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映画技法講座7「Graphic match」


Graphic match > Eyeline match

 イマジナリーライン越えを語るのに、小津に言及しなければ片手落ちでしょう。

『秋刀魚の味』(小津安二郎)。

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 平山(笠智衆)も、河合(中村伸郎)も、下手(同方向)を向いています。なぜこのようなことをするのでしょうか?
 諸説ありますが、やはり厚田キャメラマンによる次の発言がもっともらしく思われます。

厚田 たとえば二人でテニスしてたとしますね。ふつうは、テニスをやってる二人を、同じ側に置いたキャメラで撮った画面を繋げる。それで、向かい合ってボールを打っているように見える。ところが、一人のラケットは向う側になって二人のラケットの大きさが違ってしまう。目線は合ってるけど、画面のバランスがこわれてしまうわけです。だから、一人を右側からとり、相手の方も向かって右側から撮ってつなげると、ラケットの大きさは変らない。だから画面のコンポジションは変らないけど、目線が合わないって感じになるんです。
 しかし、小津さんが大事にされていたのは、目線が合ってるか合わないかってことじゃなくて、それも大切ですが、それよか、コンポジションのバランスが画を繋げたときに守られてるかどうかってことなんです。たとえば、二人の人物を切り返しで撮るとします。向かいあって何か話してるとします。それをバスト・ショットで胸から上を撮ると、男優と女優では顔の大きさが違うから、一人ずつ撮って編集すると、顔の大きさのバランスが崩れちゃいます。佐分利信って人は、割合顔が大きいんですよ。だから『お茶漬けの味』で彼が木暮実千代と向かいあってるショットでは、彼の方を三フィートの距離から撮り、木暮を撮るときは、キャメラを二・五フィートに近づけます。

             『小津安二郎物語』(厚田 雄春、蓮實 重彦)

 小津にとってアイライン・マッチが要請する構図-逆構図は、バランスが崩れていて受け入れがたい。
 つまり、小津にとってバランスのよい繋ぎとは、アイライン・マッチした構図-逆構図ではなく、アイライン・マッチを犠牲にした構図ー構図(グラフィック・マッチ)なのです。
 付け加えるなら、小津のキャメラは低い。ローポジション、ローアングルで撮られたバストアップの人物の視線は、キャメラの上を行き交います。ゆえに、被写体のアイレベルで撮られる通常のポジションよりも、小津のローポジション、ローアングルはアイライン・マッチの拘束を受けにくいというわけなのです。 

観客が混乱しなければ、イマジナリーラインの法則に拘る必要はない


 構図-構図を好むのは小津の流儀ですが、作家のスタイルとは関係なく構図-構図が要請されることはないのでしょうか。
『花様年華』(ウォン・カーウァイ)

花様年華

 狭い廊下でチャン(マギー・チャン)とスーエン夫人(レベッカ・パン)が、すれ違い様に会話します。その構図Aのショットの次に、イマジナリーラインのルールを守り逆構図に繋ぐとすると、B’の位置にキャメラを設置しなければなりません。セットであれば廊下の壁を外して、B’の位置から撮れなくもありませんが、たとえそれが可能だとしても美しくありません。なぜなら、スーエン夫人の背景は一面の壁になってしまうからです。
 このように構図A-逆構図B'の切り返しでは、背景のバランスがとれなくなってしまいます。しかし、構図A-構図Bの切り返しなら、どちらの背景も廊下のパースになります。
 たしかにイマジナリーラインを越えてはいますが、前回述べたように単独ショットではなくナメのバストショットなので、観客の混乱はほぼないと言っていいでしょう。むしろ構図(廊下のパース)-構図(廊下のパース)の安定感で、構図(廊下のパース)-逆構図(一面の壁)よりも自然だと思われます。

『シャイニング』(スタンリー・キューブリック)の次のシーンも、イマジナリーラインを越えている例として、よく参照されますが、これにも『花様年華』と同様のことが言えるでしょう。

互い違いの配置

 ここで再び小津に戻りましょう。『父ありき』の1シーンです。


父ありき

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厚田 小津さんの映画では、よく、正面から向かいあった人を正面から取るだろうなんて思われていますが、本当はそうじゃあないんです。ロングで見ると真正面に向かいあっているみたいに見えますが、実際はずれている場合が多い。『父ありき』の撮影風景を上から撮った写真が残っているんで有難いんですが、笠智衆と佐野周二は互い違いに座ってます。そこから、あの独特な視線が出てくるわけです。

             『小津安二郎物語』(厚田 雄春、蓮實 重彦)

 厚田キャメラマンの証言どおり、小津の登場人物は正対しているように見えて実はずれています。それは『秋刀魚の味』の例でも同じで、笠智衆と中村伸郎は互い違いに座っているのがわかると思います。
 これは、狭い廊下をすれ違うには互い違いにならざるをえず、そこで会話が始まれば、構図-構図(グラフィック・マッチ)で切り返さざるをえない『花様年華』/『シャイニング』と同じ体勢です。
 背景に正対する体と、相手に正対する頭、この捻りが、小津独特の目線、グラフィック・マッチの秘密のようです。

映画の嘘

 最後に、構図-逆構図(アイライン・マッチ)の『ドラゴン・タトゥーの女』(デヴィッド・フィンチャー)と、構図-構図(グラフィック・マッチ)の『ハンナ』(ジョー・ライト)を比較してみましょう。

ハンナ

 どちらもシネマスコープサイズで撮影された、横になって向かい合っている二人の切り返しです。
『ドラゴン・タトゥーの女』はアイライン・マッチしていますが、それゆえ切り返す度に二人の顔が逆さになります。劇場のシネマスコープの大画面では煩わしいことこの上ないでしょう。
 一方『ハンナ』は構図ー構図(グラフィック・マッチ)で撮られているので、顔の向きが統一されていて見やすいのですが、しかし、これは実際にはありえない不自然極まりない切り返しなのです。少し考えればわかるように、ハンナ(シアーシャ・ローナン)とソフィー(ジェシカ・バーデン)が、それぞれ場所を入れ替わり撮影されています。

 とは言え、それに気づいた人がどれだけいたでしょう。これこそ、痛快この上ない映画の嘘ではないでしょうか。



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