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慢性疲労症候群と共に生きるということ(2)

そういや前回の大前提に書いてなかった。
いやまぁ医学的確証がないことだからと医師は自分の推察を肯定しませんが、否定できるものを口にする医師ではないので、予備軍としてきちんと考察しているのだと思います。

今のかかりつけ医に出会って間もない頃、「あなたはレジリエンスが高いですね」という感想を頂きました。
まあ普通イジメられたら傷付くし、虐待されれば心を閉ざしますよね。
私に見られる異常性は、精神疾患として露出していないということでした。

今の精神障害云々ではなく。そもそも通い出したの大学の実習中断で、この間久しぶりに会った恩師に付き添われて行った感じなんですよね。
精神障害に偏見はないけど(叔父が精神障害ですし)、通わないといけないほど傷付いてる自覚はなかった。ほっといたら治るかなまであった

話戻しますね。
通常、人間は先に精神疾患が露出します。
自分を守るためです

しかし私はそれが出ないほど精神的耐久性が高かったため、ストレスに打ち勝てないと判断した脳が、身体機能をダウンさせることでセーフモードにしようとしたと。
体が動かないんじゃストレスには対峙できませんからね。

医師がこれまでに見てきた慢性疲労症候群の患者様も、一貫して根が真面目で、人より耐久性があるのが特徴だそうです。
私は特徴というより耐久性の機能がぶっ壊れてんじゃねえかなと思いますけど

なので、そちらにシフトする形でも色々取り組みました。今年の人間関係の整頓もそうですね。
医師は「無くすことは出来ない」と突き刺してきたので、まあファイリングしたとまで妥協しましょう…。ひでえな努力したのによぉ。
ファイリングされたストレスはもはや「ただの記憶」です。ラベルも貼らず、見ないように黒いファイルに入れて、押し入れの奥に突っ込めば死ぬまで見ないでしょう。思い出しはしてもね邪魔だよね

じゃああとは家族のことだけだからと奮起しましたが、どうも心はそう思っていない。
何かを探るために本のページを捲る。
昔から体が弱かった。
小学校6年間分でね、1年分登校してないんです。
イジメじゃなくて病欠です。
山の学校行きたいヤダとごねたこともあります。
友達が好意で作ってくれた山の学校のお土産は未だに手元にありますが、彼女の記憶にはもう無いでしょう。

体が弱い私は人間関係に拙い。
ぶっちゃけ今でも幼いと思っている
本、漫画、映画、アニメ。
それらはフィクションですが、『作者が何かを描き残したかったから描いている』のだと解釈しています。
作者の人数だけ。作品の数だけ。誰かの人生や価値観に触れる。フィクションの形を纏った、誰かのホンモノを。

いつも気分的に選びます。
気分で選んだ中に答えがあることがよくあるからです。
今回はローゼンメイデン。古い名作ですね。

『この子が「ここは自分の居場所ではない」と思ってしまったのなら、存在しないのと同じ。ただの物になってしまうのだわ。』

1月の自分と、自分の書いた作品を思い出す。
自分の存在意義たる信念を、『そんなもの』と、張本人の親に言われて砕けた。
私の創作子にひとり『どうせモノ(ぼくら)の気持ちなんて分からねぇんだろうな!!』と叫んだ子がいます。

私は、ジュンくんみたいに、形がないものになっているのかもしれませんね。
真紅みたいに質問を投げてくる者もいない。
Pandoraのアヴィスを揺蕩う無駄な概念。
まどマギの魔女の空間にいる歪な玩具。

慢性疲労症候群(ストレス)の後に、精神障害(より強いストレス)は悪化しました。
耐久しきれなくなって、発露した。
それだけ、私は私という人間がよくわからない。


だって、道具として生きてきたんだもの。

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