私はいつだって非凡で平凡だった。
普通の振りをして生きるのは難しくて、きっと少しズレた奴だと思われてると思う。
隣を歩く先輩達に、気が付かれないように気を付けながら、花弁を踏む。
非凡というには私はきっとありきたりで、私みたいな奴なんて幾らでもいると思うけど、私は確かに私で私以外にはなれない。
深夜12畳程の広い実家の自室で夢をみていた24歳の私が、どんなものだったかは最早覚えてすらいない。
6畳の狭い1Kで、今を必死に見つめて、美しいものを愛でようと救い取ろうとする私が、ここに。
まだ24歳ではないけれど、なんだか。
かつて必死で描き殴っていた絵は最近はもう描いていないし、ノートに文字を綴れば綴るほど、その文字の醜さに嫌気がさして、ノートに文字を書くのを辞めた。
スマホというのは便利で、こうして文字を綴ることは辞めずに済んでいるけれど。
春は確かに来たし、桜は散ってゆくけれど、今はその葉が繁っていくのが恐ろしくて仕方ない。
季節は移ろって、私も移ろっていくけれど、それは確かに成長ではない何かだった。
人を愛するにも自分を愛してくれる人が居ないと上手くいかないものなのかも。
春の匂いがして、華金で周りの大人が楽しそうでも、私は転がっている空き缶を蹴り飛ばして、頭上のソメイヨシノを睨み付ける。
月が綺麗なことに気が付いて手を伸ばしたけれど、やっぱり届かなかった。
「お月様の呪い」
私の首からぶら下がったその三日月は、きっともう呪いに変わっていて、あの月の文字の入った名前を日常から失った私は、誰だ。
23時の電車は意外と混むし、なんだか嫌だ。
夜遅い電車は、いつだって人が少なくて、私を遠いどこか、誰かの所に連れて行ってくれると思っていたけれど、そんなことはないんだね。
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