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最近 2024/04/02

『価値観のアップデート』というスローガンもスローガンと化した時点でまあまあダサいなと思っているものの、未だに『昔は良かった』と言い出す人間は跡を絶たずこれはもうどうにもならないのだろうか、ということを考える。頭を麻袋で覆い思い出の中だけで生きている人間に何が届くというのだろうか。いつだって今は最新の過去なのであり、時は価値を保証しないというのに。

菅原圭『Live Streamig ”April with Kei Sugawara Live Session”』を観る。音声のパフォーマンスに関して言うことがないだけにイメージ映像というのではなくライブを観たかったという思いは拭えず。これならあとから音源だけ買えばいいかな、などと思ってしまう。

「『ポメラDM250』を買うべきか」ということを前回の記事に書いたのだが、もう少し安価なところで『Chromebook』という選択肢を知る。

確かに自分は調べ物をしながら書き物をするタイプだし、縦書きのワープロソフトさえ動けばポメラである必要はないかもしれない。とはいえ調べ物くらいは隣に置いてあるスマートフォンを使えという話であるし、そこらへん悩むところではある。

長瀬有花『LIVE "放電"』を配信で観る。長瀬さんのここのところのフィジカル強めな路線が気に入っているので今回も楽しめた。というか、普段のゆるい感じで弾き語りしてるところしか知らない人だとびっくりするのではないだろうか。思ったより音量がデカく、スピーカーごと焼け付くようなノイズがそのSF的なビジュアルも相まって『エモい』。そういうところがたいへんあざといアーティストだと思うのだけれども、憎めない。

余談だが、zaikoで配信チケット買うときのzaiko connectへの誘導が紛らわしく悪質だなと感じてしまった。マジでこういうサービスが分かりづらくて得することないッスよ。

しかしまあ、ずっと真夜中でいいのに。のライブ映像を観たときも衝撃的だったが、『懐かしい(≒エモい)未来』としてのサイバーパンク的な装いというのがトレンドにあるのは不思議な感じがする。ギブスンの「ガーンズバック連続体」が描いた(と伊藤計劃が指摘した)YMOとでも表現したくなるようなステージ。

向井秀徳によるテレキャスターの響き、Adoが「うっせぇわ」でサビに入る前に叫ぶ『はぁ?』の声、そういった記名性の強い1発とアーティストについてふと考える。単なる必殺技を超えたものがそこにあるように思うが、まだ結論は出ない。

投げ銭してくれると小躍りしてコンビニにコーヒーを飲みに行きます。