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感じた一抹の感情

テオドールにはちょくちょく思い入れがありました。可愛いのもある(こういう子すきだし)
でも、何かがしっくりこず、今まで来ていました。

兄へ斜め上の思慕を抱いているから?
(私はブラコンです)

兄の役に立つためなら命もいらないから?
(私は犠牲的です)

小賢しいから?
(私は黒幕になりやすいです。cv石田彰みたいな)

でもcv石田彰はどっちかというとミシェル先生な気がするよね。
(コヨルコンビ好きですよ)

じゃあなんだろなと思った時にふと昨日書いた記事がゴトンと嵌ってしまった気がします。


テオドールは「無視されるくらいなら憎まれてでも視界に入りたい」と言います。
それが わかる。


次男、母、父が物理的にもそばに居ましたが、居るだけでした。
ミシェル先生ほどではないにせよ、『使われる』側の私は道具でしかない。そう思い込んでいないと、



誰も私を見ていない。




そんな状況に、耐えられなかった。
次男は分かりやすくスルーしてますし、父母はスルーはしないけど無関心の塊です。
ネグレクトに相当するのがここです。
私は。
彼らが庇護して守る可愛い娘ではなく。
愛でるだけの玩具のような娘だった。
そこに愛は確かにあります。
でも愛を感じられない。
無関心だから。

無視に 近いから



そうか、私は寂しかったんだなぁ。
家で暮らして、別段問題があるわけでも……あるけど()、まあコミュニケーション下手くそズの集団なだけの家族が3人は居て。
果てまで言ってしまうなら、次男は私以外には会話をする(私とはしない。なんなら何か頼んでも露骨に嫌がってしない。母さんは聞く、父さんは渋々でも聞く、私はぞんざいに扱う)、父は私を見てるようでさっぱり見ていない、母は頷いてるだけで聞いていない。

空っぽな家だ。
段々体が弱くなってきて、通販でしのぐにも買い手が居ないなら最初に出ていく分しか収穫はありません。そもそも安いしね。
クリエイター支援っていう名のほぼ寄付(募金)みたいなのも、身近な友人の貧困より、遠い異国のどうみても不憫な人の方へ行く。
週に2日休まないとが、週に4日休まないとになり、いよいよ働けなくなって、その分ベッドへの拘束時間も長くなる。今や週6で休んでても無理がある。
でもヘルパーが利用者さんの部屋に訪れるような、数分の楽しみもない。


だってわたしのへやだれもこない


一人暮らしもしんどいけど
体調悪くなっても誰も来ないし。
でも期待できないっていう前提がある分は多少マシだなとは思ってました。
私がよく「大衆の中の孤独」という言葉を使うのも、「人はいるけど心はひとりぼっち」だから。

私が長男くんの言葉を受け取れないのは。
一年に二度しか帰らない兄に、一週間だけの爆上がりテンションになっていたのは。
彼が私をきちんと見るからです。
「おはよう」って言ったら「おやすみ」とか言う、割と呼吸をするようにボケるんですけど。
わざとボケてるのはわかるし、大事なのは「リアクションが返ってくる」ことです。愛着障害だからね。
今までそれをやっていたのは猫だけです

部屋から出てこない私を呼び出す口実に「一緒に酒飲まね?」とか言ってノックする。
食卓から中座した私を追って、何も聞かずふざけて見せて、心配する。


父さんだけが私に対して無関心すぎたんじゃないよ。



長男くん以外の全員だ。



それが、受け取れなかった理由なのだろう。

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