『君たちはどう生きるか』

感情が迷子になっていたというのか、
取り留めのない感情がグルングルンしてたというのか、
すぐには書けなかったけど
最初に言えるのは、良い作品だと思いました。

今までのジブリとは見せ方が違っているようで似ているから、映画評論とか出来んし
あと真人が涙流してた本の原本まだ読めてないから、そういう意味でも先送りにしてたけど
チラッと顔を覗かせた怖気を逃すと忘れてしまうから、書いておきたいなと思いました。

結論から言うと、何を伝えたかったかは正直に分からん。千と千尋も7回見て分からなかったけど、他人の考察や感想を見て「そうかも」と思うものを拾ってきたのはあります。
なんでしょうね、ジブリって洪水みたいじゃないですか。何がどうなったからこうなって……じゃなくて、なんかいきなりザバーンってダイレクトにきてウワーって流される。

私がこの映画で印象あるなと思ったのは、みんなも繰り返し言ってる「素敵じゃないか、真人を産めるなんて」と、「(夏子の)お前、本当は私が嫌いなんだろう!」(だったかな)って叫んでるところです。
じいさま(大叔父様)については後にしましょう男性なので。

他の方がどうこの言葉を素敵だと思ったのかは知りませんが、私はこの「素敵じゃないか」を聞いた時に、唖然としました。

私は、元々産まれてこないはずでした。
産んだら母体が持たない、確実に死ぬと。
それに勿論周りは大反対です。
そりゃそうね、身を危険に晒す子を産むより、新しい子を迎える方が母子共々健康です。

けれども母は私を産んだので、私はここに存在するわけです。
まぁそこに昭和的な考え方が無かったわけでもなかろうし、母親として「子を選別する」ことに忌避感もあったかもしれんし、何より私の前に兄を2人流産しています。私で5人目なんだね。
流産した子の亡骸を、何も思わずいられるほど、母親ってのは薄情になれません。
だから、流産を嫌がったとも言えなくはない。
まあ憶測はいくらでも出来ます、際限ないね。

母さんが私を産むことに、賛同したのは、父と、母の親友、計3名のみと聞いています。
本当に望まれてないな。
いやそれは割とどうでもいいんです、母さんの決断を尊重したいので。
ともかく私は産まれ、悪運に恵まれた母は身体障害者として生き残りました。

身体障害者として生きていく自分を
その生活の中で「死ぬなら早く苦しまずに死にたい」とか言うような日々を
分かっていても
「素敵じゃないか」と、母は言ってくれるんだろうか。
後悔はしてないと思うし、私を傷つけないために嘘をつくことはあるかもしれないけど
「思うよ。」とは言いそうなんですよね。

ここでいきなり夏子に移りますが
産む前の母親ですから、情緒不安定ですよね
今まで「真人さんは家族なんですから」とか、真人を守るために矢を構えたりとか
「母親であろう」というのでしょうか
「そうあらねば」というのでしょうか
そんな風に振舞ってきた強い新しい母は、
弱々しくて情けない本音を吐いたのですよね。

それに対して、真人は
「おかあさん」と返したのですよね。

うちの母もボロばっか出して
でも母親であろうとして
親に見放されて生きてきたからやり方分からなくて
分からない分が私にしっぺ返しになって
自分はどうでもええんかなぁと思いながら
「産んでくれた」ことが最大の答えだとして、今まで進んできたし
別居はしてますけど恨んではいないんですよ。
いい加減謝罪くらいは述べろよとは思いますけど。
傷付いたってんのに愛してますってそれは返事でも会話でもないです。会話して。

新しい「母親」を受け入れられない気持ちだったり
それでも「相手はどんな風に頑張ってくれてるのか」は見えていたりして
真人もさぞ悩んだでしょう
たぶんあの「おかあさん」は、監督が言えなくて、言いたかった言葉なのかなと
勝手に思ってみては
それはとてもしんどいものだなと思うのですね。

私も物書きなので
書いてるうち、自分の感情を自覚することがあります。
ツイステでリドルの話を書いてた時ですかね
「私が言いたかった言葉」を
リドルが代わりに言った。
その言葉を私が言える日が来るかは
未だにイメージできない。

リドルが言ったのはコレ

母は、『母親』というものを知らなかった。
周りがいくら『それは虐待だ』『毒親だ』と言ってきても
『「母親の役」を理解せずに、「母親」を果たそうとして、結果的にボロが出て私が傷付いたりはしたけど、別に朝比奈まふゆほどの扱いは受けていない。』という感情があったんだろうな。
大根役者です。もうド素人。
でも彼女は「母親をしようとした」んです。
結果的に出来てなくても。
「自分のためにした」のではなくて、「娘のためにしようとして」失敗いっぱいした。
それを何簡単に毒親とかいう言葉で片付けようとするの?
周りの方が私にとっては敵でした。
周りにとっては、私はわからず屋だったでしょう。

マフィア、ヤクザ、人殺しの狂った人
そんな世界に居ない人が、その役をやれますか。
私はできる気がしないな。
母にとって「母親」という役は
それだけ、理解できない役だったはずです。

でも彼女は後悔とかしないでしょう。
「(第一の家族では)家族としての機能なんて何も無くて、寂しかったし、つらかった。でも今の、にゃー達がいる(第二の)家族は、寂しくもないし、あたたかい。私は幸せだよ」と言ってました。
半年以上前ですが。
私が家出してからもう9ヶ月ですか。1年になっちゃうじゃん。
ごめんなさいできんのか。

さて、話戻しまして大叔父様の方へ。
あまり感慨がないのが正直な気持ちでしたが、他の方の感想見てちょっと変わりました。
父に見える。

うちの父親というものは、昭和の家長父制を叩き込まれた人間です。
本人は「それに固執する必要はない」と言ってましたが、捨てられるほど簡単な教育は施されていない。とうらぶ書いてる身としては生きた参考書と言っていいくらいの頑固親父です。

こちらも「父親」というものを強く意識していました。厳密に言うなら「大黒柱」だろうか。
でも、その積み上げてきた積み木の中には、丸や三角が混ざってしまって、バランスが取れなくなっていた。
まあ私の鋼のメンタルぶち抜いた人ですからね。
私は壊れてしまったし、私という潤滑油ありきで回っていた彼の世界は崩壊に向かい始めた。
私は丸い積み木だったのかもしれない。

世界が崩れていく中、大叔父様は「そうか。」くらいの目しかしてなかった。
その真意は分かりませんが。
それも含めて、『君たちはどう生きるか?』なんだと思いました。

『葬送のフリーレン』に
「私はある人に救われて、その人のために1人前になることが全てで、その先があるなんて考えていなかった(意訳)」というのがあります。

私はまさに
「その人のために1人前になることが全てで」
が終わってしまったところなんでしょう。
そのあとのセリフに、「その時に情熱も執念も使い果たしてしまったのでしょう」とあり
深く共感できます。

その「もう大丈夫だから」と示すための努力に全てを捧げて、燃え尽きた。
「その先があるなんて考えていなかった」のを
『どう生きるか』なんだろうかと

生きる金がまずないのですけどね。
前に富裕層(一般水準)に「一日の飯代は100円だわ」って話したら「切り詰めてるねw」って言われました。あほなんかなと思いました。
無い金は払えないでしょ?
助けてくださいって国に言っても公務員が鼻で笑って蹴るんでしょ?
月に数千円程度でも助かるのに(ファンBOXの1000円ありがとうございます)、そんなこともせず、自分に利益がある時だけ手を引くのでしょ?
くっだらねぇ……

確かに、3日におにぎり2個(300円)よりはマシになりました。10円のみそ汁、30円のごはん、50円以下のおかず。一日一食。2回以上食べない。嗜好品禁止。

でもね1人じゃ限界あります、そういう障害です。
そもそも「にゃーが3日も食事取りに降りてこない……」とか動けない母には言って、動ける自分が私の部屋に来るという発想がない。心配してるんだよっつーなら扉壊してでも入れよ。
そんな馬鹿親父に、動けない母に、使えない兄貴が邪魔すぎて虫みたいな家でも
私はあっちの方が幸せだったよ。

そんな不器用な家族を、この映画に重ね見て
つらいから蓋をしていたものが
少しずつ蓋がズレて、落ちた。

だって、人間の寿命は長くない。
決断を先送りにできない。
両親とも、もう長生きできるほどの歳でもない。

『素敵じゃないか、真人を産めるなんて!』
『本当は私が嫌いなんだろう!』
『このままだと積み木は崩れる。』

『君たちは、どう生きるか』

私は
無念を抱えてまで
長らえたくはない。

夏子に手を伸ばしたように、
もう一度。

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