恐怖はどこからやってくるのか
よく思うのは、「一番の恐怖は無知であることではないか」ということ。
そして、そこから我々会社員が上司や他部署の担当者に、比較的新しい概念もしくはバズワード化しているような仕組みの提案をした場合の、相手の気持ちについて考えてみたいと思います。
前回の記事でも触れた、何らかの新興宗教への拒否反応。これが何故引き起こされるかというと、恐怖なわけですよね。
むしろ「新興宗教」という単語自体への忌避感がある方もいるでしょう。
漠然とした恐怖感の象徴として使用していますが、何らかの差別的な意図はありません。気分を悪くされたらすみません。
新興宗教の定義
ここで、当記事内でいう「新興宗教」とは何かを定義しておきます。
こちらを参照して平たくいうと「明治以降に誕生した新しい宗教」ということになるんですが、もちろんあくまで比喩です。
今回は独特かつ、我々日本人には馴染みのない「宗教」を含むワードからみなさんが受ける印象そのものを採用します。
それは「よく分からないけど、何となく怪しいから怖いもの(しかも新しい)」です。
◯◯のジレンマ
そう。要するに、よく知らないから要否の判断ができない、イメージだけで敬遠してしまうということが発生してしまう。
人生の諸先輩方は、もちろんこれまでの素晴らしい実績や成功体験があるので、その頭で話を聞いたり、判断をすることになるので、中途半端な説明だと恐らく押し負けてしまいます。
人間なので当たり前なんですが、ここで未来を見て話す自分と過去事例を見て判断する上司との間に、前提のギャップが生まれます。
自分だけが正しいなんてことは絶対に無いし、何らかの考慮漏れがあればそれを教えてほしいのが提案する側の気持ちではありますが、前提や文脈がそもそも違うので全く噛み合わなくなるし、自分の知識が及ばない領域の話なんて、会社や組織の未来にどう影響するか読めないから、そりゃあ判断する側としては突っぱねますよね。
つまりこれは恐怖であると。
よく知らないものについて判断することに対する恐れだということです。
しかしこれを放置してしまうと、提案時点に始めていればポジション争いできていたかもしれないビジネスチャンスを見逃し、後塵を拝する結果となるでしょう。
特に、すでに社として素晴らしい成功があるとなかなかチャレンジしにくいものです。
結局のところ
5W1Hはしっかり伝えましょうという点に尽きるな、と本当に思う機会の連続だったので、今回はこういう記事になりました。
自分だけが勉強したり、その世界に浸かっているだけだと、土地勘や盛り上がりが周りに認識されづらいものです。
客観的な参考資料や成功事例、実現したいこともあわせて用意し、レガシー先輩の豊富な経験と知識が正しく活かせるくらいに「無知の恐怖」を取り除いたら、きっと正当な判断をしてもらえるはず。
と思って僕もこれから頑張ります。
ここまで読んで、お前誰やねんと思った方は最初の自己紹介もあわせて読んでいただけると幸いです。
今回もお付き合いいただきありがとうございました。
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