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Love and Compassion『上席と末席のたとえ』

イエスのたとえ話シリーズ No.14「上席と末席のたとえ」

2024年9月29日

ルカによる福音書14:7-11


ルカ
14:7 招かれた人々が上座を選んでいる様子に気づいておられたイエスは、彼らにたとえを話された。
14:8 「婚礼の披露宴に招かれたときには、上座にすわってはいけません。あなたより身分の高い人が、招かれているかもしれないし、
14:9 あなたやその人を招いた人が来て、『この人に席を譲ってください。』とあなたに言うなら、そのときあなたは恥をかいて、末席に着かなければならないでしょう。
14:10 招かれるようなことがあって、行ったなら、末席に着きなさい。そうしたら、あなたを招いた人が来て、『どうぞもっと上席にお進みください。』と言うでしょう。そのときは、満座の中で面目を施すことになります。
14:11 なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」

新改訳改訂第3版 © 一般社団法人 新日本聖書刊行会(SNSK)

タイトル画像:Chil VeraによるPixabayからの画像


はじめに


ルカによる福音書14章は、イエスの教えの本質と、当時の宗教的・社会的規範との鋭い対立を鮮明に描き出しています。パリサイ派の指導者の家での安息日の食事という一見平凡な場面が、実は霊的真理と革新的な社会批判の舞台となっています。

この章では、水腫を患う人の癒し、上座と末席のたとえ、そして安息日の規則に関する議論を通じて、イエスが形式的な律法遵守よりも人間への愛を優先する姿勢を示しています。同時に、社会の底辺に追いやられた人々を中心に据えるという、神の国の価値観を具体的に表現しています。

イエスの行動と教えは、単に当時の慣習に挑戦するだけでなく、今日の私たちにも深い問いかけを投げかけています。真の御心とは何か、本当の安息日の意味とは何か、そして神の目に映る人間の真の価値とは何か―これらの問いは、2000年以上の時を超えて、現代社会にも強く共振しています。

形式主義や社会的偏見を超えた神の無条件の愛、そしてそれに基づくイエスがもたらした新しい社会秩序のビジョン ―これらのテーマを通じて、私たちは信仰の本質と、それが現代社会にもたらす変革の可能性を探求していきます。

たとえに至る経緯について


安息日の祝宴 ───イエスとパリサイ派の対峙の舞台

ルカによる福音書
14:1 ある安息日に、食事をしようとして、パリサイ派のある指導者の家に入られたとき、みんながじっとイエスを見つめていた。

ルカによる福音書14章1節を読むと、イエスの公生涯における重要な場面を描いています。この節は、イエスがパリサイ派の指導者の家で食事をする様子を描いており、当時の社会的、宗教的状況を理解する上で貴重な資料を提供しています。

まず、「パリサイ派のある指導者」という表現について、解説は日本語の訳よりもより明確な意味を持つと指摘しています。この人物の正確な地位については三つの可能性が指摘されています。ニコデモのような「指導層」、サンヘドリン(ユダヤ教の最高法院)のメンバー、あるいはパリサイ派の組織内での高い地位にある人物である可能性が挙げられています。特に、その中でもサンヘドリンのメンバーである可能性が最も高いと考えられています。

次に、「安息日に食事をする」とありますが、これが当時のユダヤ人社会において重要な意味を持っていたことです。これは、「安息日の祝宴」を意味し、それは単なる食事ではなく、社会生活の重要な一部でした。しばしば贅沢で派手な催しとなっていました。冷めた食事であることを条件でありましたが、豪華な食事が提供されました。

アウグスティヌスの証言によれば、これらの祝宴にはダンスや歌も含まれていたことが示されています。「安息日の贅沢」という表現がことわざになるほど、これらの祝宴は社会的に重要な意味を持っていたのです。

現代でも、その名残が教会の礼拝後の愛餐会にも見られますが、コロナ以降こうした食事の交わりが減少したのは残念なことです。

ところで、パリサイ派の人々がイエスを招いた動機については、「半分は敬意、半分は好奇心」であったと推測されています。これは、イエスに対する彼らの複雑な感情を示唆しています。イエスの評判や教えに対する関心がある一方、他方では彼の律法に反する問題行動を注意深く観察し、批判の機会を探っていたのです。

1節の場面は、イエスが当時の宗教指導者たちと直接対話する場でもありました。同時に、安息日の規則や社会的慣習について、パリサイ派の人々にイエスがどのような神学を示すのかを知るきっかけともなりました。この節は単なる歴史的な記述以上の意味を持っています。

それは、伝統的な律法主義に基づくユダヤ教に対して、キリストがもたらした福音という新しい教えが、当時の社会的慣習と霊的真理の間の緊張関係を浮き彫りにし、イエスの教えがどのように当時の社会に挑戦し、また受け入れられていったかを示す重要な場面ともなりました。

社会の縁辺から中心へ ───水腫の患者とイエスの革新的な姿勢

ルカによる福音書
14:2 そこには、イエスの真っ正面に、水腫をわずらっている人がいた。

ルカによる福音書14章2節は、イエスの奇跡的な癒しの記録の中でも特異な位置を占めています。この節は、イエスがパリサイ派の指導者の家で食事をしている場面で、水腫を患っている人が突如として登場する様子を描写しています。

まず注目すべきは、これが福音書全体を通じて、水腫の癒しについて記録された唯一の事例であるという点です。この珍しい記事は、この出来事の重要性を示しています。

さらに興味深いのは、ルカが使用している医学用語の精確さです。「水腫を患っている」という表現に使われているギリシャ語「ハイドロピコス」は、医学の専門用語です。この専門的な用語の使用は、著者ルカの医学的背景を反映していると考えられます。ルカは、他の福音書記者たちよりも、イエスが癒した病気の性質について詳細な調査を行っていたことが伺われる記述です。

水腫は、現代医学では「浮腫」あるいは「むくみ」として知られる症状に近いものと考えられています。これは体内に過剰な水分が蓄積する状態を指し、外見的にも非常に顕著な特徴を持っています。患者の体は全体的に腫れ上がり、特に手足、顔、腹部などが著しく膨らんでいたでしょう。皮膚は張りつめて光沢を帯び、触れるとへこみが残るような状態だったと想像されます。

この症状は、一目で認識できるほど明らかなものだったと考えられます。全身が腫れ上がっている様子は、周囲の人々の注目を集めずにはいられなかったでしょう。特に顔の浮腫は顕著で、その人の外見を大きく変えていたはずです。さらに、過剰な水分貯留により、動くことさえ困難だったかもしれません。

当時の社会的文脈を考慮すると、水腫の患者の立場は非常に厳しいものだったと推測されます。ユダヤ教の清浄規定(カルシュート)において、このような症状は「不浄」とみなされた可能性が高く、患者は社会から疎外されていたかもしれません。また、当時は病気が罪の結果だと考えられることが多く、水腫の患者は道徳的な批判の対象となっていた可能性があります。さらに、当時の医学では原因も治療法も不明で、重篤で不治の病とみなされていたでしょう。

このような背景を考えると、水腫を患った人がイエスの目の前にいたという状況は、きわめて印象的で象徴的な場面設定だったと言えます。その人の存在は、イエスのあわれみと癒しの力を示す機会となると同時に、当時のユダヤ教の規範に対するイエスの挑戦的な姿勢を浮き彫りにする役割を果たしていました。

現代の視点からすると、水腫の背景には心臓病、腎臓病、肝臓病などの重大な疾患があることが多いとされています。しかし、当時はこのような医学的知識がなかったため、症状そのものが病気として認識され、その原因や治療法については多くの誤解や偏見があったと考えられます。

このように、水腫を患った人の存在は、単に医学的な事例としてだけでなく、社会的、宗教的、そして道徳的な問題を提起する象徴的な存在として、この聖書の場面に重要な役割を果たしています。

謀略の中の真珠 ───イエスの憐れみが織りなす神の摂理

水腫を患っている人の存在について、二つの可能性があります。一つは、この人物が招待客の一人であった可能性です。もう一つは、この祝宴が裕福なパリサイ派による行事であり、一般公開された祝宴の可能性です。いずれの場合も、仮に水腫の人が不浄と見なされていた場合、この状況は通常ではなく、意図的に設定された可能性が高いと考えられます。

では、もし意図的であった場合にどのようなことが考えられるでしょうか。この設定は、イエスの教えと行動がいかなるものであるのかを試そうとする意図があったことを示唆しています。安息日に病人を癒すかどうかという問題は、当時のユダヤ教の律法解釈において重要な論点でした。水腫を患った人の存在は、イエスに対する「謀略」を図る舞台として計画されたものと考えることができます。

同時に、この状況はイエスに対して、彼の教えの本質を実践で示す機会を提供しました。形式的な律法遵守よりも人間の苦しみへのあわれみを優先するというイエスの姿勢が、この場面で鮮明に表れることになります。

末席から響く天の調べ ───イエスの謙遜と愛の勝利

さらに注目すべきは、水腫を患った人がイエスの真正面に置かれていたという事実です。これは明らかに意図的な席次であり、安息日にイエスが病人を癒すかどうかを見ることで、彼を罠にかけようとする試みだったと考えられます。

興味深いのは、イエスが座られた位置です。水腫を患った人が「罪人」と見なされた場合、彼の真正面にいたということは、イエスが必ずしも上座にいなかったことを示しています。ホストがゲストであるイエスを末席に招待したとすれば、非礼であります。しかし、同時にゲストであるイエスがこの招待と席次に対して文句も言わず着席したとならば、自らの教えを実践し、謙遜の姿勢を示していたと解釈できます。同時に、社会的に排除された人々との連帯を表す象徴的な行為でもあります。

パリサイ派の人たちがじっとイエスを凝視する、このような緊張に満ちた状況の中で、イエスは水腫の人とともに末席に着座し、罪人として排斥された可能性のある水腫の人を癒すことを選びました。これは、形式的な律法を遵守することよりも人間の苦しみへのあわれみを優先するという、イエスの根本的な姿勢を明確に示すものでした。

安息日に労働(ここでは癒し)を行うことは、ユダヤ教の伝統では重大な罪とされていましたが、イエスはこの行為を通じて、律法の精神と行いの間のバランスについて新たな解釈を示したのです。

沈黙を破る愛の行動 ───イエス、安息日の常識を覆す

ルカ14:3 イエスは、律法の専門家、パリサイ人たちに、「安息日に病気を直すことは正しいことですか、それともよくないことですか」と言われた。14:4 しかし、彼らは黙っていた。それで、イエスはその人を抱いていやし、帰された。

ルカによる福音書14章3-4節の場面は、イエスとパリサイ派の間の緊張関係を巧みに描いています。イエスは、自分に対して仕掛けられた罠を即座に見抜いています。パリサイ派は、安息日に癒しの業を行うイエスを罪人として断罪したいという思惑を持っていましたが、イエスはその意図を察知していました。

イエスの質問「安息日に病気を直すことは正しいことですか、それともよくないことですか」は、単純な イエス・ノー の質問ではありません。これは、パリサイ派の律法解釈の矛盾を公に露呈させる巧妙な問いかけでした。

安息日の規則を厳格に守ることと、苦しむ人を助けるという道徳的義務の問いかけにパリサイ派は答えに窮しています。
パリサイ派の沈黙は、彼らのジレンマを如実に示しています。「はい」と答えれば、自らの安息日解釈を否定することになり、「いいえ」と答えれば、明らかに非人道的な立場を取ることになります。この沈黙は、彼らの律法解釈の硬直性と、真のあわれみの欠如を浮き彫りにしています。

イエスは、彼らの沈黙を待つことなく行動に移ります。水腫の人を抱き、癒し、そして帰すという一連の行動は、非常に意味深いものです。まず、「抱く」という行為は、単なる治療以上の意味を持ちます。これは、社会から疎外された人への深い共感と受容を示す象徴的な行為です。

次に、イエスが水腫の人を癒し、帰したことは、複数の意味を持っています。まず、これは安息日の真の意味を実践的に示す行為です。イエスは、安息日が人々を縛るためではなく、解放し、回復させるためのものであることを示しています。さらに、ホストであるパリサイ派の主催者に断りなくこれを行ったことは、イエスがこの場において、単なるゲスト以上の権威を持っていることを示しています。

この行動は、イエスの権威と自信を如実に示しています。彼は、パリサイ派の社会的規範や期待に縛られることなく、自らの信念に基づいて行動しています。これは、形式的な規則や社会的慣習よりも、人間の苦しみを取り除くことを優先するイエスの姿勢を鮮明に描き出しています。

この場面は、イエスの教えの本質を実践的に示しています。それは、形式的な律法遵守よりも、愛と憐れみの実践を重視する姿勢です。イエスは、安息日の規則を否定するのではなく、その真の意味を再解釈し、実践しているのです。

井戸の嗣子と牛 ───イエスが明かす律法の本質

ルカによる福音書
14:5 それから、彼らに言われた。「自分の息子や牛が井戸に落ちたのに、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者があなたがたのうちにいるでしょうか。」

イエスが用いた例え、つまり息子や牛が井戸に落ちるという状況は、当時の聴衆にとって非常に身近で、かつ深刻な問題を提起しています。
まず、牛について考えてみましょう。ご指摘の通り、牛は単なる家畜以上の存在でした。農耕社会において牛は、現代のトラクターに相当する重要な「農機具」でした。牛を失うことは、単に一頭の動物を失うということではなく、家族の生計を支える重要な資産を失うことを意味しました。したがって、牛が危険な状況に陥った場合、それを救出することは経済的に死活問題だったのです。

次に、「息子」(ギリシャ語でフィオス)という言葉の重要性について。これが単なる子供ではなく、相続権を持つ嗣子(跡取り)を指すという点は非常に重要です。ユダヤ社会において、家系の継承は極めて重要な問題でした。嗣子は単に愛情の対象というだけでなく、家族の未来そのものを体現する存在でした。したがって、嗣子の命が危険にさらされている状況は、家族の存続そのものが脅かされていることを意味しました。

イエスは、これらの例を挙げることで、聴衆の共通認識に訴えかけています。たとえ安息日であっても、牛や嗣子を危険な状況から救い出すことは、ほとんどの人にとって当然の行動だったはずです。これは、人々の自然な反応と道徳的直感に基づいた議論です。

しかし、ここでイエスは、パリサイ派の律法解釈の矛盾を鋭く指摘しています。パリサイ派の詭弁的な解釈によれば、安息日に井戸に落ちた動物に食べ物を与えることは許されても、実際に引き上げる努力をすることは安息日が終わるまで禁じられていたのです。この解釈は、明らかに非現実的で、人間の自然な反応や道徳的直感に反するものです。

イエスの議論は、安息日の規則の本来の目的と、その形式的な解釈の間の乖離を浮き彫りにしています。安息日の規則は本来、人々を守り、休息をもたらすためのものでした。しかし、パリサイ派の厳格な解釈は、逆に人々を窮地に陥れる可能性があったのです。

このようなイエスの論法は、単に安息日の規則について議論しているだけではありません。これは、より広い意味で、宗教的規則の解釈と適用のあり方について深い洞察を提供しています。ここでもイエスは、規則の文言だけでなく、その精神や本来の目的を理解することの重要性を強調しているのです。

Love and Compassion


祝宴の逆説 ───イエスが明かす神の国の席次

ルカによる福音書14章7-14節 
招かれた人々が上座を選んでいる様子に気づいておられたイエスは、彼らにたとえを話された。
「婚礼の披露宴に招かれたときには、上座にすわってはいけません。あなたより身分の高い人が、招かれているかもしれないし、 あなたやその人を招いた人が来て、『この人に席を譲ってください』とあなたに言うなら、そのときあなたは恥をかいて、末席に着かなければならないでしょう。招かれるようなことがあって、行ったなら、末席に着きなさい。そうしたら、あなたを招いた人が来て、『どうぞもっと上席にお進みください』と言うでしょう。そのときは、満座の中で面目を施すことになります。
なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」
また、イエスは、自分を招いてくれた人にも、こう話された。「昼食や夕食のふるまいをするなら、友人、兄弟、親族、近所の金持ちなどを呼んではいけません。でないと、今度は彼らがあなたを招いて、お返しすることになるからです。
祝宴を催す場合には、むしろ、貧しい者、からだの不自由な者、足のなえた者、盲人たちを招きなさい。その人たちはお返しができないので、あなたは幸いです。義人の復活のときお返しを受けるからです。」

イエスがパリサイ派の指導者の家で語った「上席と末席」のたとえは、単なる社会的マナーの教えを超えた、深い霊的真理と社会批判を含んでいます。

イエスは、ゲストとして招かれながらも、水腫を患った人と同じく末席に座らされていました。この配置自体が、パリサイ派の人々の意図を露骨に示しています。彼らはイエスを招いたのは、彼を歓迎するためではなく、むしろ彼が律法を破る瞬間を捉えて、罪に定めようという下心がありました。本来、宴席は祝福を分かち合う場であるはずですが、この場は祝福どころか、呪いを招く場と化していたのです。

パリサイ人たちの態度は、安息日の本来の意味を完全に歪めていました。安息日の祝宴は、本来、神を賛美し、共同体の絆を深める機会であるはずでした。しかし、彼らはこの神聖な時間を、イエスの罪を暴露する機会に変えてしまいました。イエスが罪を犯す瞬間が、いわば宴会の「メインディッシュ」となり、参加者たちはその瞬間を虎視眈々と狙っていたのです。

さらに、この宴席は参加者たちの社会的地位を確認し、誇示する場にもなっていました。人々は自分のポジションが他人より上か下かを常に意識し、より上座を得ようと躍起になっていました。このような態度は、宴席の本来の目的である交わりと感謝を完全に見失わせるものでした。

当時の社会的慣習では、祝宴には身分の高い者が招かれ、上座には金持ちや有力者が座るのが当然とされていました。一方で、貧しい者、障害者、病人は通常招かれることはありませんでした。このような慣習は、社会的不平等を強化し、弱者をさらに疎外する結果となっていました。

イエスがこのたとえを語った意図は、このような社会的慣習と価値観を根本から覆すことにありました。イエスの教えの核心は、神が人を身分や地位で判断するのではなく、むしろ身分の低い者、虐げられている者に対して強い愛情といたわりを持っているという点にあります。

イエスは、人をもてなすことが神を愛することに匹敵すると教えています。つまり、社会的地位や見返りを期待できるかどうかではなく、純粋に他者を愛し、特に社会から疎外された人々にコンパッション(他人や自分自身の身体的、精神的、または感情的な苦痛を和らげるために全力を尽くすように人々を動機づける社会的な感情)を示すことこそが、真の信仰の表れであるというメッセージです。

このたとえ話を通じて、イエスは単に個人の謙遜を説いているだけでなく、社会全体の価値観の転換を求めています。自己実現や自己昇進といった社会的地位の追求ではなく、他者への奉仕と愛こそが真の偉大さであるという、革新的なメッセージを伝えているのです。

結論として、このたとえ話は、当時の社会的・宗教的慣習に対する痛烈な批判であると同時に、神の国の価値観を示す重要な教えとなっています。イエスは、形式的な宗教観や社会的慣習を超えて、真の愛とコンパッションに基づく新しい社会秩序を提唱しているのです。このたとえは、2000年以上経った今日でも、私たちの社会や個人の価値観を問い直す力強いメッセージとなっています。

抱擁の奇跡 ───境界線を溶かす神の愛

ルカによる福音書
14:4 しかし、彼らは黙っていた。それで、イエスはその人を抱いていやし、帰された。

今回取り上げた「上席と末席のたとえ」に関して最も印象的な箇所は、14章4節でしょう。その箇所をイメージしてください。

イエスが水腫を患った人を抱いて癒した瞬間、その場の空気が一変しました。パリサイ派の指導者の豪華な家で、厳粛な安息日の祝宴の最中に、イエスは社会の最下層とされていた人間を抱きしめたのです。その行為は、静寂を破る雷鳴のように、そこにいた全ての人々の心に衝撃を与えました。

それまで部屋の隅に追いやられ、誰もが避けていた水腫の患者が、突如として全ての注目を集める中心となりました。イエスの腕に包まれたその人の顔に、長い間忘れていた希望の光が灯りました。肌と肌が触れ合う中で、イエスの温もりが患者の体を包み込み、その温もりとともに、年月をかけて蓄積された社会からの疎外感や自己嫌悪が溶けていくのを感じたことでしょう。

パリサイ派の人々は、この光景を目の当たりにして、戸惑いと驚愕の表情を隠せませんでした。彼らの目には、清浄規定を無視し、安息日の規則を破るイエスの姿しか映らなかったかもしれません。しかし、その場にいた他の人々、特に社会的に弱い立場にあった人々の心には、この光景が深く刻み込まれたはずです。

イエスの抱擁は、単なる身体的な接触を超えた、魂の深部にまで届く愛の表現でした。それは、社会の壁を打ち砕き、人間の作った規則を超越する神の愛の具現化でした。水腫の患者の体から過剰な水分が引いていくのと同時に、その場にいた全ての人々の心から、偏見や差別の壁が崩れ落ちていったのです。

この一瞬の出来事は、神の国の価値観を如実に示す生きた例となりました。社会の底辺に追いやられていた者が、突如として神の祝福の中心に据えられたのです。それは、既存の宗教的エリートたちの価値観を根底から覆す、静かでありながら力強い改革の始まりでした。

イエスの抱擁と癒しの行為は、その場にいた全ての人々に深い問いを投げかけました。真の清さとは何か、本当の安息日の意味とは何か、そして何よりも、神の目に映る人間の真の価値とは何かを。

この出来事は、福音書の一節として記録されただけでなく、それを目撃した人々の心に消えることのない印象を残しました。そして今もなお、この物語を読む私たちの心に、社会の偏見や差別を超えて、全ての人を抱擁する神の愛の深さと広さを伝え続けているのです。アーメン