら最終的な詰めをやっております。80sはもうそれだけで人気ですから、今回も満席です。無理に詰め込んでもと思い、早々に「満席御礼」としてご予約の受付を終了してしまいました。ひょっとしてお連れさんが増えたなどということもありますからね。…その余裕も埋まりました。 さて、毎度のことながら選曲は迷いますが、もう80sという括りでは何回もやっておりますから、そろそろネタ切れ…になるわけはありませんね。80sだけで年

9月5日 The Great Pretender

9月5日は親愛なるフレディ・マーキュリーの誕生日、存命なら78歳。 そのフレディ、生前のバースデーパーティーはすごかったらしい。 ある年、全米ツアー中のニューヨークに友人たちを招待、なんとコンコルドで送迎し、超一流ホテルのスイート全室を借り切って五日間続いたという。前夜祭、後夜祭どころの騒ぎじゃない約一週間のパーティーの費用は、総額約8000万円、シャンパンだけでも750万円! 別の年の誕生日には、スペインの空に花火で自分の名前を書かせてしまったり、高さ6m以上といわれるバー

好きなタレント〇〇〇〇

それは1977年、小学校6年生の秋だった。夕方のテレビ番組「ぎんざNOW!」の木曜日「ポップティーンPOPS」という洋楽ポップス・ベストテンのコーナー、当時の日本国内の洋楽シーンはベイ・シティ・ローラーズ(BCR)やディスコ・ミュージック全盛、そのBCRと関連グループの曲たちの中、その曲は初登場で3位に入って来たのだった。 白と黒のタイツに身を包み、バレエのような振り付けで歌いあげる迫力のボーカルと、ランキングされている他の曲とまったく違うサウンドに完全にヤラれたのだった。

7インチ盤専門店雑記673「グレート・カヴァー6:モトリー・クルー」

あるお客様が「あの時代、皆んなモトリー・クルーになりたかったんだ」とおっしゃっていたのが忘れられません。私より少し上の世代だと、ビートルズやサイモン&ガーファンクルといったところでしょうか。私の世代ではディープ・パープルやレッド・ツェッペリン、もう少し下の連中は「安全ピン刺すのは痛いからフュージョンに走った」などと言っております。…そうでしたか、80年代後半あたりだとモトリー・クルーでしたか。…まあその後はニルヴァーナですかね…。多くのアマチュア・バンドがコピーする元ネタって

味なことやる・・・

前回は「とんでもない飛行機野郎 ゲイリー・ニューマン、大冒険の巻~インド・スパイ容疑編」(そんなタイトルじゃない)をお届けしましたが・・・ そのゲイリー・ニューマン(Gary Numan)は、自伝「(R)evolution: The Autobiography」の中で、あのフレディ・マーキュリーにビッグマックを奢ってもらった思い出と、クイーンのメンバー全員が分別のある素敵な人たちだったこと、そして「ちょっとした騒ぎになった」と振り返っている。 1981年2月、ゲイリーは東

とんでもない翔んでる男?

ゲイリー・ニューマン 70年代中盤にバンド、チューブウェイ・アーミーを結成し、UKチャートでNo.1を獲得。79年バンドを解散、ソロになってからもNo.1を獲得、15曲以上のトップ40ヒットを記録している80年代初期ニューウエィヴ/エレポップ・ムーヴメントの立役者。ファッションアイコンとしても有名で、日本ではPARCOのCMに出演して話題に。 本業で最新鋭の楽器を導入するゲイリー、プライベートでは無類の飛行機好き。 「Cars」など、ヒットを連発して入ったお金で、即、飛行機

命懸けてます

80年代は「Legs」、「Sleeping Bag」、「Gimme All Your Lovin'」などがヒットした長いヒゲがトレードマークのビリー・ギボンズ(Vo/G)、ダスティ・ヒル(Vo/B)とドラムのフランク・ベアードの3人組、ZZ Top。風貌は怖そうだがテキサス州出身のナイスガイ。 コミカルで楽しいビデオクリップや、ギターやベースを"くるりんぱ”したり、テレビモニターをギターやベースに内蔵したり、時にはギターやベースをもふもふのラビットボアで装飾したり、ファンを

7インチ盤専門店雑記652「ヒューイ・ルイス・アンド・ザ・ニューズ」

ヒューイ・ルイス・アンド・ザ・ニューズ、1980年代を代表する音ではあります。ヒットしていた時期が見事に80sにハマりますから、当然その時代の象徴的な存在として記憶しております。でも何で90年代に入って思い切り失速しましたかね?ウィキペディアなどではレコード会社との確執のように書かれておりますが、実際に90年代に入る頃からレコード会社を転々とします。好きなバンドだっただけにちょいと残念ではありました。 ヒューイ・ルイスの意外な側面については以前に一度書いております。 あっ

7インチ盤専門店雑記650「ラヴァーボーイはお好き?」

カナダのハードロック・バンド、ラヴァーボーイはお好きですか?私はフツーに好きです。「それ行け!ウィークエンド Working For The Weekend」は大好きな曲です。…邦題はサイテーですけどね。 あえて細かく解説することも憚られますが、中ヒットがいっぱいあります。とても聴き易いフツーのロックです。冒頭でカナダのハードロックと申しましたが、そこがいけないのでしょうか。このバンドに拒絶反応を示す方は少なからずいらっしゃいます。概ね70sのハードロックがお好きな方たちで

7インチ盤専門店雑記649「99 Luftballons」

自宅の余剰在庫ボックスから状態のいい7インチ盤を少々店に持ち込みました。やはり人気の80sはよく売れますから、補充も必要です。今現在50代から60代あたりの皆さんは本当に80sがお好きでしょうから、こちらも揃えておきたいとは思います。ただ7インチ・シングルに拘りがある方は当然ながら、ごく一部です。ごく一部の方々がそれでも一生懸命探していたりしますから面白いんですけどね。 NENAの「ロックバルーンは99」あたりも極めて80s色が濃いというか、80s臭が強いというか、他の時代

改名と名声

非常に濃い80年代を過ごし、著しい変化、成長を遂げたロッカーといえば、ジョン・クーガー・メレンキャンプ。名前が変わった以上に境遇も考え方も変わった。 1951年10月7日、インディアナ州セイモア生まれ、10代半ばでバンドを組み音楽活動を始めたという、まるで自身が作る歌のような青春時代。 17歳で結婚し、家族を養うために一度は音楽をあきらめたものの夢を捨てきれず、24歳の時、デモテープを持ってニューヨークへ向かった。 グラムロックのバンドで活動していた時期に、デヴィッド・ボウイ

7インチ盤専門店雑記648「クォーターフラッシュ」

クォーターフラッシュ、好きでしたねぇ。最近では「ミスティ・ハート Harden My Heart」(…いまだに馴染めない邦題です)一発だったような扱われ方ですが、中ヒットも何曲かあります。アルバムでいけば1stは8位、2ndが34位、3rdが150位ですって。…一発屋とは言わないでしょう。 シングルだとデビュー曲「Harden My Heart」が3位、1stアルバムからの2ndシングル「ミッドナイト・ラヴァー Find Another Fool」(これも酷い邦題ですね)が