沖澤のどかさんの会見を見て思うこと

 地元・京都のオーケストラ、京都市交響楽団に、来年度から新しい常任指揮者が着任する。沖澤のどかさんという方なのだが、僕はこのニュースを聞いたとき、女性ということもさりながら、なにより35歳という若さでの抜擢ということに驚いた。歴代でも最年少タイとのことである。もっとも、僕はオーケストラにさほど詳しいわけではなく、沖澤さんのこともこのニュースで初めて知ったくらいで、その時は「凄いな」と思っただけだった。
 それが先日、BSプレミアムで沖澤さんの特集をやっており、そこで興味を惹かれて、就任記者会見や過去のインタビューの動画なんかを見てしまった。
 優れた音楽家はえてしてそうなのだろうが、沖澤さんの話している動画を見ると、とても聡明な方なのだという印象を受ける。自身の考えや感情といったものも含めて、極めて解像度の高い言葉で言語化し、時折ユーモアを交えながら、誠実に話す。感情に溢れているが、感情に流されることなく適度に抑制的で、気負いも気遅れもない。自然なやりとりで交わされるそれは、事前に用意された言葉ではなく、その場で紡ぎ出された言葉という印象である。CGで例えると、プレリンダリングのムービーを流しているのではなく、リアルタイムでレンダリングされた映像を観ている感じ。ともすれば洗練されていなかったり、荒かったりすることもあるかも知れないが、地に足がついていて、血が通っていて、心地よい。そういう言葉である。
 僕は、スポーツ選手なんかのインタビューでこういう言葉を聞くのが本当に好きだ。例えば、将棋の藤井聡太。彼は記者の質問に対し、必ず(しばしばやや長めの)間をとって考えてから、自分の言葉で話す。あるいは、昨年のオリンピックで印象的だったのは、陸上の田中選手やボクシングの入江選手。彼らに共通しているのは、過度に饒舌であろうとも、奇をてらおうともせず、かと言って方にはまった受け答えもせずに、自分の言葉で自分自身や自身の仕事について話していることである。それができるのは、普段からの思考の積み重ねがあるからだろうと思うし、優れた知性とはまさにそういうものなのだとも思う。
 普段生きていて、こういう言葉に接する機会は少ない。SNSはとても楽しいが、往々にして地に足がついていない。気の利いたことを言おうとしすぎて、あるいは感情に流されすぎて、言葉に酔い、言葉が踊っている。その饒舌な空間にずっと身を置いていると、やはり疲れてしまう。そして実生活で触れる言葉の多くは、そもそも血が通っていない。だから僕は、沖澤さんが会見で紡ぎ出してくれたような、地に足がついた、血の通った言葉に時たま触れるとき、とても心地がいいと感じてしまうのだ。
 
 沖澤さんの演奏を生で鑑賞したことはないが、番組で見る限り、その言葉と同じような魅力を湛えているように思えた。来年度からは国内でその演奏に触れる機会も増えるだろうから、ぜひ一度演奏会に足を運んでみようと思う。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?