スピリチュアルな出会い


結構海外で生活する機会もあったりで、
その都度出会う人たちが結構、スピリチュアルだったなーって感じる。

世間一般でのスピリチュアルの定義はあれど
私の中で感じるスピリチュアルなのは、信心深い人。

神様・仏様・祖先、ムーンパワーなどなど

目に見えない大きな力とその恩恵を
否応なく信じられる人。
そういう人って、単純にすごいなと感心する。

嫌味じゃなくてね。




一昨年かな、とあるクリスチャンと出会いがあり、
何十年ぶりかに教会に誘われた。

その日のサーモンは目から鱗だった。
鮭じゃなくてsermon、説教の方ね。


いろいろ具体的な信者さんの話もありつつ
要するに、キリストの復活を信じてる人が
クリスチャンなんだ。って。

クリスチャンの信仰とは、
イエスキリストがやったり、言ったりしてた
「イイコト」を守っていくよ~
じゃなくて、(多分そういう戒律も大事だろうけど)

それよりなにより

イエスキリストは磔になった
3日目に復活した



これを信じる人⇒クリスチャン。



知らんかった。
全然知らんかった。
思ってたのと全然違う。

めちゃめちゃオカルトやん。

40年生きてて初めて知ったわ。
幼稚園はミッション系だったし、日曜学校にも行ってたのに。

どちらかと言えばクリスチャン寄りかと思ってたけど
全然クリスチャンじゃなかった私。
要素は皆無だったわ。



アメリカ、台湾、インドなどなど
いろんな国でいろんなクリスチャンにお世話になってた。

みんないい人で、とっても信心深くて、
本当にたくさん助けてもらってきたけど。
みんな、キリストの復活を信じてる人たちだったんだね。


どんなことを信じられるか、
それぞれに任せますんで、他人が口を出すことじゃ全然ないんですけど。


こんなに情報にあふれた世の中で
死者が復活したよって話を
実際に見たり、検証された物的証拠もないなかで
そのまま受け入れられるって
ピュアすぎる。

そういうことが受け入れられる才能っていうか
器っていうか、資質というか、心の有り様っていうか
どこか特別だと感じてしまう。



説教を聞きながら、
ただただ自分はクリスチャンにはなれないなと、
痛感した日だった。



誤解のないようにもう一度言いますけど
本当に、キリスト教やキリストの復活について
否定したり、馬鹿にしたり、悪感情があるわけではないです。

ただただ、
自分にはクリスチャンとして持つべき信仰からみると
その素質はないなと思っただけです。



この世にあふれるオカルトな(科学的に証明されていない)ことでも

宇宙人はいるなー
幽霊もいる、精霊とか物にはすべて魂があるとか
死後の世界も、輪廻転生も、因果応報、
天罰とか、運命・宿命、縁とかならば
果然信じてるんだけど。


神様はいそうだって思えるのに
死者の復活には、なんで疑問しかわかないんだろう。
何が違うんだろう?

イエスキリストって人がいた⇒信じられる
イエスキリストって神の子だ⇒信じられる
イエスキリストの再臨⇒ありえそう

イエスキリストの復活・・・・・



⇒実は仮死状態だったんじゃないのかな??

 ごめんやっぱ、無理げー。


生理的に無理?
大人になってから聞いた話だから?
死者が復活したら困るから?

そのままを受け入れられない理由を探ってみたが
やはり、何故無理なんかよくわからん。

本日もご多分にもれず、書き出しから
かなり脱線してしまった。


とにかく、いろんな優しい人に支えられて生きてきた。
その優しい人の多くは何か疑いなく信じられる人で
無償で他人を助けられる人だ。
だからこそ、その信仰を押し付けてきたこともない。(ココ重要!)


自分もそうありたいと思いつつも、
偉大な力を信じ切ることが出来ない。


だったら、もう割り切って
自分の返せる恩だけ返していこう。


他人に対して無償の愛は捧げられないけど
いつだって誠実に向き合う。

ただそれだけです。


きっと信心深い人の方が実り多き人生であるだろうし、
私を助けてくれた人たちにはそうであってほしいと願う。



スピリチュアルな出会いに感謝しつつ
ハマれない自分もそんなに嫌いじゃなぁい。








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