「白バラ」運動:平和と人道に対するメッセージ
反戦、平和、人権、人道….
ロシアによるウクライナ侵略など、多くの人たちの命が奪われた戦争が今も続いている….
仕事の仲間にウクライナの方がいます。彼はウクライナの地方の街に住んでいるので、特に問題なく仕事を続ける彼と、何も考えずに仕事の依頼をする私たちですが、時にはどういう言葉をかけるべきか悩むことがあります。
多くの犠牲が払われた平和の世の中に…
以前、ドイツのミュンヘンを訪れたとき、ナチス政権下で戦争反対や人権と自由を訴えて処刑されたミュンヘン大学の学生たちの「White Rose(白バラ)」運動について初めて知る機会がありました。
非人道的、独裁的政権との戦いに命を賭け、究極の代償を払いながらもその姿勢を貫いた若者たちの「ホワイト・ローズ」グループ。彼らの活動は、キリスト教に基づく正義を重視し、Goethe(ゲーテ)、Shiller(シラー)などのドイツの知識人、教養人を手本とした学生運動でした。
様々な大学のキャンパスを散策することが好きな私ですが、その日はミュンヘン駅から徒歩圏内に位置し、1472年に設立されたヨーロッパを代表する名門大学の1つであるミュンヘン大学(正式名: Ludwig Maximilians University-ルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘン)に行ってみました。
ミュンヘン大学の本館の脇に、「白バラ」記念館がありました。ミュンヘン大学の重要な歴史の一章として、彼らの活動を記憶し、次の世代に伝えていく本記念館は、1997年に開設されたそうです。
開設当初はドイツ語の説明のみでしたが、2017年にリニューアルオープンし、ドイツ語と英語で展示されるようになったそうです。
この運動はモンゴルではあまり知られておらず、私が小中学校で学んだ第二次世界大戦に関する情報といえば、1941年6月22日にドイツ軍の全面的なソ連領侵攻が始まり、1945年5月8日にドイツ軍の無条件降伏で終了した「独ソ戦争」に関するものがほとんどです。
「白バラ」学生グループは、ハンス・ショル(Hans Scholl)とアレクサンダー・シュモレル(Alexsander Shmorell)を筆頭に、ハンス・ショルの妹ゾフィ・ショル(Sophie Scholl)ら学生で1942年に結成され、1942年末にクルト・フーバー(Kurt Huber)教授らが活動に参加します。
彼らは、ナチス国家による市民の自由剥奪や抑圧生活、人権無視や征服地での非道な行いなど人権侵害を批判するビラを作成し、反戦、国際協調、ナチ党政権打倒を訴え、ミュンヘンをはじめ、南部の他の街にも配布し、ドイツ国民に戦争への抵抗を呼びかけました。
1942年の夏から1943年2月までの期間に全6種類のビラが作成され配布されますが、第1号のビラは、ちょうどドイツとソ連の戦争が始まって1年経った1942年の6月ごろに作成されました。
1943年の2月14日から16日にかけて、第6号のビラがミュンヘン市内で配布され、2月18日にショル兄弟はミュンヘン大学構内でビラを配布し、残ったビラを本館の3階からメインホールに撒き散らしました。
このホールにまき散らしたわけです。戦争当時の写真と今の校内を比べて、平和がどれだけ尊いものかを感じます。
ショル兄弟は、ビラを撒き散らしたその現場で、ナチス党員のミュンヘン大学職員に発見され、逮捕されます。捜査が進み、その他のメンバーも逮捕されます。
逮捕されてから4日後の1943年2月22日、ショル兄弟ら3人は反逆罪で死刑判決を受け、その日に処刑されました。その後、アレクサンダー・シュモレル、クルト・フーバー教授ら他のメンバーが逮捕され、裁判と処刑が続きました。
ナチスは白バラの活動の参加者や支援者を見せしめに処罰しましたが、彼らのメッセージは世界中の人々に届きました。1943年4月までに、学生たちの運命とドイツ国民に向けた戦争反対への呼びかけのニュースがNew York Timesに掲載され、ミュンヘンの街の壁に「Scholl lives! You can break the body but not the spirit (ショールは今もなお生き続けている。肉体は壊せても精神は壊せない)」との新たなメッセージが書かれていたと報じられたそうです。
どこの時代にも勇気を持って声をあげる若者たちがいました。
多くの犠牲が払われた平和の世の中に…
私たちは幸せに暮らしています。
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