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映画技法講座8「POV」1/2

  今回は、POVショットについてお話しします。Point of view shot、視点ショット、主観ショット、日本の現場では、見た目ショットと呼ばれるものです。キャメラを登場人物の視点に見立てて撮影されたものをそう言います。具体例で見てみましょう。

主人公のPOV

『フェリスはある朝突然に』(ジョン・ヒューズ)

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 病気のフリをしたフェリス(マシュー・ブロデリック)の部屋に、心配する両親と、仮病だと知っている妹がやってくるオープニングシーンです。このシーンだけで観客は、フェリスがこの映画の主人公だ、と了解できます。なぜでしょうか。
 このシーンを構成するPOVショットが、全てフェリスのものだからです。逆に言えば、このシーンを妹のPOVショットで構成すれば、彼女を主人公にする映画にすることもできるということです。
 POVショットが主人公に限られるというわけではありません。映画は、どの登場人物の視点も許容しますが、それでもやはり、主人公のものが多くなってしまいます。なぜなら、POVショットはその主観人物への感情移入を促すからです。

H:〔......〕客観というのは舞台のことだからね。つまり演劇だよ。我々というのは、舞台の人物を見ている客だ。我々は彼らと一緒のところにはいない。我々は相手の観点で見ることはない。
 
I:だから、あなたはカメラを、見る人間の心の中に置くのですね。
 
H:そら、若い映画監督はよくこんなことを言うだろう。よし、観客がカメラになるようなシーンを撮ろうじゃないか、とね。これは紋切型の中の最たるものだ。ボブ・モンゴメリーは、「湖中の女」(47年米)という映画でこの紋切型を実行してみせた。そんなことをする必要はないのに、だ。目的の人物のクロースアップを撮るだけでいいのだ。知っての通り、これはトリックであって、それ以上の何物でもない。クロースアップとその人物の見ているものを撮るだけでいいんだ。彼らと一緒に動いて——好きなように動かしていい——彼らにどんな経験でも——それこそ何でもよい——をさせればいいんだ。

              A・ヒッチコック『ヒッチコック映画自身』

 ヒッチコックによって否定されているように、いくらPOVショットが観客の感情移入を促すとはいえ、観客がキャメラになるような紋切り型は避けた方がいい。POVショットだけで撮影された『湖中の女』(ロバート・モンゴメリー)は、スラヴォイ・ジジェク曰く、密室恐怖症的な感覚を観客に与え、失敗作の烙印を押されています。

 次に、同じく一人称キャメラで、ガイ・リッチーがNIKEのCMをつくっているので見てみましょう。

 どうでしょうか。この尺だったので、それぞれ面白く見れたと思いますが、これが長尺だとして映画館のスクリーンで見なければならないと想像してみてください。限定された視界が与える密室恐怖症的な感覚というのが、いくらかわかるのではないでしょうか。
 次に、おそらくこのCMにインスパイアされたであろうKIRINのCMを見てみましょう。

 ゲームでいうところのFPS(First Person Shooter)がNIKE、FPSとTPS(Third Person Shooter)、二種類の視点を切り替えているのがKIRINではないでしょうか。一人称に限定された息の詰まる視点だけでなく、三人称でありながら主体に寄り添った、あたかも背後に幽体離脱したかのような半主観的な視点が巧みに利用されています。

隠される主体

 POVショットの特質として、あくまで主観を見せるショットであり、主体を見せることはないという点があげられます。KIRINのCMも、それを活かした(NIKEでは架空のサッカープレイヤーとして最後まで隠したままであったのに対し、ラストで香川真司であったと明かす)ストーリーテリングになっていますが、完全にPOVショットに限定すれば、さらにその効果は強調されます。
 KIRINの香川をブラジル出身のバレエダンサー、イングリッド・シルバに置き換え、種明かし以前を全てPOVショットで構成すると次の動画のようになります。

 映画では『底抜け大学教授』(ジェリー・ルイス )のPOVショットがまさにそれでしょう。

 POVショットでとらえられる人々は、怪物のような主体の容貌に目を奪われているに違いない、と観客は信じて疑いません。なぜならPOVショットは、主体を見せないからです。
 同じく、隠される主体というPOVショットの特質と、私たちの賢しらを見事に利用したPSAを次に見てみましょう。

 さて、ここまでがゲームでいうところのFPS(POVショット)とするなら、最後にTPS、即ち、半主観的な視点で描かれているものを見てみたいと思います。

 このショートフィルムでもやはり、画面から奪われているものを、最終的に見せることで観客に作用するなにかが、目論まれています(KIRINのCM、Ingrid Silva、『底抜け大学教授』、It's timeの全てがそうです)
 ただし、この『BACKSTORY』が他と異なるのは、主要部が、TPS的な、半主観的なショットによって構成されているところでしょう。その半主観的なショットが画面から奪うのは、客観的なショット(主体の顔)のみならず、POVショット(キャメラを見つめる妻)でもあることが、この作品を独創的なものにしています。つまり、半主観的なショットでは、観客が妻に見つめられることはないのです。
 作り手はこのように、何ができて何ができないかに意識的でなければなりません。







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