自分のこと9 32歳
これの続き
乗り越えてしまえそうなほどエネルギーが返ってきてしまった。急いで書かないと。
私のこの遺言マガジンは、「乗り越えられない人」「乗り越えられなかった人」が言わずに死んだときの言葉を綴らねばならない。
私だけが立ち上がっても意味がない。
立ち上がれない人をどうしていくかの情報の集積にするべきだから
さて32歳です。厄年ですね。
(数え年が厄年数えになるので女性33歳になります)
今まで散々悩みにぶつかり、その度に誰かに相談したり、自分が持てる知識を駆使してきました。
上手くいったことは殆どありません。
日本人はアメリカ人と『自由』の定義が違いすぎる。自分勝手な『自由』を掲げる体勢になってしまったことを、福祉も政治も気付かない。
それでも、自分の望む未来のためにやってきました。それは操られたからじゃない、頑固な私の頑固な情念。
その先に精神を病む未来があると知っていたら、何か違っただろうかなんて今更な後付けですが。
まあまだ青臭いので、また何かしらに悩んでいました。特にこの頃は母が杖から車椅子へ変わってしまったため、ケースワーカーを選定し、ヘルパーを見定め、理学療法士を確認し、介護のいろはも分からず母を怖がらせて自分はキレる父の調停をしていました。
介護のいろはも分からん父がやるので、病院の看護師とも連絡を取れるようにしました。
この頃は次男が既に家出済み(私が貰うはずだった祖父母宅を横取りしました。週1で帰るようにさせるのは大変だった)ので、母と父が仲違いしたら、何か出来るのは私だけです。
そもそも介護技術をきちんと習得しているのは私だけなので、父がやらかした後に母のカウンセリングと後始末をやるのは私だけです。
そんな日々の中、記憶に蓋が掛かっていて鮮明には思い出せませんが、『家族を大事にしたい』という私の気持ちを、父自身が「そんなことで一々悩むな」と言いました。
私の人生において、最も優先順位が高いのは家族です。不器用の集まりで、私が膝を着いたらさっさと瓦解するような愚かな人間の集まりでも、私にとってはそれ以上に大事なものはない。
32年、ずっと愛してきたものです。
「そんなもの」?
そんなものじゃない私は、とても傷付きました。
でも折れていても状況は好転しない。
母に話を聞いてもらえれば、少しは落ち着くかなと思って話に行きました。
「父さんはそういう人なんだから、あんたが諦めなさい」
難聴なのと、人の話が聞こえなくても頷くような母なので、断片的に聞こえた言葉で何となくこうだろうみたいな返事をしたのだと思います。
でも、私は、『家族を大事にしたい』という私の気持ちより、父の『そんなくだらないことで』が正しいと言われたように聞こえました。
わたしの
32年は、なんだったというの?
家庭の不和をあしらい、機能不全家族を繋ぎ止め、死にたがりの母に生き甲斐を持たせ、不満ばかり口にする父を相手にして、なんの協力もしない次男に無視され、味覚障害になっても、それでも家族のために生きてきたのに
それが『間違いだったと認めなさい』とでも言うの?
周りの声を受け入れろと?
お前の親は毒親だと
虐待するような親だと
なんで認めようとしないんだと、知ったかのように私の望みを否定する言葉を
「そうだったね」と認めて諦めろと?
あなた達への愛情を
捨てろと?
心を硝子と形容するなら、砕かれた硝子を更に踏み潰された思いです。
なら
私は私がしたくないことをしないために
家族を大事にしたい私のまま
自殺するしかない。
詳細を書くと真似する人が出るので避けますが
苦しまない死に方は知っています。n回目ですね。
それをし始めました。
どうせ、私がご飯を食べに降りなくても、父は母さんに報告するだけで上がってこない。知ってるよ。
母さんはもう上がれる足じゃない。知ってるよ。
私の生死に興味が無い次男が部屋に来ることもない。分かりきってるよ。
それこそ、苦しめば数分で確実に死ぬ方法を取ればサクッと死んだでしょう。
気付かないからね。
ただ、この自殺方法は時間が掛かるのです。
部屋に後付けで付けた内鍵を全て閉めて、内線のインターホンを充電器の台座から落としました。
じきに繋がらなくなる。
母は昔から悪運など、運に対して強いため
『いつもと何かが違う』と思ったのでしょうね。
内線に電話をかけてきました。
台座についてないので勝手に接続されます。
泣きながら「返事をして」と私の名前を何度も呼びます。取る気はなかった。
だってあなたにとって私の気持ちはどうでもいいのでしょう?言う意義を感じないの。
親を否定する私になりたくないの。
そこまでして生きていたいと思わないの。
『自分が生きるためには、親を否定するのが正解だったんだ』と胸を張る自分になりたくないの。
他の人にそうしろとは言わない。
毒親育ちの人には必要な決別でしょう。
私の尊厳は私が決めるの。
大事なものを、掌返して「お前らのせいだ!」と踏み付けて、蔑む自分になりたくないの。
私は私のために死ぬの。
そのままインターホンの電池が力尽き、切れました。これで母はもうなすすべもない。
私を軽んじている次男がくるとも思わないし、見当違いをしている父が来ることもない。
そもそも、大学時代に1回籠城に失敗しているのです。人間への恐怖が強くなり過ぎて遮蔽物を置き、テコの原理なども使いましたが、男二人の力ではさすがに動いてしまった。
さすがに内鍵を3つも付けていれば開かないだろう?
もう少しで死ねるんだ。時間稼ぎが出来ればいい。
そう思っていたら、まあ暇な時間はたくさんあるもので、「自殺を諦めてくれてありがとう」と言った母と、「友達のSOSに気付けなくて、みすみす死なせてしまった」と言った友人が脳裏を過りました。
母の嘆願は嘘ではないでしょう。
でも私の心には届かない。
そもそも自殺する人なんて自分の事でいっぱいですから、他人がどうとかどうでもいいんですよ。
でも、友人はその、死んだ友人が私も知っている人だからと、話に来て、泣いてしまった。
話を聞くに、2年前に死んだと言います。
それでも、アルコールの力を借りないと言えなくて、言ってもボロ泣きしてしまう。
助ける時間があるなら、友人は何を言って止めるのだろう。
親の言葉が届かない私に、生きるための言葉をくれたりはしやしないか。
そんな気持ちで連絡しました。生きれるなら生きたかったから。
私が死ぬということは、母が命を賭して産んだ決意への侮辱だと分かっている。
それを本人が否定してしまったのだから、母の、父の言葉が通じるわけが無い。
一度「助けられなかった」と思ったことがある人は、何を言ってくれる?
まあ、生きたいという淡い期待も虚しく、友人は「希死念慮者に言わないべきTOP1」の台詞を私に言いました。言ったら98%の希死念慮者は自殺に踏み切ります。
それ言わない方がいいですよと言うと拗ねて、伝聞だと「気分を害した」と言っていたそうですね。
生きたいと願って縋り付くことが。
不快だと。そうですか。
じゃあ死ぬしかないな。
死ぬ覚悟が決まってしまったので、ルームシェアは無理ですと相方に話すと
相方は私に執着してるので(だからストーキングするんだろうね)、色々提案してきました。
聞く義理もないので放っておこうとしましたが、「1回先送りにしませんか。うちに逃げてきていいです。その先でどうしても苦しくて死ぬしかないと決意するなら、せめて看取らせてください」と返ってきました。
死ぬことを
否定しないのですね。
その起因になった人を、悪く言わないのですね。
どうしてもどうにもならないなら
その時こそ死んでもいいのですね。
あと10分遅く返事が来ていれば、死んでただろうなというくらい意識が途切れ途切れの時でした。
気を失ってそのまま死んだでしょう。
どうしても死にたい時はと、認めてくれるなら。
先送りは、別に悪くはないかな。
家出でもすれば、理解するのだろうか。この親は。
この自殺は、自殺者が止めようと思えば止めることが出来ます。何とは言わないけど。
とりあえず止めて、家出の準備は深夜にしました。
物音が察知されたら困るので。
服は1着でいいかな。最低限のものだけ持っていこう。
氏神様のポータブル神社と、御朱印があればアチラサマはだいたい着いてくるな。あとは刀飾りを1つと、じじ様とばば様……すっげ嵩張る。いやでも連れていくんだ。
その時は転スラのリムルをよく抱きしめて精神安定(できないけど混乱はしなくなる)してたので、それm……嵩張るなぁ、、、
あとは石達と人工精霊たちの器があればいいか。
いや待て病院とか身分証明書代わりに被保険者証は要るな。あとは微々たるだけど通帳と……。
生きている気がないので、死にに行く時に傍で共に朽ちたいものを持っていきました。
死に場所も見当をつけてあるので、白骨化するまでは見つからないだろう。
身分証は捨てられるから、まあ治療痕で判別出来るかもしれないねくらいの状態に。
家出は早朝です。
約10分ですが、両親と次男の全員が不在になります。
目眩しにもならないでしょうが、在宅のように見せかけるために靴を入れ替えて置いておきます。
そのまま配達業者に荷物を預けて。
偶然、その日は友人に会う日でした。
事情を話して、暫く居なくなるからと告げると、「そんなにつらい思いをしたのに、よく頑張って自殺をやめたね、私が嬉しい」と言いました。
言葉自体は響かないのですが。
だって人が死ぬと悲しいのは当たり前の反応です。
それが人間のもつ感情のシステムです。
私以外が死んでも、悲しいのは悲しい。
どうせ私は有象無象のうちの一人でしかない。
ただその子は割と直情的なので
聞き流すにはちょっと、私の心が死にきれてなかった。
事情を聞いたもう1人が、「親に話をつけた。最大で5日間までならうちに居てくれてもいい。県外に出る前に話せたりはしない?」と言ってきました。
話……
できるならそれはありがたいけど……。
帰れるなら、帰りたいけど。
帰るには、私に何を言ったのか、親が理解しないといけない。
とはいえ、県外に出るお金もタダではない。
お言葉に甘えてお世話になると、夜辺りにスマホに警察からの着信が来ている。
呆然としました。
自分たちで説得するより前にやることが、警察が動くに値するようなホラを吹くことなの?
警察が動くということは、「私に生命の危険がある」と言わねばなりません。家出娘の捜索をするほど警察は暇じゃないし、私は未成年でもない。32歳の成人です。
あまり長居すると、友達宅に迷惑がかかる。
ごはんを頂いた後にでもチャレンジしてみよう。
そう思っていると、友達から「ごはんー」と声がかかり、ご一緒させて頂きました。
お互いにぎゃあぎゃあ口論しながらも、仲が悪い訳でもない親子。
殆ど喋らないけど、必要な情報の時だけ端的に喋る父親。
「仕方なく買ってきたけど、半分は私が食うからな!?半分を半分こするんやぞ!?」「ケチぃ」「ウチの金なんだからいいでしょ」と言い争いをする光景
まふゆのような気持ちに、いや
まふゆより忌避感の近い気持ちになりました。
こんな家族の中に
わたしはいなかった
羨ましいような、苦しいような、意味のわからない感覚。
ご飯をなんとか「普通の人」のふりで乗り切り、部屋に戻ってスマホを持ちます。
「自宅」にかけないと母とは話ができないので、自宅の固定電話へかけました。
ただ、固定電話なので父も出れるわけで。
私「……」プルルル
父「はい、もしm」ブチッ
私「……」プルルル
父「はい、」ブチッ
私「……」プルルル
父「もしもs」ブチッ
私「……」プルルル
父「どちらさm」ブチッ
私「……」プルルル
母「もしもし」
やっと母に繋がりました。
帰りたいとか、2人の言葉に傷付いたとか、きちんと説明しましたが、母は何にも聞いてない。
いや、難聴抜きでも、今度こそ『頷くだけ』はしなかったでしょうが。話の主旨を理解しなかった。
「あんたが生きててくれれば、帰ってこなくてもいいから。」
……。
わたし、かえりたいってはなししたはずなんだけどな。
そんな「親としては子が生きてれば」みたいな返事いらない……
なんとか伝えようとしましたが、全く伝わらず、切れました。
愕然としてる私に、「話してるっぽいな」と思ってたのでしょう、数分後に友達が部屋に来ました。
友「話せた?」
私「話はした。解ってはくれなかった」
友「なんて?」
私「帰りたいって何回も言ったけど、生きててくれるなら帰ってこなくてもいいの一点張り」
友「……。(頭抱え)
典型的な話が通じない状態だね」
私「膠着状態か、一生変わらないか、そんなだろうね」
友「長期戦か……。キミはどうしたいの?」
私「昼に言った通り、帰りたいよ」
友「でも今の状態の家族のところには帰れないね」
私「繰り返すだけだろうね……」
友「でも、ウチらの親年代はもう変われないよ。変わるにしても凄く時間が掛かる。何が原因か理解できてないなら、尚のこと」
私「じゃあ川にでも身投げするか」
友「やめてくれ(※1月)。じゃあ名残は惜しいけど、県外に行くしかないのか」
私「ストレス源から離れるのは心理学的にも常套手段だからね」
友「じゃあ、病院もあっちに?」
私「後々帰ってきたいし、一ヶ月に一回帰ってくるよ。」
友「じゃあ予定が合えば会ってくれる?」
私「それは構わないけど……」
友「友達がこんだけ憔悴してんのに放り投げたくないんだよ。暫く面倒見られて」
私「……。とりあえず、警察の逆探知に引っ掛かってるから、早めに出るね」
友「は???なんで警察が出てくるのさ」
私「父さんは無いことをあったように話す作話癖があってね。家出話を誇張したんだろう」
友「キミのお父さん誇張表現得意だからな……。
とは言っても私の休みが2日後だから、ちょっと残留してもらうけど」
私「構わないよ。お母さんとかに事情話してもいいから」
友「言わないよ。それくらい知らなくても対処できるから。安心してここにいて。」
私「でも警察くるよ?」
友「誰が来たかは玄関に出なくても見えるし、第一母さんも父さんもキミを知らないんだよ。聞かれても答えようがないし、答えない」
私「1回か2回泊まりに来たと思うんだが??」
友「昨日名前間違えてたでしょ。ウチの親も歳なんだよ。じゃあ送っていく日までね」
私「……はい……」
駅まで送ってもらい、まずICOCAを新しく買いました。『私の名前で登録されているICOCA』ではいけない。
そっちは鞄にしまって、「誰かのICOCA」を使用します。まあ最初からではないのですが。
県外に行くので、新幹線のチケットを買います。
ヘルパーさんや理学療法士さんなど、『福祉に理解があるのは娘さんだ』と思ってる皆様に「私は暫く家に居ません」と送って、スマホを逆探知不能にします。
それくらいの知識はあります。
逆探知不能にしている間は警察こなかった。
そのまま新幹線に乗ります。
夕方頃だったかな。
日の沈みがまだ早い1月です、いつもなら「綺麗だなー」と写真撮っていたかもしれません。
けども、新幹線が滑り始めて、故郷が離れていくのを感じるごと、自分が壊れていくのを感じました。
なぜ?
なぜ愛する場所を去らないといけないの?
帰りたい場所から離れていく。
新幹線は反対に進んでいく。
5分。精神が不安定になってきた。
10分。なんで離れてるのかわからなくなってきた。
15分。自分が分からなくなってきた。
20分。なまえおもいだせない。わたしだれだっけ。
25分。どこに行こうとしてるのかが分からない。
……
…………
新幹線の切符に「降車駅」と書いてあったから降りただけの、迷子になりました。
私は誰で、なんでここにいて、どこに行こうとしていたのだろう。分からない。
もうこの駅の構内のどこかで凍死してもよくない?
帰れないなら、どこに行ったって……。
歩を止めた私に、さすがに見ていられなかったらしい氏神様が、首飾りから出てきて先導を始めました。
『こっち』『次はこれに乗る』『ここで降りて、改札を出る』『次はこっちに乗る』……
わたしはどこに連れて行かれてるんだろう。死に場所かなあ。分からないや……どうでもいいや……
どうせなら氏神様の傍がいいな……
そうやって何本も乗り継ぎ、夜22時過ぎてよく知らない駅に着きました。
なんだろここ。どうでもいいか……
氏神様が『歩くが、大丈夫か?』と何度も心配しながら先を進み、こっちを曲がると言うので曲がり、この建物を5階まで上がると言うので上がり、この部屋の鍵を「お前は持っているから開けなさい」と。
……??
知らない建物の鍵をなんで私が持っているんだろう……。しかし本当にある。
鍵をさして開けたら、住人らしき人がドタバタと出てくる。「遅いから心配しました……!!」
このひとだれだろ……。
「荷物は受け取ってありますから」
「ごはんは食べましたか?」
……?おなかへってない
氏神様が『この者はお前の友人だ。上がりなさい』というので、あちらの許可もあるし上がりました。
10日くらい何もせずに居て、ちょっとだけ自我が戻ってきました。
ここは同居人(元)の家で……家出先になったところで……4ヶ月も経たない前に引越しを手伝った場所です。
少しずつ回復して、何もしてないと自殺したくなるから、当時まだやってたTRPG卓の整備をしていました。
3年前の「私悪くないもん!!否定されたもん!!」ちゃんが無断爆破した後継の卓です。
当時の副管理人たちが「まだやりたいから、消されると困るな~」というので、私もズブのド素人で知識皆無の状態から、情報を掻き集め、昨年は鯖ダウンするなどあったので卓用スプシ(キャラ保管庫)をつくり、あとは最近忙しくてセッションに参加出来ない副管理人が気兼ねなく遊ぶ環境のみでした。
古い友人が「置き卓なら出来るんじゃない?」と言うので、じゃあやってみようかとやっていて
結果を先に言うと、揉めました。
メンタルゴリゴリに死んでるこの時期にか。
厄年だなあ。
しかも相手の言い分に整合性がない。
正義はあるのかもしれないね。
でも率直に言うなら八つ当たりに見えたね。
八つ当たりを肯定するために大義をかざしている。
そしてその大義や正義は、八つ当たりを肯定するためだから整合性がない。
呼称がややこしくなるので
八つ当たりしてきたのが元副管理人
巻き込まれたのが私の友人
あとは私の三人です。
元副管理人はジェネレーションギャップがあったから分からなかったかもしれませんが、私ら年代のねらー的には常識みたいな作法があります。
それを知らないので、とりあえず私が悪い1。
で、私の友人はTRPG歴が長いため、『公式が正義』という気持ちが強く、またきっちりかっちりさんだったので、元副管理人が無茶振りしてくる(ロストするシナリオで地雷を踏み抜くくせにロストしたくないとか言うので、柔軟にやるしか無かった)のを知らない以上、公式の見解から外れている私に説明をしようとしてくれる。
頭の痛い話だ(家族と軋轢が生じてるせい)と思いながら、なんとか八つ当たりせず相手に分かってもらう言葉を探していたら、痺れを切らした元副管理人がブチ切れ始めた。ほんとやめてほしい。
私「友よ。大変申し訳ないのだけど、置き卓の続行が不可能になった」
友「それは残念ですとしか言いようがないのですが。経緯が分かりません」
私「君が『オカルト』の使用方法が公式の見解から外れてると説明してくれてたやろう?それに返事する前に食ってかかられて」
友「なぜ。そして私への返答はお聞かせ願います」
私「返答としては、現行のシナリオに直接的に関係がないものだから、私への説明に時間を割くのは終わったあとにして、まずはシナリオ進めて欲しかった。副管理人が発言できないからね」
友「終わったあとに話をしたかったというわけですね、分かりました。ではなぜ終わってしまったのですか?」
私「私もそこが分からなくてね……。何を言っても我正義也でボコるだけなんだ。家族のことでメンタルが極限だから困ってる」
友「私は『私の知らないところで話が進むのが嫌いです』と言ってありますよね。なぜ私に見えないのでしょうか?」
私「管理者板で暴れてるからだね。実質上、個チャなんだよ。キミのその『嫌だからしないでください』は私も把握してるから表で話そうと言ってるんだけど、キミの地雷を踏んでることを自覚しないまま「私は友人さんのために言っている!」とか言って喚いてる」
友「あなたとの会話が不可能だと。わかりました。私からも確認を取ります」
私「いやそれこそみんないる場所でやって……、聞いてる??もしもし??」
別の友「大変ですね」
私「うん。しかも都合のいいルールだけ抜粋してくるんだよね……」
友「なんと?」
私「『KPに従えないなら一人で遊んでください』」
友「KPに従ってないの元副管理人さんでは??というか鯖マスに従ってないのも副管理人さんですよね??」
私「管理人(私)が気に入らないならキックでいいとか極論言ったのも元副管理人だね……」
友「墓穴にも程があるのでは……。え?今どうなってるのでしょうか」
私「知らんのよ。私だけ情報入ってこないから」
友「それ、『私を除け者にするのNGです』って言った人がやってるんですよね??」
私「そうですね」
友「自分が嫌だと思うのに他人にはするんですね??ちょっと意味がわかりませんが……」
私「私は最初から今までさっぱり意味がわからないよ」
友「ご友人のために作ってきたのに裏切られた形ですものね……。あんなに頑張ってたのに」
私「置き卓と武器表が完成したら、今度こそ引退するんだって決めてたのにな」
友「私が言えたことではないですが、あなたにはやめて欲しくないです。3年も『やりたくない』と思いながら、我慢してきた中で、楽しかったことあると思います……」
私「友人が勝手に爆破した後釜で、続けたいと言った張本人が要らないと言ってるんですよ。」
友「もちろんすぐにとは言いません。前のご友人に裏切られた傷が塞がってもいないのに管理人なんてしてきた人です。心労もたくさんあるはず」
私「まああちらは私が3年前から『やりたくない』と思ってきたこと知らないですからね」
友「嘆かわしい……」
三人で話をする機会も場所も設けましたが、友人は蒸発、元副管理人はだんまりです。
これはもう無理かなと思いキックしたら、個チャには来るんですよね。誰かに証明される場所では八つ当たりできないらしい。
人間への信頼感をほぼ失い、唯一の趣味としてしぶとく残っていたTRPGも消えました。
他の友人が「今度こそ、君のための卓にしていこう」と言うので復元はしましたが
私がやろうと言わないとログも動かない鯖です。
元々、副管理人が「あれやりたい!」「これやろう!」と私を引きずり回していただけなので、私から「あれをやろう」なんて発言出てくるわけもないのに、受け身の集大成。
残した意味あったのかなここ。
そんな日々を過ごしながら、少しずつ同居人ちゃんが病み始めました。
ルームシェアはしたい意思があるようですが、私の条件は「精神障害者だと理解してくれること」「霊的なものが分かる人間だと理解してくれること」です。要は、精神障害者の私を受け入れられていない。猶予はあまりない。
最後のクライアントになるな。
そんな気持ちで、手を引いて心療内科に繋ぎました。400回くらい掛け直し続けて取った予約枠(マジ)
体調管理の仕方、見分け方、対処の仕方、食事療法のやり方、アレルゲンの接種を減らす方法。
大体が家事に相当するので、深夜にやってました。鉢合わせると私が病むので。
とはいえ、半年もせず私のタルパは全壊が一人、大破が複数名出ました。
家族のことを抱えてる私に、結局はストレスを与え続けている。無意味です。
なんとか母と話をと、再びスマホを取れたことはありましたが、「あんたが私たちを信じなかったんでしょ!!」とブチ切れ。
何言ってんだろこいつ。
1枚書くだけでも精神がボロボロになる手紙を、書き続けるのがしんどくて、「もう送りません」と言っても「なぜ手紙が来ないのですか。返事をください」と言う父。
こいつなにいってんだろ。
第三者の協力を借りてもダメ。
同居人ちゃんに手伝ってもらってもダメ。
故郷の友人の力を借りてもダメ。
家庭カウンセラーの力を借りてもダメ。というかコイツ自体がダメ。説明責任を果たさずに「支援は終了したのでメールは開きませんし電話も出ません」? 説明した気になってておめでたい頭だ。
そっちもよく「すみませんよく聞こえないのですが」というくらい接続不良を繰り返していた通話で、肝心なところが飛んだとか考えないわけだ。
そんなのが同じ社会福祉士だとは反吐が出るね。返上して福祉の世界から消えてくれ。
家庭カウンセラーも、カウンセラーも、母さん付きですがケアマネも、長い付き合いの医師や知人も頼りましたが、誰を介しても話が通じない。
凄いな万策尽きたのにまだ絞り出すを繰り返してるよ。諦めの悪さは自負があるけど、担うべき専門職は匙を投げ、環境因子を頼ってもダメ、私が直接説得してもダメ。
それでも『次が最後だから』を3回以上は続けた。
父や母の生きた年代の価値観にも触れてきた。
こういう人にはこういう働きかけがという視点の変更もしてきた。
そもそも私が望みすぎなのかもしれないと、「帰りたい」「傷付けたことを認識したら帰る(※謝罪は条件ではない)」まで削ぎ落とし、他を諦めた。
でも伝わらない。
「どうしたらいいか言ってください」。
言ったはずですけどねそろそろ両手では足りないよ。
「約束を解除してください」。
そもそもそんな約束をあなたと交わしていないよ。
「手紙をください」。
まだ言うの?
同居人のメンタルがもう極地なので、出ていく手はずは整えました。
もう少し粘れば私の障害年金が収入に追加されたのですが、残念ながら1ヶ月以上は遅かった。
床代だけ置いて去るはずでしたが、ちょっと時差的な齟齬が生じたので、1日残るかネカフェに行くかで悩みましたが、1日残留し。後悔しました。
「体調が悪かったので休みました」
そうかい。じゃあ自室で寝てなさい。
「帰るまで居ていいですか?」
自室で。寝ていなさい。
私が嫌がっているのも知らぬ顔で、帰宅時間を2時間くらい伸ばしやがりました。
無駄に3時間も話をされて、メンタル壊れそうなんだけど。つかその3時間寝てろよ。
やっぱり不在時に出ていってネカフェに泊まるかなにかした方がよかったな。
そのあとの依存行動も酷く、一人暮らし始めたばかりで忙しい身には「いい加減にしろ」感しかなく。
かといって突っぱねるとおギャるので手に負えず。
母さんも父さんも錯乱したままだし、実に散々です。
ちょうど長男くんが帰省する時期にぶつかったので、長男くんはまだ無理をすれば会えるし、今度こそ最後(n回目)と思って色々話してました。
とは言っても、長男くんはどちらの味方でもあります。それが一番ありがたいところです。
しかし、情に厚いので。
「『なんでこうなったのか分からない』って号泣する父さん初めて見たよ。見てらんなかった」には呆然としました。
半年?一年?ずっと言ってきたのに?
「なんでこうなったのか分からない?」
私は何度言ったら分かってくれるのかが分からない。
死にそうな心が、より暗澹としてくる。
どんだけ頑張っただろう。
精神障害者や、生活困窮者や、高齢者
幅広い分野の問題を取り扱い、専門分野へ繋いだり、分担するのが社会福祉士です。
看護師の仕事、医師の仕事、ヘルパーの仕事、政策の使い方、福祉事務所の使い方、年金事務所の頼り方、環境因子への協力要請。
あらゆる万物を繋いで問題を取り扱うのが、私たちの仕事です。
つまりそれだけの知識を要求されますし、柔軟さも必要になります。時には寛容さであったりもしますし、頼む時には頭を下げることも珍しくはありません。
それだけの知識や見解、柔軟さや寛容さ、知らないことを知ろうとする姿勢や、変えられないものへ頭を下げる態度。
すべて使ってもまだ「帰りたい」という五文字は伝わらないのか。
長男くんも馬鹿ではないので、私がどれほど努力したあとか、想像はできなくても、した後だろうとは考えてくれます。
時間をかけて丁寧に解いていこう、それが最初の時の妥協点でした。
苦しみが増えただけだった。
やっぱり1月に死ぬべきだったのでは?
分かってもらいたいなんて、無理なことを望んだからこうなるのでは?
そんな気持ちになりながらも、それを止めるのはいつも長男くんでした。
分かってもらいたいのはおかしくないし。
相手を傷つけたとは言っても、そうしないとお前の心がもたなかったなら、家出自体が悪かったわけじゃない。
お前の意思表示がわからない。
それが問題なだけなんだよと。
それからは、とりあえずつらかったら寝るを繰り返しました。3日食べてないとかザラ。
欲しくならないんですよね、お腹は減ってても。
資源ごみをどうしたらいいか分からないと言えば、友人が「呼んでくれたら取りに行くから」。
引きこもって寝てばかり、人間が活動してる時間に起きていたくない私の活動は人間が最も少ない時間帯のみ。
そんな私に「月イチで集まろう」と言ってくる友人。生存確認かな……
月イチじゃ、わたし簡単に死んでまうけどな……
去年はそんな感じでしたかね。
ちょいちょい忘れてますが、大雑把にはこうです。
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