ドライブ・マイ・カーを見たら悔しくなった
映画館で見てきた。
少し前に公開されたエヴァも確か3時間かそれを超える上映時間でちょっと話題になっていたし、私はエヴァを見たことがなかったのもあって「3時間座ったまんまはたとえ好きな物語でも無理でしょう」と思っていた。
けど本当に、お世辞ではなく3時間があっという間だった。
どんちゃん騒ぎとか(そういう話も大好きだけれど)事件がどんどん展開されていくという話ではないのに、どちらかというと会話劇というか登場人物の心情の変化を丁寧に紐解いて行ってそれぞれが生活をしていくという話だったと思うけど退屈だなと思う瞬間は一瞬たりともなかった。
ラストの舞台のシーン、手話でワーニャに、そして家福自身にも話しているように見える、時間にしたら15分くらい?もっと短かったかな、あのシーンは、
手話の字幕と舞台上の2人を映すだけで、他によけいなものはなく
カット割も少なくて画角も動かさず
戯曲のセリフを見ているとよくわからない感情になって(家福のセリフを借りると「自分が出てきてしまう(ニュアンス)」感じ?)
映画を見終わった後、気を抜くとあの余韻に浸りすぎて涙がポロポロ出てきてしまう不思議な、でも圧倒的な体験だった。
ウェブ記事で取り上げられていた、「僕は正しく傷つくべきだった」という家福のセリフも印象に残っているし、みさきの実家の前で2人が話すシーンは苦しくて仕方がなかった。
でも私が本当に悔しいのは、この素晴らしい映画を見て、何がすごいと思ったのかどんなところが好きだったのかを言語化できないのだ。
たとえばみさきが運転する車の中で高槻と家福が話すとき、話している人だけをまっすぐ映していたり。
そういえば音と高槻が不倫しているシーンを家福が目撃してしまうシーンではその行為を鏡越しで見て家福は逃げてしまうけれど、ちゃんと向き合えなかったことを表現しているのかなとか。
おそらくこの映画を見た人の多くは車の中でタバコを吸ってサンルーフから煙を逃すシーンの美しさが印象に残るのだろうなと思ったり。
覚えているシーンはいくつもあるしここのセリフが、ここの演技が好きだったということは言えるのだけど、なんかこうもっと自分の中で腑に落ちる理由が引き出せない。
それはこれまで見てきた映画がまだまだ少なくて感動ポイントの引き出しが単純なところにしかないこと
そもそも人生経験が足りなくて、(たとえば身近な人の死をまだ体験してないとか)なんとなく自分に刺さった感覚が薄いと思ってしまうところだったり
でもやっぱりどこかですごいものを見たなと思っていて、勢いでこうして記録しているわけですが
感動ポイントの引き出しが少ないというのは幸運なことでもあって、自分が物事にきちんと感動できる今、世の中に五万とある名作をこれから新鮮な気持ちで見れること、技術的なこともまだわからないから感覚的に感想を述べることができること、ちゃんと理解しながらいろんなものを見ていきたい。
そしていつかもう一度「ドライブ・マイ・カー」を見て、私がこの映画を好きと思った理由を、納得のいく理由を見つけたい。
3時間という長時間の映画だけど何回も繰り返してみて新しい発見を重ねたい。
ものづくりって本当に美しいことなんだと、作り手の(いい意味での)ドヤ感が心地よいし私もそれに加わりたい。
自分の中の貪欲な部分というか、格好悪い不恰好な欲に強制的に目を向けさせられて悔しい。
でも今見れて、映画館で見れて、ハイクオリティのものを見れて、心底よかったなと思える。
あーーー悔しい!でもよかった!の繰り返し。
それも人生だね、生き抜かねば。
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