「家族も他人」とは誰が言ったのだったか
私からの言葉を、私からだと気付かないらしい彼らは、それを突き付けられた時にどんな反応をするのか。それも答えになりうるのではないかと思ったりしました。
兄貴が見る可能性がある以上、伏せておくべきだとは思うのですが。教えちゃったしね。
同居人は架空の人物として存在しています。
なんでかと言われると、
1、本物の同居人は父との会話を1回で匙投げしてしまったから。
2、本物の同居人はそのまま精神障害になってしまったから。
3、元々わたしと同居人の2人で執筆していた(要するに9割は私が書いている)メールなので、同居人の許可があればそのまま続投はできた。
以上を踏まえて、
精神障害者になってしまった同居人の人生史、私への入れ込み方を参考にしながら、『同居人の役に没入した私』が書いているものです。
まぁ、同居人じゃ説得できないから病んだわけなので、理性くらいは残しますが
感性はすべて同居人に寄せ、言葉選びもそちらに寄せました。私が入り込む余地があるのは、説得できる文章になっているか、ただそれだけの『構成』の部分のみです。
要らないからね。私が話してるわけじゃないから。あくまで同居人と父が話すので、私である必要がありません。
とはいえ、一度で匙を投げられたわけですから、以降ずっと私が書いているのは、事実的には変わりません。
いくら私が『同居人の役』を演じても。
私は同居人ではない。私は私です。
同居人の言動から、こう言うだろう(大体合ってたらしい)を推測を立てる。
時には私では絶対言わないようなことも書きましたね。同居人は言いますので。
同居人にとって、両親はクズ。間違いないのです。
さて話が戻りますが。
そうやってやり取りしてきた中で、「同居人では分かってくれない」と思う父が居なかったかまでは知りません。居たかもしれないし。
ひたに「にゃーと二人で話をする」と、対人恐怖症くらいネットで調べたらどうなんですかねみたいな台詞をずっと言っていた時期があります。
話せないから『恐怖症』なんだよ。
10ヶ月言っても理解できないなんて面白いこと。
まぁ万が一、億に一、対話できる状態になったとしましょう。まずそこを聞くなって。
言い回しを工夫した同居人(私)。
伝え方を工夫した同居人(私)。
アプローチを変えても、変えても、変えても変えても変えても伝わらない父。
発達障害じゃね?とか言われてもおかしくはありません。認知症じゃこうはならないし、生来の性格でもさすがにここまで暖簾に腕押し柳に風はなりません。
同居人のメールは鬱陶しかったですか?
今の私が聞けるのはそれだけです。
そもそも、匙を投げなくても10ヶ月も付き合い続ける他人なんて根性があるのに、鬱陶しいと言うなら、それは恩知らずと言うのでは?
まふゆのお父さんみたいにアプローチしたの?
まふゆのお父さんみたいに、居候する娘をよろしくとか、ありがとうございますとか言ったの?
私は一言も聞いてねえなぁ。
全メールを読んでるのにね。見てないですね。
娘が生存している報告を受けられる喜びしか記載なかったよね。いつまでそこから動かないんだいい加減動け。割るぞ。
自分が最優先になるのは人間そんなもんだから分からなくはないよ。
だからといって礼を失して良いとは思わないよ。
あなた達は同居人にすら礼儀を果たしていないのに、なんなら私にすら知ってる対応が出来もしないのに、何故話を聞いて貰えると思ってんの?
そういう振る舞いちゃんとしたの?
いつかは、家族は他人という日が来るなら
その日が私の命日ですね。
苦しまない死に方、ヒットしないだけで、実はあるんですよ。まあ有名じゃないのは確かですね、有名どころは死ぬ時か死んだ後が結構やばいのばっかだしね。
そのまま死にます。
眠りにつきます。
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