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正札販売(江戸時代に始まった定価販売のこと:世界で日本が最初だった)

三越百貨店の前身、越後屋が江戸時代「現銀掛値無し(げんきんかけねなし)」などと銘打って、世界で初めて定価販売を始めたというのは有名な話。
それまでは、価格は、相対取引、駆け引きで決まっていた。
つまり、相手を見て値を決めていたということだ。
それを、相手を選ばず、定価で販売する。
このことは、今からみれば極当たり前のことのように思えるが、
当時は、世界中見渡してもなかったというのだから、画期的だった。

正札販売というわけは、定価を紙(=正札)に書いて、
品物を一緒に店頭に並べていたから。

「金をもってさえいれば、誰でも同じ価格で売る」
今では、当たり前だし、
時には「金を持たないなら、売らないよ」ということで、拝金主義のようにも聞こえて、
この定価販売の素晴らしさは中々伝わってこない。

しかし、
こういうことは、ボクらが歴史を忘れているからである。

定価販売が一般的になる以前は、
「いくらお金をもっていても、品物を売らない」ということがあった。
例えば、貧農や浪人などにはお金があっても売らないとか。
一方で、世間的に聞こえのいい家柄や門地の人間には、
値引きや掛けが横行するというような
差別があったのである。

昔、時代劇がまだTVで盛んだった頃、
この手のモティーフは、作劇の常套手段だった。
貧農のおとっつぁんが、長年苦労して貯めた金で
嫁入りする娘のために簪をひとつ買おうと
街の商店を尋ねるのだが、
店の店員は、汚い身なりをしたおとっつぁんを相手にしない。
どころか、
商売の邪魔になると、用心棒のお兄さんに頼んで追い払うのであった・・・
その用心棒がまた乱暴者で、追い払われた際に、おとっつぁんは打ちどころが悪く・・
あとは、水戸のご老公か、桃太郎侍にお願いするしかないのであった。
てな具合である。

その場合、
差別の主要な軸は、今述べたような家柄や門地だったのである。
お金の大小ではなく。

つまり、
定価販売も、ある意味、
ヨーロッパ啓蒙期の市民革命のように、
封建的制度からの人間の解放だったのである。

門地や家柄から、
お金という、ある意味、個人主義的で、実力主義的なツールへの転換だったのだ。

「お金があれば誰であっても同じ人格として接する」
このことは、実はとても大事なことなのだ。
歴史が形作った(ある段階での)原則だから。
一見、冷たく、あるいは拝金主義のように思えても。

こういう歴史感覚を押さえないと、
安易な議論は間違った方向へ流れてしまう。

例えば、「外人お断り」とか、特定外国籍人への差別というような風潮は、
極めて危険な空気だ。
お金があればすべてお客さんなのである。
また、
今度は逆にお金がない人まで施しを気軽に行っていては、
立ち行かない。
無原則な博愛主義では、普通の庶民の商売は成り立たない。
「お金の切れ目が縁の切れ目」という考えも、無下には否定できないのである。

それと、支援や援助とは別のことである。

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