34歳にて

※これは随分と故人への敬意を欠く話であり、また障がいについて揶揄するような表現を用いているが、そこに同胞(と、敢えて書かせていただく)に対する悪意がないことだけは信じて欲しい。

先日誕生日を迎え、34歳になった。心の中にとどめていた、書きたい物事がいくつもあるので、連ねていこうと思う。

2年前に祖父が、去年は父が、それぞれ亡くなった。それぞれ闘病の末の死であり、本人の苦しみのみでなく、母や祖母、妹などの負担も大きかっただろうと思う。そんななかで自分は、と考えるとまた、落ち込みもする。

僕は精神障害者2級である。祖父が、父が、死に向かって衰弱していく中を、ただただろくに手伝いもできずに、いくらか精神をすり減らしながら眺めていたに過ぎない。

昨年の、33歳の誕生日、僕は父が生きていることが嬉しく、何度も「僕も誕生日だよ」、「33歳になったよ」と繰り返すと、もう長くベッドから起き上がれなくなっている父は「もう聞いたよ」とそっけなく返した。おめでとうの一言もなく。

後から「今年はどこにも連れて行ってやれないな」とこぼしていたこと、を母から聞かされた僕は泣いた。小さく。

寡黙に、それでいて喋り好きな家族の言葉を笑顔で受け止め、現役時は大工であった、という、『いざというときに頼りになる』祖父。晩年もまた、言葉は多くなかったが、寝たきりのままインフルエンザから無事に生還してみせるなど、その生命力には驚かされ、尊敬の念を抱かずにはいられなかった。

父は、病床にあってもアマチュア・コメディアンであることをやめなかった。ベッドから起き上がれない以外は元のままであり、このまま5年も10年も生きるのではないかと思わせた。痛みに耐え、心配をかけさせまいとただただジョークを飛ばし、快復後の展望を語り続けた。

父は末期の癌だった。モルヒネにかき回された脳が、どこまでそのことについて理解していられたのかを、僕は知るよしもない。

父について語ると長くなる。エディプスのなんちゃらではないが、尊敬と親愛、ヘイトがない交ぜになった感覚は、いくら書いても納得することはないだろう。気分が乗ればいくらか別の機会に書くかもしれないが。

20代も後半を過ぎ、生きることの苦しさからいくらか解放された、と思った。時が人間を愚鈍にする。神経をすり減らしながら社会に気を遣っていた10代の頃の自分はいない、そう思うと気が楽になった。

30代を過ぎた。より愚かに、醜くなっていく。代謝は落ち、太り、あらゆる物事が適当であればよい、となっていく。

この歳にかかるまで、身内の死と無縁であれたことは幸運であろう。しかしまた、堪えるのもこの年齢だからこそ、なのだ。

人は死ぬ。10代の頃はそれが救いだと思っていた。早く死にたいと思っていた。ロックの27歳教ではないが、30までには死んでいるとすら思っていた。

20代も後半を過ぎ、ようやく、生きていてもいいんだ、と思えるようになった。それはいささか遅すぎたのかもしれないが、自分としては満足している。

30も過ぎ、再び社会が圧をかけてくる。僕は精神障害者2級として認定され、『手帳持ち』になり、生きるだけなら随分と生きやすくなった。社会保障様々である。

僕が肉親の死に接して一番に感じたことは、『葬祭ビジネスの阿漕さ』だった。

生きるには金がいるが、死人もそれぞれの天国、涅槃、そういったところへと旅立つために金がかかり、それはかけただけ良いところへと行けるのであろう。そういうことになっている。

精神障害者はJRを安く乗れないらしい。五体満足だから当然だろ、と言わんばかりであり、また介助者についても割引は受けられないとのこと。我々、『軽度の』障害者は粛々とそのことを受け入れるしかない。

別に、障がいの重さを競おうという話ではない。これは不幸自慢ではない。ただ、『軽度の』障がいと断定されるとそこには別種の心の悩み、が起こるというだけの話である。

自分は健常者のフリをして、時には障害者ヅラをして、させられたりもしながら、コウモリのように社会の血を吸って生きていくのか、とか。

だいたい、最後には金だな、ということになっている。

いい学校へ行くにも、容疑者になって良い弁護士をつけるにも、障害者になるにも、老後を過ごすにも、葬式をあげるにも、金だ。金と、権力があれば、いまの世の中を渡っていける。

34歳の自分は金も権力もなく、あまり明るい未来も見えず、親愛、友情、そして文学、というよすがに支えられながらなんとか生きている。

人は死ぬ。いまそのことについて抱いている感情は無、だと確信できる。そりゃそうだろうというか、まあそうだ。そういうことだ。納得してしまった。そうだね、と。

僕は死ぬまで生きるだろう。みんなも死ぬまで生きるだろう。そしてどこかで別れるだろう。心中だって宗派が違えば行く先は別だ。

祝福と、祈りと、哀しみと、怒りと、この感情をどういう言葉にしてまとめたらいいかを僕はまだ知らない。小説を書く、文学に触れていくというのはそういうことを一つ一つ、つま先から身体へと循環させて表現すること、なのだろう。だから僕は小説を書くのが好きだ。

ほんとに世界人類がしあわせだったらいいのにな。

三十二歳の彼女は今日も歌を歌ってる
It's Only My Time
こんがらがってた頭の中の霧が晴れてく
It's Only My Time
斉藤和義「アゲハ」

投げ銭してくれると小躍りしてコンビニにコーヒーを飲みに行きます。