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古きを稽え、今に照らす

たまたま、おすすめに出てきた
さとう式リンパケアの先生が
良いこと仰っていました。YouTubeで。

(「※見たら人生変わるので覚悟してみてください」というタイトルの動画でした)


聞いたことそのまま
書き起こし状態になっちゃいますが
シェアさせてください。




稽古についてを語っていたんです。
稽古と練習と訓練の違いについて。

勝ち負けの無い世界って
「稽古」なんだそうです。

茶道、華道、武道などには
勝ち負けがなくて
自分の在り方を稽古する、という…。


試合や発表会のためにやるのは練習とか訓練。
人と比べること、勝ち負けがあるものが試合。

そして、今この瞬間を楽しむためにやるのは
稽古、なんだとか。

ひとりであろうが、複数人であろうが
ただただ場を整える為のものである、
それが稽古なのだそうで。


なるほど…。

つまりは、場を整えることと
自分を整えることって
イコールなんだな、と思ったんですよね。




欧米でいう「世界平和」とは
「愛と慈悲」の対比である
「罪と罰」だったり

「正義と悪」という対比、
それらの土台の上に成り立つものである
「世界平和」なのだとか。

日本は、自然と調和して
自分を整えることや

今、この瞬間を楽しむということで
世界平和を体現するというもの。

戦わない。ただただ自分を整える。
それって、つまりは内観的なことなのかな、と。

というか、自分を見つめていれば
自ずと整ってくるんだと思うんですよね。

整えよう整えよう、とする作為的行為は
実のところ自分のことを観じているのではなくて

自分の理想像の型に
自分を押し込めていることなんですよね。

そこから見えるもの、気づけるものも
もちろんあるとは思うのですが。




「古きを稽(かんが)え、今に照らす」

調べたら、古事記の序文に
登場する言葉のようです。

古くから伝わる、先人の教えや
過去に起きた出来事を
いま現在の事象に照らし合わせて
教訓として活かす、ということなのだそうで。

教えをなぞって、型のとおりに
行うこととは
まったくちがうことを
説いているように感じます。


先人の残した知恵、やり方、そのものを
きっちりそのまま行おうとすること、
それも素晴らしいこと、美しいことだとは
思うんですが

先人の知恵や
やり方が生まれるに至った背景や、
先人達の生き様。在り方。
そこなんじゃないか、って。

いくらやり方が先人達の
知恵のとおりだったり
そっくりだったとしても

生き様が、それに伴わないものであれば
その行いは空虚というか
本当に自分の内側から
湧き出てきた行いではない。

ということは
自分の身(実)になっていない、
単なるテクニック的なものになっちゃう。

器だけは立派で、中身はスカスカ、というか。



先人達が残したかったもの

残されたわたしたちに
受け取ってほしかったものって

いま、この瞬間を
どのように生きるかということ

先人達はどのように生きたかということを
次に繋ぎたかった、
渡したかったんじゃないかなって。

いま、どのように生きるか。
何を大切にして、何を想い、何を行うか。

それを問うことが稽古なのかな、と思いました。
決して答えを求めることではなくて。

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