真夏の深海魚
昨日、抜歯しました。人生初の抜歯。
下顎に生えていた親知らずをメリッと。
抜歯後、仕事を入れていて
こりゃ失敗したわぁと思いました。
いふぁい。(痛い)
そして生徒さんの
レッスンを希望する曲を尋ねると…
メフィスト。女王蜂。
わー………………!!!
それは………!傷口開いちゃいそうだー!
エッジボイスの説明とか
地声から裏声の切り替えを
する度に、イタッ………イタタタタタ…
しかし、次第に教えることに
ついつい夢中になってしまって
痛みを超えちゃうんですよね。
レッスン中、脳内から
なんか出ちゃってるんでしょうね。
たのしーー!!とか。
文字通り、まさに出血大サービスでした。
◆
でね、 歌うのに
どれだけ下顎が大切なのか
思い知らされたわけです。
やっぱり
失ってみて初めてわかることって
ありますよね…。
いや、下顎失ってはいないんですけどね。
むしろ倍増してんですけどね、腫れて。
深海魚みたいで面白い輪郭してます。
(´・ε・` )←こんなん
◆
歌う時に喉ばかり意識を取られてしまって
喉締め声になってしまうという
お悩みの方、多いんですけど
やっぱり、人間って
連想した箇所は緊張が走るもののようです。
今から、手首に意識を向けてください。
はい。
どうぞ!
なんか、ガチッとしてきません?
ゆるんでくる、って人は
いないと思うんですよね恐らく。
話を戻すと
歌う、発声するということイコール
喉を使う、ということは
誰しもが自動的に
イメージしているのではないでしょうか。
喉に意識が持っていかれてしまう。
ガチッとさせてしまう。
解剖生理学とか、発声の仕組みを
学ぶのは素晴らしいことだと思います。
ただ、歌うときの姿勢や
モチベーションが以下のようなものだと
学ぶの一旦止めましょうよと言いたい。
個人的には。
「下手だから、ちゃんと勉強してから歌えるようになりたい」
「音痴だから発声の仕組みを知りたい」
「良いところが全然ないから、欠点を克服したい」
このような状態の方は
十中八九、ジャッジに忙しくて
歌を「作業」にしてしまっている。
心の奥底から湧き出てきたものに
動かされるように歌ってはいない。
その作業的な行為である歌に対して
更に知識を詰め込んでいくということは
「本来備わっている自分の感覚をひたすら無視して、思考して歌う」
という行為を促進させてしまう。
まずは、ジャッジすることを
良しとしている自分に気がつけるように
なってほしいし
その先にはジャッジなしに
自由に歌う楽しさがあり
その領域にいって初めて
ニュートラルな心理状態で
歌うということを実感できるんです。
頭の中のうるさい思考が
止んだ、静けさの中で
ただただ無我夢中で歌う。
それは難しいことではない。
それを体験してほしくて。
◆
そういった体験を求めている方に向けて
対面だけではなくて
オンラインでボーカルレッスンを、と
構想をしてきましたが
今月中には始動できそうです…!
ヨチヨチな歩みですが。
内観と歌、おうちでできちゃう。
おうちで歌うのに大きな声ではなくても
自分の思考に気がつくことができるし
歌は、自分の本質的なものが
顕著に露となるので
知らなかった自分のポテンシャルや
身体のクセをしることができます。
身体のクセには
思考が密接に絡み付いています。
自分探しだったり、あらゆるもので
自分と向き合ったことはあっても
歌を通して、自分を知るということは
あまり経験したことが無い方が多いと思います。
逆に言ったら
それだけ、作業化としてしまっているんですよね。
歌うという行為が。
例えるなら、祈りです。
あらゆる手を突くして、もうどうしようもない時に
思わず祈ってしまう時ってあるじゃないですか。
神社に行ったり
月とか空に向かって、とか。
歌って、そういった
祈りとほぼイコールです。
だけど、
神社に行って、一世一代のお祈りをする時に
「間違えないように正しく祈らなくては」
なんて考え抜いて祈りませんよね。
接続詞だとかそういった細かいことを
考えあぐねるのではなく
気持ちを込めて、真剣に込めるじゃないですか。
言葉に。祈りに。
頭の中がゴチャゴチャしておらず
静けさがあって。
その領域にはジャッジという
思考が働くことができない。
それです。
そういう歌を歌うとき
他の何とも違う、深い気づきが起こります。
はい。
ではでは、きょうはこのへんで…!
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