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現実と向き合う力

向き合いすぎたから病んでるんですよとは言われるのですが()
まあそんな簡単なことではない。

久しぶりに兄からLINEが返ってきて
共感する部分もあり、嫌でも対峙しなければならない部分もあり、説明してたらややこしいんですけど。
逃げたって苦しみからは逃れられないのは確かなんですよね。増しはしますけどね。

長男は、私と感性が似ています。
それでいて、7歳上としての理路整然とした解釈も、理系なのに感情を加味するところも、よく出来た兄です自慢です(突然のブラコン)
だからこそ、説教とかは好きじゃないだろうけど、それでも説教はたぶん免れないよな。
私が傷付いたから家を出たとは言っても、娘に家出されて両親が無傷なわけではないからです。

うち創作でも確認できましたが、他人は「私だけ」に焦点を当てます。簡潔に言うなら、「私は友達」で、「私の父は他人」なわけです。
友達を他人に傷付けられた、だから味方しない。
時には悪態もつく。
それはとても自然ですが、私にとっては苦痛でした。
腐っても鯛です。
親を愛してる子どもなんです私は。
傷付けられて、家に居たくないと飛び出したとは言っても、「もう知らない」と切り捨てられない、愚かな子どもなのです。

兄は、
「周りがいくら、毒親だ虐待だ昭和から意識がついてきてないんだって言っても、やっぱり俺らは子どもだから、それじゃ納得はできないけど、親父が老いても子に従わないが困るは分かるわけ」
と言います。もーその通りです。
昭和の頑固親父の典型で、他人から見ればディスったところで何にも悪くないレベルの融通の利かなさ、話の通じなさ。
でも、私も、長男も、その頑固親父の子どもなんです。悪く言われたら嫌だと思うわけです。
ただちょっと適切な距離がおかしいのは認めないといけないけど。

長男を架け橋に、何とか最後の悪足掻きをしないといけない。こればかりは「~しなければならない禁止」では進まない。
兄とはいえ、家族のために口を開くとはいえ、そこに苦言はあるだろうし、その苦言に今の私のメンタルがもつかと言われると、大体NOに寄ります。
だって信頼関係がある長男と話(LINE)してるだけでもストレスが溜まるんです。無理寄りの無理です。
体がクソ痛いです。身体愁訴ですね。

それでも。
現実に向き合わずして、どうやって望みを叶えるというのか。

確かに恐ろしくはあります。
向き合いたくないです(本音)。
でも、逃げていたって変わらない。
長男が運んでくるのはチャンスなのです。

私だけでは叶わない望みを
叶えるタイミングというチャンスなのです。

精神状態を落ち着けて。
過呼吸を抑え込んで声を上げる。
恐怖を振り払って望みを言葉にする。
それに苦言を呈されても、聞かねばならない。
どんなに何を言っても、「私は被害者だから謝らなくていい」なんて厚顔無恥なことは言えません。
それを社会が是としても。

私たちにとっては、是だけの問題ではないのだから。

向き合う
勇気を
絞り出して……。

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