【年金を受け取る罪悪感】について

たまにやってるアプリが長時間メンテなのでポチポチ書いていきます……寝たい……(疲労)

心療内科行ってきました。
自分の話はパパっと終わったのですが(繰り返しますが人間不信です。医者相手でもそうです)
「例えば重症心身障害者の人でもね、介助者に『ありがとう』と伝えるだけでも、何かをしているわけですよ」という例え話が出て
「あ、これ大学の生命倫理学の最後のリアクションペーパーで聞かれたことだ」と思いました。

リアクションペーパーに記述しなさいと書かれていたのは、『重症心身障害者が生きていくことについて、見解を述べなさい』(意訳)でした。
私はそれに、『見解』はありましたが、『答え』ではなかった。
なので、書くことは出来ましたししましたが、聞かれて15年経とうかという今でも、よく考え直していたのです。

私の見解においては、
重症心身障害者もひとつの命であり、死んでよい命ではない。生きていく権利を持っている。
ただ、そこまでしかなかった。
当時の自分でも気が付いていました、これが単なる『綺麗事』であることを。
重症心身障害者本人に対して諭せるかと言われると、きっと納得されないと。

自分も今はそうですね。
生きていく権利がある。死んでよい命ではない。
じゃあ生きてくださいと言われても、それでは納得はできない。
『なにもできない』という虚無感は、きっとある。

ただ、この医師の話を聞いて
私もヘルパーの経験がありますし
家族を介助してきた者として自負はあります。
動けなくても、例えば『この料理、好きだな』と思ってもらえたり
『さっぱりするのは、気持ちいいものだね』と言って貰えたり
なんなら話をするだけでも、ヘルパー(介助者)には意義があって
『ありがとう』は最高の報酬です。
ぶっちゃけて私の半給1200円でしたが
金より価値があります。
こころをお裾分けしたものが、こころに還ってくる。
お金はただの労働報酬です。

話を戻します。
そんな生命倫理の話を思い出したので、(ポンコツ医師ですが)医者としての経験は長いようなので
『(精神障害の)年金受給って、渋るとか、罪悪感の高い人が多いですよね。どう伝えているんですか?』と聞きました。
まあ返答は頂きましたが、罪悪感があまり高くない私でも全く納得できなかったので、やっぱり医師はポンコツです。

けれども、その中から抜粋したり
私が宗教的なものを拠り所にする感覚から言うに、
『一時的なもの』と捉えてもいいのでは
それは思いました。

精神障害は、理由は様々ですが、心が追い込まれて、どこにも逃げ場がない状態です。
医師の言い方を使うなら背水の陣です。
それでは生きていけない。死んでしまう。
私たち福祉の人間が、『できない部分は支えますよ、だからあなたらしく生きていきましょう』という(意訳)理念の元に、或いは理念も関係なく飛び出す私のような奴もいますが()、

『できない』ことが悪いわけじゃないんですよね。
できない状態にある苦境に喘ぐ人が居る。
その人たちが『なにかできるようになるまで』、支えていく。介助で言うなら立位保持程度の。
筋力が衰えても、部屋の中に福祉用具を設置したら1人でもやっていける人は居ます。ちなみに母です。
その福祉用具。
そのひとつが『障害年金』として設定されている。

何も出来ないかもしれない。
生涯脱出できずに、ずっと貰うだけかもしれない。
そんな不安や罪悪感を抱きます、私たちは。
だって、その障害年金がどこから来るのか知っているから。
『他人の金』なのです。
病んでるからくれなんて、精神障害の人は誰も言いません。
生活保護の不正受給者なら話は別ですが。あいつらはふてぶてしいですね。

歩いても歩いても、光の見えない、真っ暗なトンネルみたいな道をひたすら歩いて
もらうばかりの年金に申し訳なさを募らせる人は居るだろうと思います。だから質問した。

なので、ちょっと生命倫理の質問からもズレますし、回答にはならないかもしれませんが
『心の拠り所を見付けるまでの杖が、年金である』と解釈します。精神障害に関しては。

私たちは、日々、不安に苛まれ、恐怖に囚われ、嫌な記憶に縛られ、それを忘れることも出来ず、苦しさの中をずっと廻っています。
自分でも無意味だと理解している人は居るでしょう。私は思ってる。
ただ、その無意味な回顧は、自分らしい答えが見つからなくて、見付からないものは選べないから、グルグル廻るんです。

そこから脱却するまで。
自分らしさを見付けるまで。
苦しみから解放されるまで。
変わらなくても、違う形で世界の何かに関わるまで。
苦しみから抜け出せる縁と出会うまで。
そういうものなのかな、が、今の見解です。
巡り会うまでの時間猶予。

質問された医師もね、『払う側』です。
働いてますからね。
私は『貰う側』から『払う側』へ質問したのです。
良い気はしないかもしれません。
血税ですからね。
しかしまあポンコツ医師とはいえ、述べましたのは、『支えた甲斐なく、自責で潰れて仮に死んでしまわれたら、支えた分のお金が本当に無駄になってしまいます(意訳)。だから、自責とかよりは感謝をして、まずは自分に絡まってるつらさを解いていって欲しいと思います』と。
そりゃそうですね。払ったのに死にましたとか報われませんよね。払った側も。
医師いわく、精神障害年金受給者でも、受給を終了する人はいるからと。

納得できないなら、自分の周りを整えて
『もう年金を頂かなくても、生きていけます』となるのが、年金というセーフティネットへの最大の報酬なのでしょう。

そんなことを思ったので、記事を分けて書きました。何か参考になればいいな。

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