ぼやき

突然ですが
私はよく書物を読みます。
幼い頃から体が弱く、対人関係を経験する学校になかなか行けなかったり、いじめられたりしていたので、漫画の世界が、アチラサマとの会話が、家族が説法する食卓教育が、私の世界における知識のほぼ全てでした。

前記事に書きましたが
漫画の1フレーズがずっと頭にあり
何がそんなに引っ掛かっているのかと考えて
重石が乗った記憶がガコッと言った気がしました。

何が嫌だったんだろうか?
何を譲れなかったんだろうか?
33年ずっと庇ってきた存在に、何を裏切られて傷付いたのだったろうか?

正直、私は半年前の記憶がありません。
記憶力がズバ抜けていると言われる私が、『思い出せない』のです。
忘れたいのかもしれません。
ショックが強過ぎたのかもしれません。
半年前の記録には
『地元を離れる新幹線が動いて、大切なものから遠ざかるたび、5分ごとに、記憶が曖昧になり、自分が曖昧になり、現在地が分からなくなり、目的地がどこか分からなくなり、何のために歩いているのか分からなくなった』と書いてあります。
自分が誰か分からない。どこに向かっているのかも分からない。そもそもここがどこか分からない。
それほどまで心が細切れになったようです。
アチラサマが、『こっち、こっちに歩いておいで』と先を示してくれて、フラフラとついて行ったら、友人の家があって、『なかなか来ないからどうしたのかと思った』と言いたげな表情だったと
記録にあります。

氏神様が居なかったら、行き倒れていたのかもしれませんね。

それはさておき。
それだけ粉々になったのは何故だったのか
何故家を出たのか
なぜそんなにも嫌な思いをしたのか
長らく分からないままでした。
思い出せないから。

でも漫画の1フレーズがずっと問い掛けてくる。
もう少しで開くのかもしれない。
頭を捻って、唸って、考えてたどり着いたのが
『大切な人(家族)に、大切なもの(家族)の悩みを、「そんなくだらないことで一々悩まないで(意訳)」と言われたのが嫌だった』に
辿り着きました。

他人からどれだけ、毒親だ何だと侮蔑されても、そんなものはどうでもよかった。
では、『(他人から毒親だとか虐待だとか、)大事なものを悪く言われるばかりでしんどい』という悲しみを
張本人が否定したら。
それは他人の言う『毒親』への肯定になってしまう。

別に、世の中の毒親家庭を知らないとか言わないので(友人は毒親家庭でした)、全てを否定はしません。
けれど、では私の両親がなぜそう振る舞うしか出来ていないのか知っていれば、毒親だと言ったことを反省させるだけの論破は出来ます。

しかし両親自身が言ってしまったら。
何を『そんなことない』と言えたでしょう。
そんなことあるから傷付いたんです。
大事にしてきたものに、無遠慮に殴られて(比喩)。
それが悲しくてもう片親に話しても殴られ(比喩)。

ねえ
父さん母さんよ
私はあなた達を
毒親とか虐待親だと
認めないといけないのですか。
ただすれ違っただけで、仲直りしましょうねって出来ないんですか。
わたし何回も仲直りしたいと言った。
聞いてない。聞いてくれない。
自分は自分は自分は。
ねえもういいよ。
私の声は届かないのでしょ。

あなた達を愛していたいと
信じていたいと
元に戻りたいと
どれだけ泣き叫んでも
聞いてくれないのでしょ。

明確に言っても分からないのに
明確に言ってくれと繰り返して
疲れたよ
これ以上なにを分かりやすく言えば?

やっぱり、あなた達を疑う心が無いうちに、死ぬべきでした。
今の方がずっとずっと、不幸です。
大事なものを捨てないといけない。
ずっとずっと不幸です。

時に、広津和郎という物書きをご存知でしょうか。
『死児を抱いて』という作品があります。
タイトルの通り、死んだ我が子を弔わず、ずっと傍に置いていた母親の話です。
死んでいますから腐ります。
腐敗臭で気付かれ、死んだ子は母親から取り上げられます。
母親が繰り返すのは『返して。私の子を返してください。その子が居ない人生になんの意味があるのでしょうか。(意訳)』です。
裁判にかけられ、母親は罪を負い、子と引き離されたまま、失踪します。
罪が重かったのではない。
死んだとは言っても我が子を手元に置いておけない。そんな不幸に、母親は耐えられなかった。
自殺したのです。
話はそこで終わりです。

大事なものを手放す不幸を
分からない人は多いのでしょう。
それは、他人にとって、価値がないものだから。

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