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自由であることの重要性

ここ最近のミームコインブームで、イーサリアム創設者のブテリン氏が苦言を言ったようです。しかし、ビットコインやイーサリアムのような暗号資産の重要なポイントは自由に使えることだと思います。この自由さがなくなり、制限が人によって加えられるようになると最終的には廃れていくことになりかねないと思っています。
自由ということは当然、好き勝手に使われるわけで、その中には倫理的に疑問を持つようなことも出てくるでしょう。犯罪に利用するのはやり過ぎだとは思いますが、遊びの範囲であれば、くだらなくてもできた方が良いと思います。

ビットコインに関しても同じです。ビットコインでもレイヤ2の話が出ています。ビットコインでレイヤ2が実現できるのは面白い試みだと思いますが、オーディナルズはほとんど遊びでしか使われてないようです。それで物議を醸し出していますが、これも自由であるが故の出来事であり、このくらいの許容度がないと廃れていく可能性があります。

インターネットが広まった一つのアプリケーションとしてエロがあったというのは事実だと思います。人は欲望にはなかなか勝てないものです。流行りのミームコインもギャンブルと同じでついやってしまう類のものなのでしょう。品行方正な高尚な人たちは、利用目的は意味のあるものでないとダメだとよく言いますが、そんな杓子定規に生きている人ばかりではないし、楽しいことは禁止されたくないと思っています。

イーサリアムも一部の主導者の意思で、真っ当な使い道しか使えないような制限が加わると、それは暗号資産の根本思想に反することだと思うので、そうならないことを願っています。主導的なメンバーが嫌悪感を抱こうと、使う側がやりたいと思うことができる余地は残っている方が望ましい気がします。
そういう面ではビットコインの方が良さそうに見えます。ビットコインはイーサリアムに比べると主導している集団が弱いというか、ほぼないので、変な制限を加える可能性がある人の集団が少ないように思えるからです。もともとレイヤ2という発想はビットコインにはなかったと思うので、技術的にサブチェーンを構築するのはイーサリアムよりやりにくそうですが、できることの自由度が高いとなると、人はそっちへ移動する可能性があります。

上記に引用した記事にも書かれていますが、イーサリアムは今後、使われ方にまで口を出すのか出さないのかという難しい課題に向き合わなければならなくなるかもしれません。それこそが人の集団が作るもの、という意味では人間臭いプロジェクトなのですが。
今の所、アルトコインの中でもイーサリアムは一番の勢力があり、開発者も多い。可能性を多分に秘めたプロジェクトです。まだまだ実験段階という感じではありますが、このまま健全に進化していって欲しいというか、変に品行方正にはならないことを望んでいます。そうなると頓挫する可能性が高くなる気がするからです。ミームもアリで良いのではないでしょうか。
あまりにも正しいことを声高に主張すると、現実的ではなくなり、みんなから嫌われ、結果としてアメリカでトランプが人気があるように、分断化されていくような気がします。暗号資産はなんでもありの混沌感を保ってもらった方が面白いと思うので、品行方正な民主党左派には大人しくしていていただきたいものです。

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