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オストロムとDAO

お久しぶりです。
書きたいものが見つからず疎かになっていましたが、今回はコモンズの管理方法をDAOについても生かせるかということをテーマに書いていきたいと思います。

DAOがオストロムのコモンズの議論と親和性が高いのではないかと思い、今回筆を執りました。

エリノア・オストロムは2009年にノーベル経済学賞を受賞した経済学者で、Governing the Commons: the Evolution of Institutions for Collective Action, (Cambridge University Press, 1990)などが著作として有名です。

彼女は、共有地において、地域住民による自然資源の利用がいわゆる「コモンズの悲劇」を招かない要因の分析を行いました。

DAOを、特定の価値の源泉の利用についてルールを定め、当該ルールについて賛同した者の集合体として見ると、オストロムの分析が適用されうるような気がいたします。

そこで、今回はオストロムの分析がDAOにおいてどのように生きるかについて書いていきたいと思います。

過去にDAOの法的課題について書いた記事があるのでよかったら見てください。

なお、本記事はDAOのトークンの購入を推奨するものではなく、あくまでDAOに関連する事項の説明に限定されることをご理解ください。

コモンズの悲劇

オストロムの分析を紹介する前に、「コモンズの悲劇」について説明しなければなりません。

コモンズの悲劇」は1968年にアメリカの生物学者であるハーディンよって発表されました。
一言で言うと、「多数者が利用できる共有資源が無秩序に利用されることで資源の枯渇を招いてしまうという法則」のことです。

よく例えに用いられるのが放牧です。
共有地である牧草地に複数の農民が放牧する場合、それぞれの農民が自身の利益の最大化を求め多くの牛を放牧することになります。
自身の所有地であれば、牛が牧草を食べ尽くさないように数を調整しますが、共有地では、自身が牛を増やさないと他の農民が牛を増やしてしまい、自身の取り分が減ってしまうので、牛を野放図に増やし続ける結果になります。
こうして農民が共有地を自由に利用する限り、資源である牧草地は荒れ果て、結果としてすべての農民が被害を受けることになるのです。
この状況を「コモンズの悲劇」と呼んでいます。

コモンズの悲劇」を招かないように地域住民により共有地の使用についてルールが定められたり、もっと広域の例でいえば、漁獲量の制限が国家間で定められたりするのです。

オストロムの分析とDAO

オストロムは「コモンズの悲劇」を招かないための要因を、豊富な事例によって分析しました。
オストロムは、Governing the Commons: the Evolution of Institutions for Collective Action, (Cambridge University Press, 1990)の中で、共有地の自治管理がうまく機能するために、次の8つが必要であると述べています。

①コモンズの境界が明らかであること
②コモンズの利用と維持管理のルールが地域的条件と調和していること
③集団の決定に構成員が参加できること
④ルール遵守についての監視がなされていること
⑤違反へのペナルティは段階を持ってなされること
⑥紛争解決のメカニズムが備わっていること
⑦コモンズを組織する主体に権利が承認されていること
⑧コモンズの組織が入れ子状になっていること

 ①コモンズの境界が明らかであること

境界を明らかにしなければ、コモンズの利用は自由奔放になり、フリーライダーの問題による濫用と崩壊へとつながります。
前提としての利用対象者及びコモンズのルールに服する者が明確にされていなければ、執行可能性が保証されず、ルールを守る者が損をしてしまうのです。

DAOの種類にもよりますが、トークンの保有者非保有者は明確に分けられるため、現実世界では問題となりやすい上記原則もブロックチェーン上なら問題となりにくいと思われます。

 ②コモンズの利用と維持管理のルールが地域的条件と調和していること

ルールやコモンズの価値は、参加者の需要や参加者のみならずエコシステムにおける利益の最大化の観点から決定されるべきものです。
地域に根付いたルールでなければ意味のないものとなってしまうからです。

DAOにおいて、地域という概念はありませんが、オストロムのいう地域を共通の目的として読み替えることができるかもしれません。
オストロムが地域的な条件との調和を原則とした趣旨が参加者の目的達成を阻害するようなルールの策定の防止にあるとすると、DAOは理念に賛同した人々がDAOに参加することが多いので、地域条件をDAOの理念という共通の目的と読み替えたとしても上記趣旨は全うできます。

 ③集団の決定に構成員が参加できること

オストロムは、人々が自らルール策定に関与していれば、人々がルールに従う可能性が高くなり、意思決定のプロセスに利害関係者を含めることでコミュニティの支持を得ることができることを指摘しています。

DAOにおいてガバナンストークンを配布すれば、トークン保有者が直接ルールを策定することができます。
また、DAOにおいてはルールの提案も基本的に自由にできるところが多く、参加者の意思を反映しやすい設計となっているものが多いです。
さらに、DAOは新たなツールを使用したり、一度設計さえしてしまえば、従来の多数決のみならず、様々な投票方法をとることができます。
Quadratic VotingConviction Votingなどさまざまな投票方法をとることができるのです。
多数決以外の投票方法により、今までは測ることができなかった投票者の選好の強さをも図ることができるようになり、当該DAOに適した投票方法をとることができます。

 ④ルール遵守についての監視がなされていること

ルールが参加者によって守られていなければ、ルールを守っている者のみが損をし、ルールが守られないようになります。
そこで、ルールを策定した後も、継続的にルールが守られているかを監視する必要があるのです。

DAOはブロックチェーン上に作られることが多いものですが、ブロックチェーンは行動の透明性という観点では(トルネードキャッシュ等の例外もありますが)透明性が高いものです。
誰かがルールに反した行動をしたとしてもトランザクションとしてブロックチェーン上に記録されるのならば、参加者のみならず全員から監視される可能性があります。
また、記録されることによる予防の効果も狙えます。

 ⑤違反へのペナルティは段階を持ってなされること

ルールを破った人を即全面的に排除する場合、かえってコミュニティがやせ細っていきます。
ルール違反の程度に比例して処罰の重さを決定する必要があるのです。

DAOでは、ペナルティごとに参加者が話し合い裁定を下すことが考えられます。
もっとも、DAO本来の目的のための行動に参加者はコストをかけるべきであり、DAOの継続の観点ではペナルティについて参加者が判断を行うことは重要ではあるものの、本来の目的のための行動に支障が出るようではDAOの運営が困難になる可能性があります。
そこで段階的なペナルティを類型化又は制度化してしまい、それに従いペナルティを執行することが取りうる手段の一つとして考えられます。

 ⑥紛争解決のメカニズムが備わっていること

問題が発生した場合、それを解決するような機能がなければ、ルール違反を見逃すことと同じように、コモンズ管理の信頼性が揺らいでしまい、コミュニティから人々が離れて行ってしまう原因となりかねないのです。

DAOであっても、コミュニティの維持は同じように問題となります。
そのため、DAOにおいても紛争解決の機関を備える必要がありそうです。
DAO内部ではなく、DAO外部に紛争解決の機関を求めてしまうと、トークン非保有者によって、DAOの執行が決定される可能性があり、集団の意思を離れた執行がなされる可能性があり、③の原則が損なわれる可能性があります。

 ⑦コモンズを組織する主体に権利が承認されていること

オストロムはコミュニティが合意したルールにつき、そのコミュニティの管轄区域で正当なものとして認められない場合、管轄区域の管理者、つまり国家との摩擦を生じさせてしまうと述べています。
国家からの承認がないと内部制裁が不十分な場合に国家の判断を仰ぐことができないとコミュニティが崩壊してしまうとの理由で当局の承認が必要としています。

DAOについて置き換えてみると、2つの方針がとりえます。

1つは、オストロムの想定通り、内部制裁が不十分な場合の実効的な制裁を国家に担ってもらうことが考えれます。
内部紛争で当事者だけではどうにもならないときに、参加者全員から信頼されている国家の裁断を求めることは合理的にも思えます。

ただ、ブロックチェーンやDAOに魅力を感じる人の中には、国家等の中央集権な組織体に対して信頼することができない人々が一定数います。
そのような人々にとっては、1つ目の方針は受け入れられないものに他ならないのです。

そこで、2つ目として考えられるのが、国家の影響を一切排除して内部制裁を充実させることです。
法の執行可能性はブロックチェーンにおいては限定的にならざるを得ません。
また、法の執行において、国家は、正しく判断するために十分な情報を得る必要があるものの、国家はDAOばかりに構っていられるわけではないため情報取得が不十分になることがあり得ます。
上記のブロックチェーンの特性を重要視し、国家の情報取得の不十分であると感じる場合、参加者は国家が問題を解決してくれるはずだという期待を持ちづらくなります。
そのため、国家に対する信頼が薄れ、執行可能性の高いスマートコントラクトに対する信頼が相対的に上がるため、上記のように国家ではなく、スマートコントラクトに対して信頼をよせるのです。
これは、一見してオストロムの⑦の原則とは相反するようにも思えます。
ただ、オストロムの⑦の原則の隠れた前提として「コモンズの管理においても究極的には国家の介入が予定されているということ」があるのだと思います。
そのため、オストロムは、③の原則の例外として国家からの介入を原則とせざるを得なかったと推測できます。
かかる隠れた前提の下では、国家からの承認は必須といえますが、国家の介入は前提とならないと考える人にとっては、国家の承認は不要で、むしろ国家からの承認を気にしないことは、③の原則を維持する上でも必須となってくるのです。

 ⑧コモンズの組織が入れ子状になっていること

共有地といっても、共有地には牧草だけでなく河川があったり、林があったりとそれぞれ違う利害関係者を巻き込むことになります。
そのため、それぞれの利害関係者の意思を直接反映させるべく、それぞれの利害関係者に合わせた意志集約機関が必要になってくるのです。

DAOにおいても、subDAOという概念があり、大きなDAOの中に入れ子状にDAOを作ることがあります。
すべての意思決定を一つのDAOで行うと、参加者の意思を直接反映することが難しくなります。
そこでsubDAOを設け、大本のDAOの共通目的に沿った形で、細分化された共通目的を有する人々の意思を集約させる必要が出てくるのです。

まとめ

以上のように、オストロムの8つの原則とDAOの運営は親和性が高いようにも思いますが、筆者としては唯一解ではないと思っています。
オストロムが現状だと8つの原則をとる方がいいのではないかと投げかけるに留まり、必要条件としなかったのも同じ理由かと思います。
ただ、オストロムの事例分析に基づく知見は参考するに値します。
そのため、DAOの運営を考えている人もオストロムの8つの原則に留意することには一定の価値があるのではないかと思います。

HSO先生コメント待ってます。

参考文献

Governing the Commons: the Evolution of Institutions for Collective Action, (Cambridge University Press, 1990)

https://sites.google.com/site/notesbyhk/jpntranslation-eostrom1990

https://www.env.go.jp/policy/hakusyo/zu/h24/html/hj12010302.html

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jrfs/55/1/55_45/_pdf

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jrfs/55/1/55_45/_article/-char/ja/

https://medium.com/commonsstack/automating-ostrom-for-effective-dao-management-cfe7a7aea138



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