3月18日 メディアと障害者 ADA 米国司法省の取組

この日の朝のセッションは、メディアにおける障害者の在り方だった。低身長の名優、Danny Woodburnと、EIN SOF CommunicationsのTari Hartman Squireが二人で主に映画やテレビドラマにおける障害者の出方について、捧腹絶倒の会話を繰り広げる。このセッション自体が、一個の番組のようだった。確かになあ、車いすモデルが次のページで普通に歩いていたら違和感あるし、盲導犬ユーザーのモデルが別のページで明らかに目でスマホを見ていたら残念な気がするだろう。Tariたちは、障害当事者の写真のデータベースをたくさん持っている。当事者モデルもたくさん登録されている。モデルとしても、演者としても、当事者が出るべきだ、というのが今回の主張だ。みんな、かっこいい。なんて素敵なんだろう。

障害のあるモデル写真のストック
障害当事者のモデル写真のストックが多数あるという

たしかにこれまで、障害を扱った映画はたくさんあり、障害のない俳優が演じて、名演技とほめられてきた。レインマンのダスティン・ホフマンなどは、すごかったなあと今でも思う。だが、女性の役を男性がやる女形には表現の限界がある。また宝塚のように女性が男役をやるのはきれいだがやはり限界がある。障害の映画やドラマは、障害者自体が演じるべきではないのか?昨日のランチョンで観た盲ろう者の映画のように。

世界はそのような流れになりつつある。CODA(今年のアカデミー賞作品賞)では、聴覚障害の両親を演じているのは聴覚障害本人だ。母親役はかつて「愛は静けさの中に」でアカデミー賞主演女優賞をとったマーリー・マトリンだ。当事者が演じ、当事者が自分の言葉で語る。それが当たり前になっていく時代なのだ。会場では、良い事例としてこのCODAを出したAppleTVや、SonyのPlayStation、AmazonStudioなどが紹介されていた。

また、会場はとってもUDだ。ステージはもちろんアクセシブルだし、手話通訳とステノプコンによる高速の要約筆記画面であるため、情報保障も万全である。

会場はとってもUDだ
移動も情報もUDな会場設営

日本ではまだまだ障害者自身がテレビや映画に普通に見られるという状況にはなっていない。私は、せめてエキストラの一部に、補助犬ユーザーや車いすユーザーを、普通に映してほしい、とずっと要望してきたが、それすらまだ叶ってはいない。NHKではバリパラで当事者が発言することも増えてきたし、車いすや聴覚障害のキャスターも活躍しているが、民放ではまだ記憶にない。ここから変わっていってほしいものだ。

このセッションで嬉しかったのは、かつて米国の教育系放送局、WGBHで活躍していたLarry Goldberg や、MicrosoftにいたGary Moltonなど、なつかしい人々の名前が紹介されたことだ。みな、CSUNの常連である。元気だったんだなあ。みんな、ICTアクセシビリティから、デジタルアクセシビリティへと駒を進め、映像メディアなどの世界でUDを進めているんだ。ものすごく嬉しかった。

次に出たDOJ(Department of Justice 司法省 日本だと法務省にあたる)のセッションは、いつもながら刺激的である。どの分野でアクセシビリティやUDを義務化したか、誰がどう守るべきかが、明確に語られるからだ。誰がADAを守るべきか、というところでは、次のように定義されている。まずはTitle Iの雇用主だ。採用から就労に関するすべての情報提示、昇進、解雇などのプロセス、研修内容、労働環境のすべてをUDにする必要があり、障害を理由とした差別は許されない。これは民間も行政も同じである。Title IIは政府や自治体に対するもので、公立学校、公共施設、裁判所、文化・スポーツ施設、図書館などのすべてをUDにし、そのサービスもアクセシブルにすることを規定したものだ。Title IIIは、民間にも適用される。全ての私立学校、企業、ホテル、レストランなどが対象である。

ADAを守るべきなのは誰か
ADAを守る対象が明示されている。実際はもっと広い。

これらは、障害のある人が利用できるよう、適切な対応が求められる。これをカバーするために技術的にはWebサイト、モバイルサイト、Kiosk、電子書籍などをUDにすることが求められ、対処しないと提訴される。バスの時刻表のサイト、街中の信号機、それらはすべてアクセシブルでなければならない。もちろんCovid19関連のサイトやサービスは、当然UDでなければならない。そのような事例が、多数、写真入りで紹介された。へえ、こんなものもADAの対象か?と思われるようなものもある。あらゆる公的なサービスに始まり、多数がアクセスするサイトやオンラインのサービスは、全てADAの対象としてアクセシビリティは義務化されており、違反は処罰されるのだ。

DOJの最近の強制執行
公共交通の時刻表などもADAの対象だ

DOJのサイトには、どの州でどれだけの違反が提訴され、どんな処断があったかのデータベースがあるという。WCAG2.1AAでWebサイトやモバイルアプリを作り直せという裁定も多数出ているようだ。

日本にはADAに当たる法律がない。障害者権利条約を批准した後、なんとか障害者差別解消法という(私には少し生ぬるい)法律はできたが、違反している機関や企業をそれで訴えるという仕組みになっていないため、実効性は心もとない。アメリカがすごいのは、このADAで違反した事例をできるだけ多く紹介し、行政や企業が他山の石として自社などのサイトやサービスをUDに切り替えていくための情報を提示しているところである。日本の法務省はこのような意識をもって活動しているだろうか?DOJは、社会を公平に、公正にするために存在する。それが自身のミッションだと信じて動いている。なんとなく、羨ましくなってしまうのは、私だけなのだろうか?性別や、年齢や、人種、障害などによって不公平に扱われない社会を実現する。DOJの職員が、公平な社会を作るソーシャルイノベーターとして活動しているのである。日本の法務省に、そのようなミッションがあるとは思えないし、そもそも差別解消法は提訴を前提とはしていないように見える。本来、この法律は、障害者側にアクセスの権利を保障すべきものだった。だが、巧妙に権利部分が抜き取られた結果、実効性のはなはだ薄いものに変質している。これでは日本で歳をとることが危険きわまりないと諸外国に思われても仕方ないだろう。公共交通にも建物にも、公共サービスにも、その情報にも、アクセスは保障されないのだから。就学も、就労も、基本は分けられたままである。インクルーシブな環境とは程遠い。CSUNに来て毎回感じるこのフラストレーションは、技術はあるのに環境を変えようとしない、日本全体の制度設計の不備に対するものである。いわば、国全体が、膨大な数の移動や情報の障害者を作り出していることなのだ。

ADA違反のデータベース
ADA違反とされる事例のポータルも



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