見出し画像

眠れぬ夜に夕日を思ふ。

美しいものは壊れていく様すら美しいんだと知った。
比べて私はどうだろう。
憂鬱に押しつぶされるくらいなら薬を飲んで眠ってしまえばいいんだと、気味の悪いオレンジ色の錠剤を摘んだ。
思考はどんどんそのオレンジの微睡みに奪われてゆくし、そういえば最後にゆっくりと夕陽を眺めたのは何時だっただろう。
日が沈むように、私も眠った。
以前私はどうしようもなく果てしない何かに押し潰されそうになったとき、途方に暮れて眠り続けた。
私の体が私の思考を止めて、この世界から切り離して私自身を守ろうとしているのがわかった。
けれど、私は今回その術さえも奪われてしまって、カモミールティーの薄黄がかった色に、香りに、気分が悪いと感じながら窓からまた足を投げ出してブラつかせた。

飲まなくてはいけない薬が、1.2.3...
数えるのを辞める。
どうしてこんなにも普通に生きていくのが難しいのか。
別に特別なものなんて、何も望んでは居ないつもりだったけれど、何も望んで居ないと思っていることが、きっと既に傲慢で、私は強欲だと知った。

描くことが好きだったはずが、いざ久しぶりに描こうとしたら、私にはもう何も描けなかった。
この世界に訴えたかった、あの煮えたぎるような
、焼き尽くすような、そんな何かは、この数年のうちに鎮火されてしまって...

もうどうでもいいからほっといて。

そう1人で人の目を盗んで職場で呟いたことを思い出した。
あそこでの私は、きっと誰にも何も望まない代わりに、自分にも何も望まないで欲しかったんだと思う。
そんなんじゃ、もう終わりだ。

4月に好きな人とみた桜を思い出した。
桜はちゃんと満開で、満開の桜はあまりみ見た記憶がないな、と思いながら歩いたこと。
その桜は当たり前のように見る影もなく散り去って、当たり前のように青く茂っている。
もう8月だというのに、あの日がまるで数週間前のように感じてならないから、また、私はどんどん世界に取り残されていく。

そんなことを繰り返して、私の中身は、本当は今は幾つなんだろう?
守りたいだとか、守るとか、カッコつけたことを抜かすけれど、結局最後は自分すら救えずにまた地面に這いつくばっているんだから、ほんとうに自分がどうしようもない奴に感じる。

医師は、「しっかりしないと」と、全てにおいて自分を追い込みすぎたんだろうと言ったけれど、自分の足で立って、お金を稼いで、自分の生活を保証する。
それって果たして「しっかり」なのか?
皆が当たり前にやってることじゃないか。
普通や当たり前に押し潰されそうになりながら、消えてしまいたいと願い、視界の隅にいつも見える「死にたい」の標識を見て見ぬふりしてをして、生きて、生きて、生きて。
果たして幸せだっただろうか。
苦しかった、辛かった。
それは、今も変わらずに。
それだけではない、温かい記憶が沢山ある。
彼の元に帰りたいという温かい何かに私は結局生かされてた。

視界の隅の標識を無くすことは、ここまで来てしまうとなかなかに難しいらしいし、そんな中で、1人で生きていけなくとも、誰かと支え合えればいいと優しく言葉を掛けた友人が居たが、1人で立って歩めないという事実が、毎日心を蝕んでいくのがわかる。
だからまた、オレンジの粒を摘んで...
そんなこと繰り返したってなんの意味もない、その場しのぎでしかない。
その場しのぎでも貴方が生きていてくれればいいと言って貰えたとしても、私が生きることに地獄を感じることは代わりない。
せめて美しく壊れていきたいと思うけれど、私の壊れていく様は、どの角度から見たって、歪で荒んだものだと、散る桜を思ふ。
オレンジの錠剤を、夕日の代わりに、ただ眺めた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?