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人生(たび)の空から①

 四月を迎え、幾分か暖かくなった札幌の街。ひとりの男を待つために札幌の駅に降り立った。日陰には雪がちらほらと残る舗道を歩いていつもの喫茶店へと向かった。

 店の奥、窓際に並んだふたつの大きなスピーカーからはジャズの名盤が身体を芯から揺さぶるような音量で流れ、わたしはスピーカーからほど近い席で時間つぶしの週刊誌を読み、“名店”の情報サイトを眺め、何本かの煙草を灰にして男を待った。

 店内を流れるアルバムが何枚目かに差し掛かった頃に男は現れた。ダブルのスーツに身を包んでニヤついていた。
「どもッッス………………………」
 わたしたちは久方ぶりの再会を祝す間もなく、猥談へと。ジャズの音が大きく響く喫茶店で互いに耳打ちをするかのように。

 午後六時。“歌を歌い”に行くには幾分か早い時間帯だったので、しばらく喫茶店で時間を潰してから街に出た。金曜の夜、街はにわかに浮足立ち、わたしたちもこれからの数日間の“恣”の日々を前にして気持ちが少しづつ昂るのだった。

※恣にするのに忙しかったのであまり写真を撮っていない。文章ばかりの投稿をご容赦いただいたい。

 目星をつけていたスナックが開いていないことが分かると、他の店に足を運んだ。店の入るビルが家賃が高そうだったので少し不安になりながらも入店。「準備をしながらで良ければ」とショートカットの似合うママが行ってくれて、客がわたしたちだけの店内でデンモクを片手に歌い始めた。
 男は松山千春の“人生の空から”を歌い、しばらくは“北海道しばり”の選曲で歌ったかのように覚えている。それから二時間ほど歌い、お店の勘定もいつもの予算に比べると幾分か高価だったこともあり、店を出た。

 街はいよいよ、仕事を終えた人々でにぎわい、わたしたちはすすきのから少し外れた狸小路商店街のバーへと向かった。
 この店はバーではあるのだが、フードがめっぽう美味い。お通しのボリュームも大きいためにピザとサラダを食べた後、まったく腹いっぱいになってしまった。
 このまま夜を終わらせるのも、なんとなくさみしいものだし、これまた別のバーへと向かった。会社事務所など入る一見ふつうの雑居ビルの地下。薄暗いが広々とした店内には先客がちらほらと居て、わたしたちは奥のテーブル席、これまた先ほどのジャズ喫茶と同じようにスピーカーのすぐ近くに座って、店内を流れる70年代のソウルに耳を傾けた。
 明日のことなどを話すこともほどほどに、わたしたちは音の中を埋もれていった。
 店内にターンテーブルを設置し、その後ろに大きなレコード棚を持つこの店は、ソウルがメインだが、しばらくすると昭和歌謡やジェイ・ポップの渋い名曲が流れることもあった。
 「柳ジョージとか聴きたいっすね(ニチャ)」とか冗談を言っているうちに桑田佳祐の“簪”が流れ始めて、そのうちに越路吹雪のサン・トワ・マミーなどが流れた。その頃にはわたしの眠気もかなりのものになっていたので、吉田美奈子の歌が何曲か流れる間に退店した。

 日が変わっていくらか経った頃、宿にチェックイン。札幌か数十分で家に帰れるのに宿を取るのはアホらしいことといえばアホらしいが夜を恣(ほしいまま)にするためには電車の時間など気にすることはできない。

 すすきのの外れ、数軒のソープランドが立ち並ぶ通りの裏側にある安いホテル、風呂を浴びて眠ろうとした頃、隣の部屋がにわかに騒がしくなった。二度ほどフロントに電話をかけて注意をしてもらったはずだが、結局、朝の5時か6時頃までうるさいままだった。わたしは幾分かの絶望を覚えて、男に朝の“活動”に同行できぬ旨を謝る電話をかけた後、チェックアウトの時間まで短い睡眠をとった…

 男がこの街のどこかで愉悦の時を過ごす頃、わたしは目を覚まして宿を後にした。昨日と同じジャズ喫茶のすぐ近くで、眠さと倦怠感を覚えたままに牛丼を食べて、ジャズ喫茶に入店。濃いブラック・コーヒーと何本かのキツい煙草、そして身体を芯から揺さぶるジャズの音色に少しだけ元気を取り戻した。

 男がやがて合流。艷やかな顔に満足そうな笑顔を見せて、あれこれと話してくれた。なぜ艷やかだったか、なぜ満足そうだったかについてここに記してしまうのはまったく野暮というものだろう。わたしはしきりに同行できなかったことを悔やんだ。この数日間の間に彼と同じ法悦の境地に達したいものだと強く思った。
 男には、「札幌に住む昔なじみの女」との逢引があったため、わたしは彼を時計台の近くまで送った後、あまりの疲れからネットカフェに入った。
 このご時世、席で喫煙可のネットカフェは春らしくもないじっとりとした空気が漂い、薄暗く、まるでこの街の底の底に居るかのようだったが、料金は驚くほど安くて、数時間身体を横たえるに申し分のない場所だった。

 ネットカフェで数時間横たわったのち、幾分か体調の整ったわたしはロレックスの店を冷やかしてみたりしながら男との集合を待った。男が戻ってきて今夜の晩飯を共に考えてみる。

 「ジンギスカンなんか一口二口目が美味いだけで飽きるっすよ❗」などと怒られそうな言葉を吐きながら向かった場所はタイ料理を提供する居酒屋。この店は面白い場所にあって、すすきののど真ん中の雑居ビル、まあそれはふつうだがソープランドが階上に3つも入っているビルに入っている。ちなみに3つあるソープランドのうちひとつは去年、摘発を受けたはずだがいつまで経っても看板が掲げられている。そして、このビルの地下にはファイヤーキングのカップでコーヒーを飲ませてくれるソウル・バーもある。
 
 タイ料理屋でカオマンガイに舌鼓を打ちながら“なじみの女”との逢引についてねっちょりと話を聞いた。カオマンガイが美味すぎて「札幌来たらやっぱりこれですよ❗」などと口走ったが、当然、札幌に来て食べるべきはカオマンガイではなくてプースーカレーやジンギスカンや海鮮や味噌ラーメンなどその類だ。
 これもまた怒られそうな発言になり恐縮だが、北海道名物とされる料理の多くは美味しいには美味しいが、味が単調な傾向にある。近畿の食文化圏に育ったわたしにとっては尚更だ。こう偉そうに言いながらわたしは週に3度はバーガーキングでワッパーを食べているから口を噤むべきだ。
 
 カオマンガイの後、地下のソウルバーが休業日であることを確認して、また十分ほど歩いて昨日と同じバーへと向かった。名店とは罪なもので、新たな街歩きの可能性を奪ってしまう。街を東西南北と彷徨ってみても名店は数店しかないものと相場が決まっているから、結局はいつも同じ店に腰を落ち着けてしまう。

 一日目とは打って変わって、わたしたちはカウンターに腰掛けた。男はウイスキーをロックで飲んで、わたしはなんたらかんたらという珍しいシロップが入ったソーダを頼んだ。音の中に揺蕩い、数杯目のグラスが半分ほどになった頃、岡林信康の「山谷ブルース」が流れ始めて、にわかに興奮した。興奮も冷めやらぬうちに藤圭子の「新宿の女」が流れ始め、この店のマスターに心を読まれているのではないかと錯覚した。念の為、告げておくと別にリクエストしたわけでもない。
 それからしばらく店にいるうちに昨夜ろくに眠れなかったこともありわたしはまた眠気の中に吸い込まれそうになっていた。
 明日はなぜか車を借りて真狩方面へと行くことが半ば決まっていて、集合時間などを手短に決めたあと、男と別れた。

つづく

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