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映画技法講座2「上手と下手(配置)」

 前回の内容を一言でいえば、上手から下手の動線が順路に、下手から上手の動線が逆路になるということ、それだけです。それだけですが、それだけで、どれだけのことができるのかをこの全2回で紹介したいと思います。今回はその2回目、配置にフォーカスしてお話しします。

天使

『天使』(エルンスト・ルビッチ)。
 英国外交官パーカー卿(ハーバート・マーシャル )の妻、マリア(マルレーネ・ディートリッヒ )は、夫に内緒でパリに行き、そこで出会ったアンソニー(メルヴィン・ダグラス)とディナーを共にします。必死に口説こうとするアンソニーに、決して名前を明かさないマリア、彼は彼女を「天使」と呼ぶのでした。
 この関係では、明らかにアンソニーからマリアへのベクトルが優勢です。さてルビッチは、その二人をどのように配置したのでしょうか。
 サロンでも、レストランでも、公園のベンチでも、常にマリアを下手、アンソニーを上手に座らせています。

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 その一方で、パリから戻ったマリアと、その夫、パーカーは、どのようにフレームに収められるか。
 常にではないのですが、親密なシーンでは必ず、パーカーが下手、マリアが上手に配置されます。アンソニーに惹かれながらも、夫を愛しているマリア。しかし、仕事で多忙を極める夫は、相手をしてくれません。パーカーとマリアとでは、明らかにマリアからパーカーへのベクトルが優勢です。

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 そして実は友人同士であったアンソニーとパーカーが再会し、パーカーは彼の言う「天使」が自分の妻とはつゆ知らず、アンソニーを自宅に招待します。ルビッチは、三人が一同に会する席をどのように配置したのでしょうか。

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 当然のように、下手にパーカー、中央にマリア、上手にアンソニーが配されています。さて、これらの厳格な配置が一体どのような効果を生むのでしょうか。

 前回解説したのが動線の上下(カミシモ)なら、今回は視線の上下(カミシモ)です。
 上手から下手の方向が順路で、下手から上手の方向が逆路であるなら、『天使』での視線(恋情)のベクトルは、順路で統一されています。恋するものが常に上手に位置し、下手の人物に熱い視線を投げかけます。その視線のベクトルが、上手から下手の順路に重なるのです。

 そして、ここからが重要なのですが、アンソニーに対するときのマリアは常に顔の右側面、パーカーに対するときのマリアは常に顔の左側面を、観客に見せることになります。人間の顔は左右対称ではないので、顔から受ける印象も当然異なり、その違いがディートリッヒの演じ分けを助けることになるのです。

ミルクの中のハエ

 もちろんディートリッヒの顔は左右対称に近いでしょう。人間の顔を平均化していくと、つまりは左右対称に近づけると、より美しく感じられるのはよく知られているとおりです——コイノフィリア。
Average faces of men and women around the world

 しかし、完全に左右対称の顔がありえないこともまた事実です。
「右半分の顔」と「左半分の顔」は全然違う

 人の顔は、平均に近づけば近づくほど美しくなりますが、魅力的に感じるのは、平均から少しだけ外れた顔だと言われています。「少しだけ」というところがポイントで、要はコントラストの話。平均、左右対称の美しさを際立たせるために、外れた部分が必要なのです。
 これは17~8世紀に流行した白い肌を際立たせるための付け黒子(ミルクの中のハエ)の考え方と同じで、撮影技術で言えば、ナイター(ローキー)撮影の考え方と同じです。暗さを表現するのに、本当に暗くしてしまっては何も見えません。なので見える程度には明るくしなければなりません。しかし、ただうす暗いだけのナイターは、観客の眼が徐徐に慣れてきてしまうので、さほど暗いと感じなくなります。そのためナイターにはハイライト(もちろんその面積は「少しだけ」)が必要なのです。
 白い肌を際立たせるための黒子、暗さを際立たせるためのハイライト、シンメトリーを際立たせるためのアシンメトリー。

Design for Blocking

『天使』の場合、空間の癖を活かした上下(カミシモ)の配置はむしろ口実にすぎません。なぜならその上下(カミシモ)の配置が、たとえ逆であっても——たとえ順路と逆路が入れ替わっても——同じように、上下(カミシモ)の振り分け(方向性が統一されていること)が、ディートリッヒの演じ分けに寄与するだろうからです。空間の癖/傾向はとりあえずの拠り所でしかなく、それよりも重要なのは、上手と下手にそれぞれ別の意味を割り当て、統一することにあります。

 では、同じくルビッチの『生活の設計』(Design for Living)はどうでしょうか。こちらも、ひとりの女(ミリアム・ホプキンス)をめぐる、ふたりの男(ゲーリー・クーパー、フレデリック・マーチ)を描くラブトライアングルの映画です。しかし、そこには『天使』にあるような上下(カミシモ)の描き分けが存在しません。なぜでしょうか。

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 それは、彼女にとって彼らが交換可能な存在だからです。同じラブトライアングルでも『天使』のようなベクトルは存在しません。あるとすれば、彼らから彼女という頂点にのびるベクトルでしょう。ゆえに、むしろ——交換可能な存在であることを強調するために——彼らの上下(カミシモ)が固定されないようブロッキングされているわけです。

天使の卵

 私自身、これもまたラブトライアングルの映画『天使の卵』(冨樫森)を撮影した際、事前に監督と話し合い『天使』のブロッキングを参考にしました。『天使の卵』は男1女2のラブトライアングルで、『天使』の女1男2のそれとは異なりますが、男女がちょうど入れ替わっているだけでベクトルの構造は同じです。
 ハーバート・マーシャル(下)←マルレーネ・ディートリッヒ←(上)メルヴィン・ダグラスの視線(恋情)のベクトルが、小西真奈美(下)←市原隼人←(上)沢尻エリカに変わっただけです。

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 また、執筆時公開中の『リスタートはただいまのあとで』(井上竜太)では、常に大和(竜星涼)が下手、光臣(古川雄輝)が上手になるように配置しています。これはマンガの原作にもあるセリフを活かすために仕掛けてあるもので、それを観客にも納得してもらうには、位置関係を統一し、繰り返し提示し続けること(刷り込み)が大事になるわけです。


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