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変化のきっかけとなった「コレヲキニ」

「『これを機に』集まってみようか」

ある日、友人の家に集まり一通り話した後、一度自分たちの友人を集めて合同で同窓会をしたら面白いのではないか、という話となった。きっかけは、お互いの友人の自慢をしていた時、どの話題も面白そうだ、とその場にいた人全員が思ったからだ。

その時集まったメンバーの中には、実は初対面であったり数年ぶりにあった友人もいた。ただ、共通の経験として、学生時代に東南アジアや韓国など、国際交流事業に参加したという共通項で仲良くなった。

合同の同窓会を開くことに対し、かなりワクワクした。まだ見ぬ友人たちと出会うことができるなんて。新たな出会いの可能性に心をときめかせた。

同時に心配な点が一つあった。それは、自分たちが思っている以上に、周りの友人の温度感は高くないのではないか、ということである。

私自身、大学を卒業してから、ゼミの同窓会を何度か開催したことがある。卒業して間もない頃は、大学の思い出で盛り上がることができた。ただ、2年、3年と続けていくと、徐々に温度感が下がっていくように感じた。

ある日、ゼミの同窓会を開いた帰り道、親友に一言、
「そろそろ会話することなくなってきたよね」
と言われたことを鮮明に覚えている。共通の日常、体験をしていた日々から時間が経つと、徐々にその話題も擦れていく。代わりに今や将来の話になるのだけど、共通の体験や趣味もなく、いまいち盛り上がらない。懐かしむだけの関係性に対して疑問を持つように変化していった。

過去の友人たちと一緒に過ごす時間が減るということは、お互いに別の時間を過ごしているということだ。それはマイナスではなく、必然的なこと。自分を取り巻く環境の中で価値観も変化していく。その価値観の違いを楽しむこともできれば、違いが違和感と感じて距離を置いてしまうこともできる。

また、人生の中には、人に会いたい時と会いたくない時があると思う。
うまく行っているときは、自分の話ができるし、聞いてもらいたい。ただ、いまいちうまく行っていない時は、たとえ昔からの友人でも、自分に話すことがないと考えてしまいがちだし、人の話もやたら輝いて聞こえてしまう。

会うことにはタイミングがあるのだ。ライフステージが変わるごとに、人に会う意味合いが変わってくる。挨拶程度しかしなかった友人でも、時が経てばその人の良いところが新たにわかるかもしれない。ただし、きっかけがない。全然連絡をとっていない友人に対して、最近元気? と聞いてみるのは、意外と勇気がいることであったりもする。

大切なのはいつでも集まれる場なのではないかと思う。自分が行きたいと思った時に行ける場所。行きたくない時には行かなくてもいい場所。その代わり、行けば何かしら落ち着けるような場所。気軽に立ち寄れて、気軽に離れられる。いつでもふらっと立ち寄れる。そのための目印、灯台のような場所があればいいのにな、と思っていた。

そんなことを考えながら、早速場を作ること取り組んでみる。初めは5人でスタートしたこの「お互いの友人を集めた同窓会」の企画。みんな社会人のため、仕事が終わったらミーティングをする。

集客や広報、会場の押さえなど、お互いの作業の進捗を確かめ合った。その過程で、徐々に自分も「やってみよう」と共感してくれる仲間が増えていった。最終的に9人の仲間とともに、企画を進めていった。

0から1を作る。簡単なようで。かなり大変なことに気づく。それは、労力的な部分ももちろんだけど、極論を言うと「なくてもいい」のだ。この世に存在していないもの。存在していないことが普通なことを、あえてする。しなくても、人生を普通に過ごすことができる。だけど、それをあえて「やる」。なぜか。やったほうが人生が豊かになると思ったからだ。それがたまたま、友人の家の「これを機に」という言葉で始まったのだ。きっかけはなんだっていいのだと思った。

それぞれのメンバーが、場を作るために何ができるかを考えていく。デザインなど一度もやったことがないのに、ロゴがあったらいいなの一言でロゴを作り始める。広報文など書いたこともないのに、集客のためのページを作り始める。こんな経験を参加者に持ち帰ってほしいという気持ちで、イベントのコンテンツを考える。

普段全く異なる仕事をしていて、プロなど1人もいない集団だったが、「これを機にやってみよう」という気持ちで、新しいことにチャレンジしていく。負けじと、他の人も新しいことに挑戦したり、貢献できることを探す。そして、一人一人の行動に刺激を受け、賞賛をする。このサイクルが自然とできていた。

当初、50人程度くらいしか集まらないのではと思っていたが、反響が思った以上にあり、最終的に150人近い友人たちが集まった。0から1の企画で人が集まったことが嬉しい反面、プレッシャーが強くのしかかる。彼らの期待に応えることができるのだろうか。横にいる友人たちの顔つきもどこか緊張している。けれど、私も含めて「できる」という、何か確信めいた顔つきをしていたことは、忘れもしない。

結果として、過去の友人との再会だけでなく、友人を通じた新たな出会いにもたくさん恵まれた。それ以上に、自分たちが開いた場で、新しい出会いから何かが生まれていく様子に感動した。例えば、共通の価値観を持つ人たちでこれを機に一緒にプロジェクトを始めてみる。マラソンが好きな人同士がこれを機に一緒に走ってみる。久しぶりに会った同期とこれを機に同窓会を企画してみる。そんな何かを始めるきっかけ、「これを機に」の起点となる場となったことに、感動を覚えた。

何かを始めるきっかけ。「これを機に」というきっかけは、人それぞれにあると思う。悔しい思いをしたり、挫折・失敗をしたときに考える「これを機に」。成功して、さらにステップアップをしようと思う時の起点となる「これを機に」。そして、偶然の出会いやきっかけが元となる「これを機に」。自分の人生を振り返れば、今の自分にたどり着くまでのふとしたきっかけ、「これを機に」があることに気づく。

場にきた人たちが、今回をきっかけにやってみようと思った「これを機に」を、付箋で貼っていく。それをみて、私もやってみよう、と刺激になり、新しいきっかけが生まれていく。そんな様子を見て、人が集まる場の意味、偶然の出会いが生み出す力の可能性に思いを巡らせた。

きっかけはなんだっていい。人と出会わなくたって、集まらなくたいい。けれど、何か変化するきっかけとなるのは、成功や失敗、新しいや古い、興味がある・ない、充実や退屈など、といった感情・価値観に触れることが起点になる。その起点と向き合い、心の向くままに身を委ねてみることで、何かが始まるかもしれない。始めることに、遅いや早いなんてどうでもいい。やってみることで、見える世界が広がっていく。

これを機に。

たった9人でイベントを作るきっかけとなったこの言葉に、私は今後も大きな可能性を感じずにはいられない。

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