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映画技法講座4「Single-camera setup」

 今回は、なぜ映画の撮影はSingle-cameraでなされるのか、なぜMultiple-cameraで一気に撮影してしまわないのか、についてお話ししたいと思います。

キャメラが映ってしまう

 複数台のキャメラで同時に撮影されるものの中に、スポーツ中継があります。スポーツを扱う映画もたくさんありますが、それが全面的にマルチカム収録されることはほぼありません。しかし、もし仮に、マルチカム収録されたらどうなるでしょう。次の動画にヒントがあります。

  そう、キャメラが映り込んでしまいます。なぜなら、それらのショットは中継のように望遠レンズで遠くからとらえられたものとは異なるからです。たとえ、被写体のサイズが同じでも、被写体の近くから撮影された画と、望遠レンズで遠くから撮影された画とでは、全くの別物です。
 われわれ観客は、それが近くから撮影されたものか、あるいは、遠くから撮影されたものか、たとえ光学的な知識を持たずとも、わかってしまうのです。

 このCMでは、バッター側に寄り添う視点から、いつのまにかピッチャー側に寄り添う視点へと長回しで変化していきます。当然のことながら、フィールドにキャメラが入らずして、このショットは撮影できません。そして、このような視点の変化は、何よりも被写体とキャメラの距離によって表現されているということが重要なのです。つまり、登場人物の視点で物語るということを考えるとき、キャメラは被写体に近づかざるをえません。

 もちろん、これは前回お話ししたShotReverseshotにも同じことが言えます。即ち、ShotReverseshotの切り返しにおいても、Multi-cameraで撮影されることは稀です。なぜなら引きの画にクロースアップを撮影するキャメラが映ってしまうからです。

『ファウンテン 永遠につづく愛』(ダーレン・アロノフスキー)のメイキングから、レイチェル・ワイズとヒュー・ジャックマンをそれぞれ正面から構図逆構図で切り返すショットの撮影風景(4:58~)です。

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 ご覧のように、ヒュー・ジャックマンを見つめているはずのレイチェル・ワイズは、レンズを覗き込まなくてはならず、キャメラに本来いるべき場所を奪われたヒュー・ジャックマンは、その脇でレイチェル・ワイズとセリフのやりとりをしなければなりません。当然のことながらMulti-cameraで、逆構図のヒュー・ジャックマンを撮影することも、向かい合う二人の引き画を撮影することもできません。

 ちなみに、この(キャメラに場所を奪われてしまう)不自然さを皮肉ったのが『バッファロー'66』(ヴィンセント・ギャロ)のテーブルシーンでしょう(視点人物のいた場所にキャメラを置くことで、不自然を自然に見せるのがセオリーですが、ここではわざとキャメラを引いて、実は視点人物がいないことを強調し、その不自然を不自然なまま見せています)。もちろん、これもMulti-cameraで撮影することはできません。

ライティング

  では次に『L.A.コンフィデンシャル』(カーティス・ハンソン)、ラストの切り返しを見てみましょう。

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 この角度であれば、如上の構図逆構図を同時に撮影しても、それぞれのショットにもう一台のキャメラが映り込むことはありません。しかし、そのようには撮られていません。ここでもまたMulti-cameraで撮影することはできないのです。なぜでしょうか。
 見てのとおりライティングが異なるからです。エド(ガイ・ピアース)越しのリン(キム・ベイシンガー)の(OTS)ショットは、リンに逆光があたっていて彼女のブロンドがハイライトで縁取られています。しかし、その逆構図であるリン越しのエドでは、逆に、エドに逆光があたっています。
 もちろん、これはリンのブロンドを美しく見せるためのものです。リンのバックの人物には順光(太陽光)があたっているので、この逆光はライティングされたものだとわかります。
 もし、これをこのまま2台のキャメラで撮影すると、逆構図のリン越しのエドは、エドよりもリンの後頭部が光り輝いて目も当てられないことになるでしょう。それでも2キャメで撮るというのであれば、どちらのショットでも許容できるフラットで退屈なライティングにするほかありません。

French Reverse/French Turnaround/場所を盗む

 この映画で、私にとっていま一つの革新となったのは、屋外での、切り返しによるショットの撮り方だった。すなわち、二人の人物が向かい合って話をしていて、キャメラが彼らを交互にとらえる場合だ。日が照っている時には、彼らの一方は正面から日差しを受け、もう一方は背後から、逆光でそれを受ける。このため、編集では光の強さにアンバランスが生じてしまい、目障りな感じになってしまう。〔……〕逆説的なことに——そして、私の現実主義的な「モラル」にはまったく相反して——私たちが見出した解決法は、双方の俳優を同じ場所で、ともに逆光にして撮影し、その際、目線の一致にだけ注意をするというもので、これは、私が『日差しの中の女たち』の一シーンで犯したミスをヒントに考えついたものだ。こうすれば、人物も背景も同じ程度の明るさになり、編集でのショットの交替もスムーズに進行する。当然ながら、この場合には、現場の土地が一面の小麦畑であり、そのため、構図も逆構図も同一になったということが、こうした手法に好都合なのだった。時おり、私たちは一方の人物を午前中に、もう一方の人物をごごに撮影することがあり、そのため、太陽が位置を変えて、どちらのショットでも人物の背後にあるということになった。向かい合った人物がともに逆光になる?地球に二つの太陽が現れたのだろうか?『天国の日々』を見た人は、誰もそんなことには気づかなかったと思う。

ネストール・アルメンドロス『キャメラを持った男』(筑摩書房)p211~2

『天国の日々』(テレンス・マリック)を撮影したネストール・アルメンドロスが語るエピソードです。
 引用箇所後半、「向かい合った人物がともに逆光になる」のは、『L.A.コンフィデンシャル』のケースと同じですが、前半部分の背景を変えてしまうテクニックは、French Reverse/French Turnaroundと呼ばれるものです(日本の現場では「場所を盗む」という言い方をします)。
 向かい合っているはず人物を、それぞれ同じ場所で同じ方向を向いてもらい撮影する。ただし、同じ方向であっても、目線の一致にだけは注意をする。これは前回お話しした、異空間であっても、そこにイマジナリーラインを存在させる構図逆構図があれば、つながって見えることと考え方は同じです。この場合、向かい合っていない同じ空間であっても、そこにイマジナリーラインを存在させる構図逆構図があれば、向かい合っている空間に見えるというわけです。もちろんこれがMulti-cameraで撮影できないのは、いうまでもありません。
 このFrench Reverse/French Turnaroundとは、落語でいうところの「上下(カミシモ)を切る」テクニックと似ています。イマジナリーラインを存在させる噺家の「上下(カミシモ)を切る」構図逆構図さえあれば、二人の人物が向かい合っているかのように見せることができるのですから。

 以上、大きく3つの理由から、Single-camera setupが選択されます。もちろんこれら3点がクリアできれば、Multi-cameraは可能です。

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