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二律背反

オススメ記事などを見ていると
「こうするといいよ!」というものがよく目につきます。
別にそれはどうでもいいのですが。
その人や、その人と合った思考パターンの人には、役に立ちますからね。

私には、当てはまらないというより、当てはまりにくい……?入らなくはないけど無理やり捩じ込む感じ……?になります。

ちょっと距離を置いて付き合うくらいが丁度いい、そうでしょう。
ストレス源もいない場所で、鬱になっても誰にも当たらなくて済む。
停滞した安全な鳥籠です
人恋しくなっても誰も来ないし。病気になっても誰も気付きません。

確かに私は、ここに居ればパニックにはなりません。でも、ただパニックにならないだけなのです。
それはただの停滞です。

確かに、飛び出した先で人生を築く人は多いです。凄いな、エネルギッシュです。
うちなら母がそうでしょうか。
飛び出したわけではありませんが、外に出て築いてきたものが、元の場所よりもずっと大切なものになる。無いわけじゃないですね。

でも、母と同じように悩み、小説という形でものを書いてきた私は、『許す』を答えにした。
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私の創作活動の読者一号になりたいと言った母がこれを読んで言ったのは、「許せなかった私はダメなの?」。

別にそんなこたないでしょう。
私と母は別の人間です。同じ答えを持つ必要はない。
ただ、その言葉に
「(許したくても)許せなかった私は(母にとって)ダメな(子な)の?」に聞こえました。

二次家族で幸せに生きていても。
一次家族を完全に見捨てるのは難しい。
そんな人も、きっと居るのでしょう。

全部が全部、きれいに清算はできないけれど。
心を穿つ悲しみは、どうにも抗いがたく。
「今は幸せだから」で誤魔化しながら生きていく。
それしか方法がない人生もある。


なんだか、やるせないなぁと思うのです。
最善?うん、最善かもしれないね。
分かってくれないならね。疲れるばっかだし。
何をやっても馬耳東風、柳に風、糠に釘。
本当に疲れますね。
でもそれだけだろうか。

私が大学生の時の話しましょう。
宿題や課題は出すべきものですね。
レポート、発表物、完成させるべきものですね。
それは何も間違っていないですね。

ともすれば、課題を終わらせれずゼミの時間を迎えてしまった私は、欠席以外の逃げ道がないわけです。しかし専門ゼミですから、1回の欠席もミスです。
1分前になるまで悩んでも決まらず、講師はまだ来ていないものの、逃げるには遅いので、諦めて叱られるつもりでいました。

大学生にもなって、課題を終えていない。
なんてみっともない。
そう思っていたら、ゼミ仲間がぞろぞろ集まってきました。ゼミ長めっちゃ明るい子だったんで、おーいって手を振ってこっちに来ました。
元気な大型犬かな?

で、ゼミが同じですから、課題の進捗を聞いてくるわけです。
みんなは真面目だから、ちょっとの遅れはあっても、まあまだ目を瞑ってもらえる程度だろうと思っていました。私は目を瞑って貰えないほど遅れていたと、錯覚かなにかで思っていました。
「いや実は全員ぜんっぜん進んでなくてさ!!ヤバいよね!!これ怒られるよね!!?」

ぽかんとしました。

「みんな出来てないなら今日のゼミ不成立じゃない!?一緒に講師説得しよ!?ほら今日は桜がちょうど満開で……」

ぽかんとしました。

そんなこと、考えてなかった。
レールから逸れて、逃げながら楽しむという姿勢。
課題を1週間遅らせようとかゼミ長が言ってる

唖然としていたら、講師が来ました。
みんなして何を教室の前でたむろしてるの?と。
後の副学長ですから、それはもう敏腕な講師。
課題できてないからなんて言え

ゼミ長「センセー!!お花見したいです!!」

言ったわ……。
ゼミ長が言ったわ。

講師「どうしたの、いきなり」
ゼミ長「桜が満開だから!!みんなで見たいなって!!(必死)」
講師(全員を見渡す)
ゼミ長「みんなも見たいよね!!(必死)」
他の子「見たいな~(課題から逃れたい)」
私「えっ?あ、花は好きです(返事になってない)」
講師(悟った)
  「はいはい、じゃあ今日は外に行きましょうか。課題は来週ね(釘)」
ゼミ長「ぴゃっ……」
私(え承認されるの?そんなことある?)

あったんですよね。
『どうせあなた達課題が出来てないんでしょう?』と分かりきった顔をした講師が許可したのです。
ぶつかってみないと分からないこともあるという経験です。私にとっては。

では話を戻します。
私たちに向けられる「最善」は、『苦しみの少ない最善』であるような気がします。
ストレス源から離れるのは定石ですからね。
でも、離れただけではストレス源はストレス源のままです。
望みが清算されていないけど、ストレス源が近くにいるなら、諦めた方がいい。
そう言われているかのようだ。

確かにね、福祉の知識を持って、色んな手段を講じて、全てに失敗して、人間嫌いに陥った私みたいなやつが居ますから、それは正しさのひとつだと思います。
飯も食えない、人にも会えない、誰かと会うだけで身体中から血の気が引くような身体と精神を手に入れるよりは、良いでしょう。

でも私、最後の手段をまだ取っていないのです。
エネルギーが足りないから出来ないけど。

直接ぶちあたってくるという、原始的なやり方を。

打ち当たることで、結果が変わることもある。ゼミ長がしたのはそれです。
もちろん変わらず「何を言ってるの、あなた達は国試と国試と卒論でスケジュールがカツカツなのよ?」と言われる可能性もあるでしょう。
うちのゼミ一番やることが過密なゼミだったので。

『変わらないのに頑張って落ちていくだけ』と『苦しまない最善で何とか生きていく』ばかりが目につくのですが
『とりあえず数打ちゃ当たるで打って何もヒットしなかったら諦める』みたいな
万事を尽くして天命を待つみたいなやり方はあまり推奨されていない。

リスクが高いからです。
でも、そのリスクの先にしか無いものを手にしたい人に「諦めるのが最善なんですよ」は
私には、言いづらい。

カウンターパンチとかあるかもしれないじゃん。
抜け道とか。
でも正攻法だと負け確だから、負け確の選択肢を利用者に提供できない福祉は、そこで停滞する。
ニーズに寄り添ってと言いながら、ニーズを妥協させる。

私の失敗が。
私の苦しみが。
同じように「諦めろ、叶わないから」と言われて泣いている人の役に立つなら
私のメンタルなど惜しくはない。


「許せなかった私はダメなの?」と言う母を
信仰を失い、社を奪われ、黒く染まった神様は、じっと傍で見守っていました。
最初こそ「なんか夏目友人帳の鏡割るやつみたいな黒いのが居る…」と警戒していましたが
その黒いのは母を見守りつつ、距離を置いたままで、そこにいる。
神様の黒いやつを浄化するのは感謝や祈りや捧げ物ですから、そういったものを自室でやっていたら(自室以外でやるなと言われた)
黒い部分が一部欠けた姿になったことが、一度だけありました。女神でした。

母方の。氏神様でした。

何かわからない迄に黒くなっても、母の悩みに寄り添おうとする。
彼らは吾子の心に敏感です。
私の氏神様とて、同じように心配してくれます。

心にわだかまる悲しみを
「仕方がないことだから」と俯いて諦める
「これが最善の妥協だから」と言う

それだけが答えなのかと
私はただ不思議に思います
ちょっとローリングする元気がまだないけど

誰かが1回くらいブチ壊しにいってもいいんじゃない
やれる人がでいいんだよ

私は
苦しまない最善に、調和できない。
壊しに行ったら逆に粉砕になったとかでも
構わないから

望みを捨ててまで生きていたいと思えない。

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