望みながら期待しないって矛盾しない?…どゆこと?
願望実現のジャンルでよくある疑問が
望みを書き出したり、強く願ったりするのを勧められるが
同時に、結果に期待しないことがカギだとも言われる。どっちを信じたらいいの?両立できるの?
というものです。
これは、願望実現の「ゴール」部分にたどり着くには
それまでの途中過程にある自分の心境を
"エンジョイモード"にすることがカギ
だということを言っています。
最高に嬉しいゴールは、
根性や苦しみの果てに"掴み取る"ものではなく
途中過程で楽しめるようになると
結果すらどうでもよくなるくらい
そこでやっていることが楽しくなる…
だから、結局いい結果につながる。
そしてそれは途中を楽しめば楽しむほど
結果まで最高の度合いが高まっていくということです。
想像以上の"結果"につながるだけでなく
どんでん返しが起こって"想像以上の喜び""学び"が得られることになったり
望みと違う結果にたどり着いたが
代わりに運命の出会いがあって、
『なーんだ、これのためにやってきていたのか」
となったり。
ライオクとの質疑応答で原理が語られていますので、どうぞ。
元動画はこちら
質問者(を代弁する岩瀬アキラ氏):
あなたもバシャールもよく言っていますが
願望実現をするにあたっては
期待を手放さなければならないと。
それについてこの方がよくわからないのが
ものすごく何かを望みながら、期待しないって
どんな感覚なのと言うところです。
その対極の状態が共存している感覚が
どんなものかよくわからないと。
ライオク:
こんなふうに説明しましょう。
ある人が期待していると言う時
それはエネルギー的に何を言っているのかというと
『私が思い描いているこれが
その通りに起こらなければ
私は幸せになりません!!!』
喜びと情熱に従って
最もワクワクすることに向かっているときのエネルギーというのは、
「楽しむ」
がベースのエネルギーなのです。
何が起きるかなんて気にしていないのです。
なぜなら何が起きようが、
期待せずポジティブに対応できて
(その先)さらにポジティブな体験をする
とわかっているからです。
ですから、
とても"自由"な感覚があり
とても"安心"な感覚があり
とても"遊び心"な感覚があり
そして、
自分の情熱とは矛盾するような出来事に出くわしたとしても
それに対して情熱的に対応でき、
情熱的な体験ができるとわかっている感覚です。
これらが期待しているときのエネルギー状態と
本当の意味で喜びの中にいるときの
エネルギー状態との主な違いです。