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約29年前の布石

結婚した時にだったかな(?)義母よりパールのネックレスをプレゼントしてもらいました。
でも、もともとパールを持っているのでほとんど使うことのなかったパールでした...

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それが先月義母が魂に戻り、
その日より今日まで毎日ずっと身近に置いたり身に付けたりして
パールを通して私なりの追悼をしてきました。

神道だと五十日祭、仏教だと四十九日法要


亡くなったものの魂が神の世界、お浄土の世界にたどり着く日なんだそうですね。(全然知りませんでした...)


今回その法事を日曜日の方が集まりやすいだろうと、1日早めに執り行いました。鹿児島なので遠いですが家族5人全員休みを取ったり調整したりして向かうつもりでしたが、このご時世。一人やめ、二人やめ、最後は東京組は行かない方が良いだろうと言うことで全員欠席にしました。

なんとなくしっくり来ない気持ちがふつふつと残り
不謹慎かもしれないけど
テレ参加しない?
とつぶやいてみることに。

それがきっかけで昨日テレビ電話をつかって、
リビングから参加することになりました。

祝詞って良いですね。
身近に聞く機会はなかなかなくて今まで気がつきませんでしたが、
この言葉とか音とか
本当に神様に通じているんじゃないかなって思えてきました...
または聞いている私が浄化されるような...

そして義母は神の世界にちゃんと辿り着いたんだな。
ここにはもう居ないんだなってことを確認することができました。


ただ、
それはまだ私の中で居ないということがどう言うことなのか、
理解できないでいるのです...
それまではいつでも見守っているような感覚があったのに、
呼べばすぐ来てくれる感覚があっただけに、
もちろん良いことなので安心してもいるのですが、
今は反応が無いの...

何かが気になって仕方がなく
無くしたものを探しているような
でもどこを探してももう見つけることができないのが、
その経験が初めてすぎてむしろ驚きで...
ちょっと困惑中です...

なので言葉にできないまま
今書いています...


・・・考える・・・


・・・感じる・・・


・・・考える・・・


・・・感じる・・・


あ、
居ないと言うことが寂しいんだな。
魂がいるべきところへ戻るのべきなのだけれど
残されたものとしては
やはり寂しいんだな。

その人が放つエネルギーとは
それほど大きく掛け替えの無いものなんだな。

昨日の”ありがとう”のブログに、友人がこのようなことをコメントを送ってくれました。

ありがとう = 有難い 
= "私はあなた無しでいることが難しい" 
と思っています。


ほんとそうですね。
有難い
ありがとう💖

ありがとう と言える出来事があることに
有難い
ありがとう💖

ありがとう と言える友達がいっぱいいることに
有難い
ありがとう💖

今を生きるとはありがとうを言うことの素晴らしさを
学ぶことなのかもしれませんね。

感謝する数だけ人は豊かになる気がする。

今に感謝して
ありがとうを一杯伝えられるようになりたいな。

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今日が五十日目に当たるので片付ける前に
パールネックレスの写真を撮ってみることにしました。

義母が闘病中に作っていたいくつかの刺繍の中に、
グレーの猫の刺繍だからグレースだね(我が家の猫の名前です)
だからこれはお兄ちゃんに、
と言っていた刺繍が先日送られてきていたので一緒に撮ることにしました。

そしたら分かったのかな〜?
知ってか知らずかわかりませんが、それまで隣の部屋にいたグレースが
まっすぐやってきて匂いを嗅ぎ始めました。




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新しい匂いに念入りに小さな鼻を可愛らしく動かして嗅いでます。

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そして座り込み

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気に入ったのか、暫く一緒に居ました。

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パールネックレス2つあっても、
何に使ったら良いのかわからなかったけれど、
用意周到な義母はもしかしたら
こんなことも深いところで見越していて
プレゼントしてくれたのかもしれないですね。

そして
生きることは感謝すること、
有難うと言葉で伝えることの大切さをパールを通して教えてくれたのかもしれません...


お母さん ありがとう💖

身体にどこまでも良いキャンドルを求めて研究しています。 サポート頂けたら嬉しいです😊❤️