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仮想通貨SF小説『Decentralized Kingdom』 第2章 クォンタム・ブースト

今から約20年後(2038年)の日本。暗号通貨の信用が崩れた世界の物語。


◇崩れる共同幻想

《2038年7月16日 午前10時39分》

 僕はベランダから、目前に広がる街を眺める。

 いつも規則的に道を流れていた自動運転車の影は、今やほとんどない。民間の市街警備や、警察機構の保有する治安維持用、あるいは暴徒鎮圧用のドローンが、道や空をいくつも行き交う。

 人の姿も見えない。だが時折、あちらこちらから怒号が聞こえてきていた。その度にドローンの羽音が唸り、制止音声、そして警告音声が聞こえ、やがてそこに悲鳴が混じる。

 煙を上らせる熱音響発電機。

 ひび割れた太陽電池パネル。

 部屋からは、アシスタントAIが勝手に点けたニュース番組の音が響いてくる。

 ビットコイン相場は先週より67パーセントの下落。この騰落率はコインバブル崩壊以来の数値。

 ペグ通貨発行企業であるネオ・プラチナムがNPTトークンと白金の交換を一時停止すると発表。現物資産に価値を紐付けたペグ通貨は、このところ運営企業による交換停止発表が相次いでおり、ますますの混乱が予想される。

 先週から窃盗事件が急増。強盗事件数もここ十数年来の数値となっており、政府および各王国運営が市民に注意を呼びかけている。

 現物貨幣を求め、銀行には長蛇の列。

 貴金属類の違法売買が横行。

 犯行グループからの新たな声明は未だなし。

 マイニングシェア奪還、見通しつかず。

 トークンエコノミーは終焉を迎えるのか。本日は専門家のアリマ・タダユキ氏に……。

 混乱の街を眺め、僕は立ち尽くしながら思う。

 いったいなぜこんなことになってしまったのか。


◆         ◆         ◆


《2038年7月16日 午前11時02分》

「みんな、端末(デバイス)はつけたかな? それじゃあ起動してみようか」

 講師を務めるヒナギが声を張ると、子供達が一斉に耳に掛けた神経端末(ナーヴデバイス)へと手を触れた。それに合わせ、部屋の後ろに立つ僕も、自分の端末の小タッチパネルに指を這わす。

 ほどなく、視界の上部に半透明のアイコンドックと時刻表示が現れた。

「まずは較正(キャリブレーション)をしてみよう。上の方に歯車のアイコンは見えるかな? それを……」

 ヒナギが説明を始める。

 彼女の声は、大きくなくても不思議とよくとおった。較正を終えている僕は、ただぼんやりと説明を聞きながら、生徒である子供達の様子を眺める。

 今日はヒナギの企画した、神経端末(ナーヴデバイス)ワークショップの手伝いに来ていた。

 世に出てからまだ2年も経っていない神経端末(ナーヴデバイス)は、若い世代を中心に急速に広まっている。脳神経と直接やり取りし、神経言語での入出力ができる携帯型端末。耳に掛けるだけで済む手軽さもあってか、新しいアイテムながら世間に受け入れられるのは早かった。

 いずれはスマホを完全に代替すると目されているだけあり、今日のワークショップもかなりの申し込みがあった。神経端末(ナーヴデバイス)は使用にどうしても慣れが要るが、若い世代ほど使いこなすのは早い。どちらかというと、体験型講座(ワークショップ)が必要なのは親世代だ。

「みんなできたかなー? じゃあ次はアプリを使ってみよう。ドックにある『ニューロガーデン』を開いてみて」

 ドックに並んだ木のアイコンを意識すると、『ニューロガーデン』のロゴと共にアプリが起動した。手も声も使わずに操作できるのはやはり便利だ。

「これは木を植えるゲームなんだけどね。知ってる人もいるかな? チュートリアルは終わってるから早速やってみよう。メニューにある茶色の袋から、好きな花を選んでみて」 なんとなく見回っていると、やがて机の上に色とりどりの花が咲き始めた。朝顔(アサガオ)、蒲公英(タンポポ)、三色菫(パンジー)、鬱金香(チューリップ)……。

「あの」

 小さく声をかけられる。見ると、女の子が困った表情でこちらを見上げていた。

 中腰になり、わからないところを教えてやる。するとほどなくして、机の上には青紫の小さな花が現れた。薫衣草(ラベンダー)のほのかな香り。

 神経データを直接出力できる神経端末(ナーヴデバイス)は、理論上五感をすべて再現できる。視覚聴覚以外はまだまだ甘いのが現状だが、『ニューロガーデン』は、匂いについてはかなり高度に表現できていた。

「ありがとうございます」

 女の子がお礼を言う。

 顔を上げると、ヒナギは笑いながらこちらを眺めていた。僕は目を逸らして定位置に戻る。


◆         ◆         ◆


「助かるよミナト」

 目の前のヒナギが、スパゲッティを頬張る僕に言う。

「君は子供に好かれるからね」

 昼時。ワークショップ午前の部を終えた僕らは、近くのレストランに食事に来ていた。ランチにしては少し高い店だが、ヒナギの奢りなので気にしない。

「いや子供だけじゃないか。君、とにかく第一印象はいいから」

「は、ってなんだよ」

 僕とヒナギは大学時代からの付き合いだ。と言っても一年で辞めた僕とは違い、彼女はまだ在籍していたが。

「いつまで大学なんかにいるんだ? お前も早くこっち側に来いよ」

「わたしはちゃんと卒業するよ?」

 ヒナギが大盛りのピラフを掬いながら言う。すらっとしている割に、こいつはけっこう食べる。

「卒業して、少なくとも数年は会社勤めをするんだ」

「ええ……ヒナギが? どこかのDAO(分散型組織)にコミットするとかでもなくて?」

「だれかに地位を保証してほしいんだよ。わたしだって『世捨て人』になるのは怖いからね」

 ヒナギはそう言って目を伏せる。

 『世捨て人』は、フリーランスの間で使われている隠語だ。

 今の時代、どこかの市民権トークンさえ保有していれば生活に必要な資金は支給される。だが、なんの役割もない日々は辛いものだ。自ら事業を興すも思ったように評価を得られるず、次第に社会との関わりを断つ人々を、皆いろいろな感情を込めてそう呼んでいた。

「ヒナギなら大丈夫だと思うけどな」

「そんなことないよ。むしろミナトはよくやっていると思う」

「別に目の前のことをただこなしてるだけだよ」

「本当にやりたいことでもないのに続いているのがすごい、ってこと」

「……」

「わたしは同じことをできる自信はないな」

 そう言われると、なんて返していいかわからなかった。自分のことを話すのはどうも苦手だ。

「……ま、正直言うと仲間を作りたくて言っただけだから気にすんな」

「ふふ。知ってる」

「でもやりたいことくらい、ヒナギにはいくらでもあるだろ。今日のワークショップもいきなりどうしたんだよ。あれだけの神経端末(ナーヴデバイス)用意して、ずいぶん金かけたみたいだけど」

「ん? 予備入れても二十台だからそうでもないよ?」

 平然と言うが、当然そうでもないわけない。こいつの感覚がおかしいだけだ。

 ヒナギの家は金持ちだ。父親がかつて仮想通貨NEMのスーパーノードの一人で、20年前のコインバブルで巨万の富を得たらしい。最初に聞いた時は僕も驚いた。300万以上のXEMを保有し、厳しいシステム要件でネットワークの維持に貢献し続けたスーパーノードは、今や黎明期のNEMを支えた伝説的な存在だからだ。

 ただ、バブル後はXEMを買い戻すこともなく、コミュニティからも離れたらしい。聞くところによると、今でもネットで評価を集める気はないのだという。

 僕らの親世代には、ネットで個人情報を晒すことに忌避感を抱く人間も多い。今では想像もつかないが、インターネットはかつてアンダーグラウンドな世界だった。犯罪に炎上。きっと、その時代の印象が強く残っているのだろう。

 ヒナギがネットを通じた社会活動にこだわるのも、そんな父親の反動なのかもしれない。

「えーと確か、前は量子言語に凝ってるとか言ってなかったっけ?」

「最近は神経言語も勉強し始めたんだ。これがおもしろくてね」

 ヒナギは楽しげに言う。

「神経端末(ナーヴデバイス)は未来そのものだよ。あの技術は絶対にこれからの主流になる。だからわたしもなにか貢献したかったんだ。神経言語も量子言語も、古典コンピューターのアセンブリ言語に加えてぜひ初等教育に盛り込むべきだよ。神経ネイティブ、量子ネイティブ世代を育てないと」

「量子ネイティブ? あー、そう言えば……」

 言われて僕は思い出す。

「神経端末(ナーヴデバイス)って量子チップが載ってるんだったな」

 量子コンピューターは、量子の重ね合わせ状態を利用して膨大な並列処理を行う、今あるスマホなどの古典コンピューターとはまったく別計算機だ。

 世界初の量子コンピューターが生まれたのが今から17年前だが、そこから10年以上に渡り、量子コンピューターはかつてのスパコン的な立ち位置であり続けた。年を経る毎に改良され大規模になり、公に使われるようになっていったものの、僕たち消費者(コンシューマ)にはずっと無縁の存在だった。

 量子チップの搭載された神経端末(ナーヴデバイス)は、ほとんど初めての一般向け量子コンピューターと言っていい。古典コンピューターとの併用型で性能もあまり高くないが、神経情報の処理になくてはならない役割を果たしている。

 と、一年くらい前にウェブメディアで読んだ。

「あまり意識されることはないけどね。でも、こういう場所に使われてるってことはもっと知られるべきだと思うんだ。量子コンピューターの変なイメージも払拭できるかもしれないし」

「ああ、パスワードを破られる、みたいな?」

「うん。ばかばかしいよ、まったく」

 ヒナギが怒ったように言う。

 量子コンピューターが実用化された頃大々的にそのようなことが報じられたためか、機械に明るくない人間の中には未だにそんなイメージを持っている者も多かった。

「今はまともなサービスなら格子暗号やランポート署名、量子鍵配送で安全が担保されてる。いったいいつの時代の暗号を使ってるつもりなんだろう。そういう人たちは量子コンピューターがもっと広まったら仮想通貨(コイン)は全部500円玉にするのかな」

「不便さには代えられないから順応するだろ。あー、でも……」

「?」

「仮想通貨市場には多少影響あるかもな。マイニングの成功率は上がるだろうし」

 計算力の競争によってブロックを承認し、報酬として新たなコインを得るマイニングは、コンピューターの性能によって成功率が大きく変わる。現在は多数のマイナーが協力して採掘を行うマイニングプール数社の寡占状態となっているが、新たなコンピューターの登場で、その勢力図が大きく変わっても不思議はない気がした。

 僕の適当な呟きに、ヒナギは割と真剣に考えて答える。

「いや、ないと思う」

「なんで?」

「みんなが量子マイナーを使うようになるなら、全体の計算力(ハッシュレート)が上がって安定するだけだよ」

「どこかのマイニングプールがいきなり導入したら、計算力(ハッシュパワー)が偏ってセキュリティリスクが上がらないか?」

「51パーセント問題ってやつ? うーん、いきなり導入、っていうことがまずないと思うけど。ただ……」

「ただ?」

「量子コンピュータのナンス探索用アルゴリズムって、まだ開発されていないんだ。だからもしどこかのマイニングプールが見つければ、抜け駆けされるかもしれないね」

「へえ」

 マイニングの計算はナンス値という一定の条件を満たす数を総当たりで探すものだが、そのためのアルゴリズム――計算するための具体的な動かし方が、まだ考案されていないということらしい。

 少し意外だったが、量子コンピューターはそもそも普通のコンピューターとは仕組みがまるで違う。量子言語を扱える技術者はまだまだ少ないと聞くし、無理もないのかもしれない。

「でもセキュリティリスクが上がったら価格は下がるだろう? マイナー側にはやるメリットがないよ」

「確かにな」

「性能の割に量子チップはまだまだ高いし、しばらくマイニングに使われることはないんじゃないかな」

「というか、よく考えたらほとんどのコインはPoIとかPoSみたいな計算力を使わない承認システムだし関係ないな」

「例外であるビットコインが時価総額の三割近くを占めてる以上、関係ないとは言い切れないけどね……そうそうビットコインと言えば、最近変な噂があるの知ってる?」

「変な噂?」

「謎の採掘者(マイナー)が現れたって」

 僕は首を傾げる。

「知らない。なにそれ?」

「大手マイニングプールのシェアを、最近どこかの誰かが奪い始めたんだ。まだ数パーセントだけど、少しずつ割合が増えているらしい」

「へえ」

 軽く相づちを打ったが、本当ならおかしなことだ。

 ビットコインのマイニングは、多数の採掘者(マイナー)が協力し、効率的に計算するマイニングプールが成功率のほとんどを占めている。特に大手数社の計算力は圧倒的で、新参がそこに割り込むのは普通に考えればかなり難しい。

「どこかの誰か、って言うのは? 新しいマイニングプールでもできたのか?」

「さあ」

「さあって。コインベーステキストにはなんて?」

 ビットコインのブロックには、取引情報のほかにメッセージを書き込むこともできる。普通ならそこに採掘者が自分の情報を刻んでいるものだが。

「んー、自分で見た方が早いよ」

 僕はスマホで、ビットコインのブロック情報を載せているサイトを開く。ヒナギの言う謎のマイナーが採掘したブロックは、すぐに見つかった。コインベーステキストの内容に目を移すが、よくある採掘者の情報などはない。代わりに、こんな一文があった。

 “CP / Banks for second bailout on brink of chancellor.”

「んん? 大臣の危機に瀕した第二の救済のための銀行……? ってこれ」

 僕は気づく。

 これはサトシ・ナカモトが創世(ジェネシス)ブロックに刻んだタイムズの見出し、

“大臣は銀行に対し二度目の救済措置へ(Chancellor on brink of second bailout for banks)”の語順を逆にしたものだ。

「ふざけてるだろう?」

 ヒナギが微笑して言う。

「採掘されたビットコインが付与アドレスから移された記録もない。何者なのかまったくわからないんだ」

 なんだか不気味だった。これは噂にもなる。

「まあでも……これ以上シェアが増えるとは思えないけどな」

「そうだね。さすがにマイニングプールの持つ計算力には敵わないだろうし、今大勢のハッカーやソーシャルエンジニア達がおもしろがって特定に急いでるから、そのうち正体もわかると思うよ」

 確かに、遊び好きの彼らには良い暇つぶしだろう。

 僕も昔だったら探偵気取りで参加していたかもしれない。

「そうだ、話は変わるけど」

 ヒナギが急に思いついたかのように言う。

「あの子とは最近どうなの?」

「あの子?」

「天才プログラマーのミズナシヨシオちゃん」

 僕は冷水のコップに口を付けながら顔をしかめる。

「別に。たまにSNSでやりとりするだけだよ」

「あのホテル使った?」

 水が気道に入り、思い切りむせ返る。

「つ、使う……わけないだろ。というかなんでそれ知ってるんだよ」

「わたしもガクから聞いた。やっぱりあいつろくでもないね」

 ヒナギが愉快そうに言う。

「元恋人が言うと重い」

「で、どうなの?」

「だからそういう関係じゃないって」

「ほんと?」

「ほんとだよ……ああ、ほらもう行かないと」僕は話を終わらせるように促す。「そろそろ時間だから」

「えー、はいはい」

 残念そうに言って、ヒナギは視線を泳がせる。

 不自然な仕草だった。おそらく神経端末(ナーヴデバイス)で決済したんだろう。僕の視線に気づき、ヒナギは小さく笑う。

「ミナトももっと神経端末(ナーヴデバイス)使おうよ。持ってたよね?」

「持ってるけど、どうもスマホでいいやってなるんだよな」

「便利なのになぁ。あれはやってないの? 『ニューロガーデン』」

「ダウンロードはしたけど」

「やろうよ。ネットでも話題になってるのは知ってるよね?」

 『ニューロガーデン』は、実際かなりの人気アプリだ。

 木を植え、果実を収穫し、また植えるのを繰り返すのが基本の位置ゲーだが、シンプルなシステムとは裏腹に幅広い遊び方がある。

 街でレア度の高い果実がなる木を探して栽培するのはもちろん、『木こりの斧』『宿り木』などの妨害アイテムを使った陣取り合戦に、木を食べに来るでかい亀や恐竜を囲う動物園、花や苔を使った庭園なんかを造ることもできる。

 最初期には運営が稀少果実を買い取っており、儲かるとバズったこともあって、おそらく神経端末(ナーヴデバイス)で一番ダウンロードされているだろう。

「知ってる? みらい平なんてもうほとんど樹海になってるよ」

「そうなのか。東京のそんな感じの画像は見たことあったけど」

「絶対端末で見た方がいいよ。全然違うから。フレンド登録しよう。約束ね」

 ヒナギが席を立ち、店の外へと歩いて行く。

 その背に、僕は声をかける。

「ヒナギ。その……またなにかやるならいつでも手伝うよ。どうせ暇だから」

 振り返ったヒナギは、ふと笑って頷いた。


◇        ◇        ◇



◇アノニマス

 クロニックペイン。

 あいつは俺をそう呼んだ。

 ダークウェブで大物ぶる奴の鼻を明かしてやろうと、マシンに侵入を試みたあの夜。

 まんまとハニーポットに誘い込まれ、信じられないような手際で逆ハックをかけられたあの時、あいつは、俺の情報を奪うでもなくメモ帳(テキストパッド)でこう問いかけてきた。

『CPってなんの略だ?(wut CP is 4?)』

 CPは、いつも使っていた俺のハンドルネームだった。

 自分の苗字、円道(Circle Path)の頭文字を取っただけだったが、まさか正直に言うわけにもいかない。動揺しながらも、俺は用意していた答えを打ち返す。

『群衆恐怖症(Crowd Phobia)だよクソヤロウ』

『ウケる(lol)。クールじゃん』

 そこからしばらく、俺はあいつとやり取りをした。

 あいつは、どうも俺が思っていたような奴ではないようだった。ダークウェブでの尊大な態度は一種のロールプレイだったのだとすぐに気づいた。俺がやり取りしたあいつはずっと慎重で、思慮深く、フレンドリーながらも、決して腹の底は見せなかった。

 俺はあいつと友人になった。

 そしてある日。あいつは、俺にその計画を明かした。

『どうだ?』

 すぐにできると思った。俺なら。

 あいつは得体が知れなかったが、協力してやろうと思った。

 あいつの目的は、まさに俺が求めていたものでもあったからだ。

『お前ならそう言ってくれると思った。だがこの先も群衆恐怖症(Crowd Phobia)では困る』

 あいつは言った。

『お前は今からクロニックペインだ』

 慢性痛(Chronic Pain)。

 後で調べてみると、それは20年以上前に存在した巨大ダークマーケット、『シルクロード』運営スタッフのハンドルネームだとわかった。帝王DPR(ドレッド・パイレート・ロバーツ)に見限られ、殺害命令まで出された哀れな薬物中毒者。

 あいつは今のDPRなのか? いや違うだろう。

 “帝国”に関わる人間なのは間違いない。だがおそらくはもっと下の立場だ。そもそも、匿名主義者(アノニマス)達の仮想国家『DPRC(ドレッド・パイレート・ロバーツ・キャラバン)』の帝王など実在するかも疑わしい。

 どうでもよかった。重要なのは、なにが得られるかだ。

 それに、俺は慢性痛(Chronic Pain)の名が存外気に入っていた。

 円道(Circle Path)も、群衆恐怖症(Crowd Phobia)も、慢性痛(Chronic Pain)も、俺か彼女を指し示す言葉だったから。

 俺は泡状(フォーム)ディスプレイを見つめる。

 テストは終わりだ。計画はこれから始まる。

『インターネットを巻き戻す』

 それがあいつの目的で。

 俺の願いで。

 おそらく彼女の希望だった。


◆         ◆         ◆


◇二重送金(ダブルスペンド)

 みらい平の街は木々に覆われていた。

 ここ駅前は鬱蒼とした広葉樹の森となっている。もちろん本物じゃない。『ニューロガーデン』が作り出した幻想の森だ。

 あのワークショップから十日。出がけにヒナギの言葉をふと思い出し、僕は久しぶりに神経端末をつけて外出していた。

 彼女が言っていたことは本当で、『ニューロガーデン』越しに見るみらい平は樹海と化していた。安全のため木々は半透明で表示されているが、出力レベルを上げれば遠目には本物の木と見分けがつかないだろう。脳神経へ直接出力された、ポリゴンに依らないオブジェクトは精細というレベルを越えていて、青い匂いや時折聞こえる鳥の鳴き声と併せてまるで本物の森だった。

 しかし神経端末自体の使い勝手は、まだスマホには及ばない。今回コワーキングスペースの決済に使ってみたが少し手間取った。洗練されるにはまだ時間がかかるだろう。実際、街で使っている人もそれほど多くはなかった。

 だがこの先主流になるのは間違いない。手も声も使わず操作できるのはやはり革命的だ。僕も量子言語や神経言語を勉強し始めた方がいいかもしれない。

『もしもし? ミナト?』

 不意に声が——正確には声の神経データが頭に飛び込んできて、僕は驚いて足を止める。

 神経端末越しの視界に、通話者の名前が表示されていた。“佩川日凪(はいかわひなぎ)”。

 どうやら着信からノータイムで通話状態にしてしまったらしい。やっぱりまだ操作に慣れない。

『あれ、聞こえてる?』

「ごめん聞こえてる。なんか急に繋がって」僕は脳波出力の無発声通話で答える。「どうした? ヒナギ」

『ニュースは見た?』

「ニュース? ……ああ」

 開口一番で少し戸惑ったが、僕はすぐ思い至る。

「見たよ、例の採掘者(マイナー)だろ? ネットは盛り上がってるな」

 ビットコインマイニングの戦場に突然現れた謎の採掘者(マイナー)は、あれからますますシェアを伸ばし続け、今や中小マイニングプールに並ぶ計算力となっている。

 と、2、3日前にメディアで取り上げられているのを見た。

「まだ特定されてないんだっけ? そろそろどっかの予測市場で賭けが始まりそう……」

『違う』ヒナギの声音は固い。『知らないの?』

「え……なにが?」

『ヨシオちゃん、逮捕されたって』

 言葉が出てこない僕に、ヒナギはウェブメディアの記事を送って寄越す。

 不正取引承認、茨城県の高校生を詐欺容疑で逮捕。

 警視庁サイバー犯罪対策課と茨城県警みらい平署は11日、市内の高校に通う女子生徒(17)を詐欺の疑いで逮捕した。

 女子生徒は9日早朝、ビットコインの不正なトランザクションを含むブロックを意図的に承認し、計約28BTC(十億円相当)の二重支払いを発生させたとしている。

 女子生徒はミズナシヨシオの名前で活動しており、若手エンジニアとして注目されていた一方で、深層ウェブへのアクセスも頻繁に行っていたと見られる。警視庁は、ビットコイン大量採掘の手口については未だ……。

『あの採掘者(マイナー)、今はビットコインの7割のブロックを生成してる』

「いやそれよりこのニュース……7割?」

『一昨日から一気にシェアを奪ったんだよ。まるで今まで手加減してたみたいに』

 僕は再度の衝撃を受けた。

 膨大な数の計算機で超高効率にナンス探索を行う大手マイニングプールの計算力は圧倒的だ。そのシェアに七割も食い込むなど、個人や企業どころか、既存国家や“王国”ですら不可能だと言っていい。物理的にあり得ない。

『それで、ついには二重支払いが起きたんだ』

「まさか、不正な取引を承認したのか? なにがしたいんだよその採掘者(マイナー)は」

 こんなことが起これば当然ビットコインの価格は暴落する。今頃市況は阿鼻叫喚だろう。

 そして暴落するのは、せっかく採掘したビットコインの価値だって同じだ。二重支払いで10億の利益を得たとしても、その何倍もの資産が吹き飛んだはず。

 全体の51パーセントの計算力を持てば意図的に不正な取引すら承認できるが、誰もそんなことはしない。普通に採掘する方が儲かるからだ。これが、30年間信頼を保ち続けてきたビットコインのインセンティブ設計だったはずなのに。

「おかしいだろ、いったいどこの誰が……」

『警察は、それがヨシオちゃんだと思ってるみたい』

 記事を見直してようやく理解する。そういうことか。いやそんな馬鹿な。

『ね、ミナトは……』

「知らなかったし、あいつがこんなことするとも思えない。ほとんど実名で活動してるし、なんらかの手法を見つけたとしても公開する気がする……たぶん」

『……そうだよね。そもそも個人でこんなこと……』

「ごめん、切る。じゃあまた」

『え、ちょっとミナト……』

 なにか言いかけていたヒナギを遮り、神経端末での通話を打ち切る。そして、さっきから震えていたスマホを取り出した。

 ディスプレイを広げ相手の名前を確認する。予感はあったが、見事に当たった。

「もしもし」

『通話で失礼。今は1satoshiも惜しくてな』

 2ヶ月ぶりの呉槭樹の声は、少し焦っているようにも聞こえた。

『由緒の件だ。これから指定する場所に来て欲しい。事情は到着してから訊いてくれると助かる』

「なん……いや、わかりました」

 通話を切ってから思う。僕はなぜ行くと返事したのだろう。

 由緒(あいつ)の様子が気になったのか、それとも騒動に参加したいという昔の遊び心が残っていたのか。

 なんとなく、どちらも肯定したくなかった。


◆         ◆         ◆


◇再開と序章

「あ! 藤井さん久しぶりー」

 ひんやりした面会室のアクリル板越しに、由緒がひらひらと手を振った。

 僕は拍子抜けして、面会用のパイプ椅子に腰を落とす。

「なんか、元気そうだな」

「逮捕されるなんて初めてだし。意外と快適だよ留置場」

「はあ」

「評価も上がるかも」

「なんでだよ」

「藤井さん知らない? 逮捕されると評価が上がるんだよ。新生ライブドアのおじいちゃんだって若い頃刑務所に入ってたし」

 なんだか本当に平気そうだった。少しでも心配して損した気分になる。

「どうでもいいけど、逮捕されたの今日だろ? 面会ってこんなに早くしていいのか?」

「何も問題はない」

 僕の後ろに佇む呉槭樹が答える。

「特に権利は認められていないが、違法ではないからな。警察を説得できさえすれば当然可能だ」

 僕は由緒の後方に座る婦警の顔に、『怒り』の微表情が浮かんだのを見逃さなかった。

 イケハヤ経済圏の重鎮だけあって、やはり呉槭樹は相当な力を持っているらしい。

「あたしの顔メディアに映ってた?」

「ニュースにはさすがに映ってないよ、実名も伏せられてたし。ミズナシヨシオの方は報道されてたから顔写真はネットに出回ってるけど」

「おおー、いいね!」

「いいのかよ。僕だったら寝込みそうだ」

「小心者だね藤井さん。せっかく顔と名前を売れたんだからチャンスと思わないと。晒しなんてしょっちゅうあるからみんなに飽きられる前になにか行動したいよね」

 みんな、か。敵に回るかも知れない大衆を相手によくそう言えるなと思った。実際SNSで悪意ある、あるいは歪んだ正義をかざす者たちに注目され、心を閉ざす人間は多い。

 表情に『恐れ』の感情はないし、どうやら本心らしい。こいつメンタル強すぎだろ。僕もつい口が軽くなる。

「それにしても大それたことをやったな。ビットコインを攻撃したんだって? ちんけなクラックツール作るくらいじゃやっぱり飽き足らなかったか」

「ちょっ、やめてよねー。またあたしの印象悪くなっちゃうじゃん」

「後ろの婦警さん、すごく話を聞きたそうだったぞ。今眉が上がって目を見開き、上体が少し前のめりになった」

 婦警さんの表情が固まり、視線が伏せられた。由緒は他人のいたずらを見る子供の顔をする。

「あはは、あたし藤井さんに尋問される方がいやだなー」

「それで、なんで逮捕されてんだ?」

「えっと、お母さんからはなにか聞いてた?」

「私は警察署に呼んだだけで何も話していないぞ」

「というか僕、今回の事件のこともよく知らないんだよな。来る時にタクシーの中でニュース記事見たくらいで」

「あーそうなんだ」

「詐欺って聞いたけど」

「えーとそれはねー……」

 由緒は少し考える仕草をして話し出す。

「ビットコインのシステムで二重支払いを起こして、本来支払われるはずだったBTCを騙し取った、っていうのが警察の言いがかり」

「二重支払いって、具体的には?」

「誰かが十億円分のビットコインを別の通貨に換えたんだけど、それとは別に、同額を違うアドレスに送ってたみたいなの。例の採掘者がそっちのトランザクションを取り込んだブロックを伸ばしまくって放流したおかげで、本来のチェーンが破棄されて、最初に支払われた10億円分のビットコインが取引相手の口座から消えたんだって」

「うわ……」

 PoW(プルーフ・オブ・ワーク)の規則上、チェーンが分岐した場合短い方が破棄される。あるマイナーが全体の過半数の計算力を持ったとき、その他の全マイナーよりも早くブロックを生成できるため、都合の良いブロックだけを伸ばして正規のチェーンを無効にできる。これがいわゆる51パーセント攻撃だ。

「被害を訴えたのが日本人で、犯人らしきあたしも日本人だったから、日本の警察が動いたってわけ」

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