平田オリザ氏のもろもろの発言について、少しだけ考える

 演劇界隈(あるいは文化芸術全般!?)への政府による補償について、平田オリザさんがなにやら話題のようでしたが、現時点では、国会におけるいくつかの重要関心事項でそれがやや立ち消えになっているような気がする。とまれ、彼が話題となった元をここで少し見てみたい。

 炎上するそもそもの発端は、NHKでのインタビューのこれだと思う。
https://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2020/04/0422.html (2020年5月11日最終閲覧)


Q:政府の支援策などが出ていますが?
非常に難しいと聞いています。フリーランスへの支援に行政が慣れていないということが露呈してしまったかなと思います。1つには、小さな会社でも「融資を受けなさい」と言われているのですが、まず法人格がないところが多いと。それから、ぜひちょっとお考えいただきたいのは、製造業の場合は、景気が回復してきたら増産してたくさん作ってたくさん売ればいいですよね。でも私たちはそうはいかないんです。客席には数が限られてますから。製造業の場合は、景気が良くなったらたくさんものを作って売ればある程度損失は回復できる。でも私たちはそうはいかない。製造業の支援とは違うスタイルの支援が必要になってきている。観光業も同じですよね。部屋数が決まっているから、コロナ危機から回復したら儲ければいいじゃないかというわけにはいかないんです。批判をするつもりはないですけれども、そういった形のないもの、ソフトを扱う産業に対する支援というのは、まだちょっと行政が慣れていないなと感じます。

 この、「製造業の場合は、景気が回復してきたら増産してたくさん作ってたくさん売ればいいですよね。でも私たちはそうはいかないんです。」と「製造業の場合は、景気が良くなったらたくさんものを作って売ればある程度損失は回復できる。」というところで、大きく反発をくらっているようである。彼の意図するところは、その後に続く、「製造業の支援とは違うスタイルの支援が必要になってきている」という部分を言いたいがために、この前述の反発をくらっている言葉を紡いだのだと思われる。もちろん、その背後には、彼自身の思想も反映されているかもしれない。私自身、第二次産業とは違う形での支援が文化芸術には必要というには異論がない。また、その前の段階で、演劇の経済構造、世界的にショービジネスが苦境であることを述べるのも正当だと思う。しかし、製造業を引き合いにするのであれば、政府による景気後退期における製造業への経済支援を十全に調べた上で発言する必要があると思うし、言い方にも気をつけるべきだ。ふんわりとした表層的な物言いで、「製造業はものを作って売れば損失は回復できる」と言ってしまってはたんに反発を食らうだけだし、劇作家であるならば、発言する前にもう少し想像力を働かせてもよかったのではないだろうか。例示をするならば、慎重にしていただきたい。

 また、この発言以外に気になるのは下記である。

Q:いつから活動を再開できるかわからないという中で、どのような支援を求めていますか?
大変なのは国民みんな一緒ですから、どうにかしのぐしかないんですが、やはりその次の段階では、文化政策としての支援は何か用意していただかないといけないかなと思います。お金の問題だけでなく、表現の場を奪われてしまったということがあるので。
例えばこの状況が終息した段階で、政府や自治体が空いている劇場を借り上げて、上演の機会を与えて、そこに支援するなど、特例的な枠組みというのも考えられるんじゃないかと思います。

「どのような支援を求めていくか」という問いのここの部分をもう少し深く彼から聞きたかったなというのが率直な感想である。というよりもここが肝である。演劇の経済構造の固有事情を解説=従来の景気対策では補えない事情と背景がある、ソフトを扱う産業に行政は慣れていないと主張するに止まっていて、具体的に求めることをもう少し明確にしてもいいのではないかと思う。彼が実際に、「ソフトへの支援」に行政が慣れていないというのであれば、尚更、たんに「私たちにはこういう事情がある、政府でなんとか支援してくれ」という状態のままでは説得力にかけるというか尻切れトンボのようになってしまう。もちろん、金銭補償だけでなくて、これを契機に行政が「ソフトへの支援」を充実させるのは大賛成だ。

また、NHKでのインタビューで炎上したあと、別のインタビューで彼はこう発言している。

──やはり、批判は多いんですね……。多くの人は、芸術文化に対する補償を「貧乏だから補償してくれ」という意味に誤解しているように見えます。

平田:それはきちんと分けて考える必要があるでしょう。憲法25条では「健康で文化的な最低限度の生活」が定められており、国が保証しなければならないとされている。「貧乏だから」は「最低限度の生活」に当たる部分で、芸術家も含め、国民が等しく保障されなければならない。一方、今回の騒動では、文化よりも健康を優先せざるを得ない事態となり、国民が文化を享受する権利が制限されました。これは健康を守るためにやむを得ないことですが、文化を享受する権利を奪われたのだから、コロナからの回復期には補われなければならない。そのために、芸術文化に対する支援を行う必要があるんです。

引用元:『渦中の人、平田オリザインタビュー「ちょっと落ち着きませんか?」なぜ積極的に語りかける? 平田オリザが語るコロナ禍と誤解』2020年5月8日:日刊サイゾー (2020年5月11日最終閲覧)
 https://www.cyzo.com/2020/05/post_240153_entry.html


 「憲法25条では」という話になっていく(まあいつもの彼の調子だとは思うんですが)。この点については、政府による文化芸術への公的補助の動機および根拠という命題も含まれてはいるのだが、今回の焦点をそちらによせすぎると、首尾よく明瞭に提示できなければ説得力に欠けて、宇宙にいるような話になりかねない。
 今回の件については、芸術文化への補償は、2月26日の首相の発言によって、公に演劇および音楽の公演は中止・自粛を余儀なくされて、収入なしあるいは赤字、さらにはリハーサルも稽古もできないので公演およびその予定を立てることはままならず、収入が向こう半年はなくなる見込みというように展開していった方がよかったのだと思う。彼が憲法25条を持ち出すのは今に始まった話ではないが、「シンパシー」や「エンパシー」の話をするなら、余計にそうした面に気を使ってほしい。

 彼はあくまでも劇作家および劇団主宰であって、思想を語るにはいいが、文化政策の専門家とは言い難いことを明確に主張しておきたい。さらには、彼が文化政策の業界を代表しているわけではないことを申し添えておきたい。あくまでも演劇での利害関係者で、そうした主張をしているというのは念頭に入れておいた方がよいだろう。ただ、彼の主張および語り方が広く世間に受け入れられるものか、あるいは反発を呼ぶものなのかはまた別の問題でもある。ということで、いったん、この辺りにしておきたい。
(今後、追記の可能性あり)


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