電脳監獄島『APOLLO_COMP0X』設定①
電脳監獄島『APOLLO_COMP0X』設定
(1)世界観設定
199X年、旧文明都市のアトランティス独立戦争は敗北に終わった。アトランティス側に属する国家は、ムー軍による占領政策が実施され、同盟国であった「日本国」は『日本分割占領政策』に基づき既存の統治機構を解体され、列島全体が戦争犯罪人を収監する監獄島と化した。
アトランティス独立戦争においては、魔術(霊力)と科学の融合が謳われた。特にアトランティスでは、霊界や霊魂は四次元以降に存在し、人体を巡る生命力エネルギー…3.5次元波であるエーテルによって三次元的肉体と結びつくと信じられてきた。人の発する思念をエーテルを通じて、脳波に変換し、CPUを動かす電気信号の周波数を同調(シンクロ)させることで、電子空間に人の意識ごとヴァーチャル空間に没入させることに成功。エーテルの電磁気転換技術を応用した精神没入型のサイ・ネットワークリンクスによって、現実と電脳空間は密接し、現実と空想の境界は限りなく接近し、心で思い浮かべた霊的イメージを、電気的な映像や人の感覚(クオリア)上に、生み出す事さえ可能となる。
しかしそれはまだ試験的な段階であり、アトランティスにあるエーテル研究所の一部の軍事研究者と軍政高官の間で共有されるだけであって、民間レベルの実用化にはまだ程遠く、多くの魔術師の被験者と必要とし、非倫理的な人体実験と「肉の触媒」が必要だと言われていた。
日本国は現在はムー軍に管理される「占領地域7」である。7というナンバーは日本列島が本州、四国、九州、佐渡(粟島)、北海道、沖縄諸島と七つの島で出来上がっている事から取っており、「七島(ナナシマ)」とも呼称される。また、旧日本国外の諸外国では、東京行政地区の11島のうち二つである小笠原と伊豆の頭文字と終文字である「小」「豆」の二つを合わせて「小豆(おず/あずき)」…「OZ(オズ)」もしくは「AZ(アズ)」とも略され、「OZ」の呼び名はアメリカの児童小説「オズの魔法使い」に因んでいる。
「ネフィリム」投下後の旧日本の荒廃地には、終戦後、列島の主要経済都市を復興させる過程で、ムー軍の改良したエーテル電磁気転換技術を応用した没入型CPUと、その広大なサイ・ネットワークリンクスによる高度なサイバー空間網が島中に展開され、物理空間上にサイ・ネットによる電脳空間が共存する事となる。
サイ・ネットとは情報集積回路と電磁波を用いた従来の電波通信や衛星通信と違い、魔術師の魔力と生命エネルギーを投影した脳細胞や中枢神経を培養したものを「バイオCPU」、末梢神経を「電子回路」として代替し、「バイオCPU」の発するエーテル波同士が共鳴しあうことによって、電波通信では干渉・妨害できない、テレパシー通信技術が開発される。そこで、四次元〜3.5次元の波数を用いたテレパシー領域の精神通信「サイ・ネットワーク_システム」を構築し、列島中にサイ・ネット網を張り巡らせる事で、夢や精神世界にも等しい、独自の仮想空間「サイ・フィールド」が各所に展開される。
テレパス・ヘッドセットを装着することによって、容易にサイ・ネットにアクセスする事が可能となり、訓練した魔術師は目を開けたまま、心で念じるだけで電脳が管理する仮想空間に意識を飛ばせるようになる。(瞼を閉じた方が視覚情報に引っ張られず成功しやすい)。
その「ナナシマ」の電子空間全体を管理する巨大な電脳サーバーは、“巨大な魔術師の脳髄(アポロ・コンプレックス)”として存在し、バイオ溶液の注入されたガラス管の中を浮かんでいる。その巨大な電脳サーバーを母体に、無数のガラス瓶の群れに人の脳髄が培養され、それらが互いに同調し合い、テレパシーのやり取りで得た「知識」と「経験」を、「データ(情報)」と「通信内容」として扱い、『思い出(記憶)』という形で、脳細胞に記録する事で、電磁波(機械)レベルでは、通信傍受されない「サイ・フィールド」を「ナナシマ」に形成する。
巨大な日本電脳サーバーは、旧日本の中枢機能が集中する東京都の「千代田区_皇居-霞ヶ関エリア」に設置され、ナナシマの防衛の要ともなって、ムー軍による厳戒態勢が敷かれるとともに、軍事要塞化している。(終戦直後はまだ、サイ・ネットワークシステムは完成しておらず、実用化のレベルには至ってない点に注意)
ナナシマには戦争犯罪者とその家族が収容される刑務所が数カ所に設置されおり、アトランティス陣営の捨て石である。そこでは、「世界の平和持続」を名目に、サイ・ネットとエーテル電磁気転換技術の軍事開発と研究が行われ、囚役や刑務と称して魔術師の囚人を利用した人体実験が行われる。
そして1979年現在、列島全体が刑務所であり、囚人たちを利用したサイ・ネットの実験場と化した旧日本。裁判で有罪となった犯罪者たちが刑務を全うするまで島に収監される事から、日本列島は「電脳監獄島(プリズン-AIランド)」と呼ばれ、犯罪を犯して島国入りする事を俗に「島流し」と呼ぶ。また日本の象徴的な霊山である「富士山」と「山岳地帯」の意味をとって「富士山(ふじやま)ハイランド」とも言われる。
島国にいるのは犯罪者家族と囚人、そして看守と刑務官、そして更生施設(学校)の教員と指導官である。刑務所や更生施設の学校に入所している囚人たちは刑務内容として、「日本の巨大な電脳空間の運営」に宛てがわれる。それは、エーテル電磁気転換技術と没入型CPUのサイ・ネットシステムを用いた、サイバー空間で展開する架空の戦争…『デジタル100年戦争』のサバイバルゲームに強制参加することであった。
ショーや演劇としてのサイバー戦争は、地球圏全国メディアでバラエティ番組として放映され、高い人気を博し、放送権を巡って放送局同士の奪い合いが続く程であった。一方、テレビ前にいる視聴者たちは、ナナシマの囚人キャラクター(役者)の内、誰が死んで生き残り、どの軍が勝利するか、彼らの命を質に入れ、チップを賭け合う。囚役演目、「デジタル100年戦争」で行われる架空の殺し合いゲーム「APOLLO_COMP0X」は、地球支配者の富豪や政治家に対する見世物と化していた。
(2)あらすじ
旧文明都市アトランティスの同盟国であった旧日本軍のエーテル軍事兵器開発者として一役買っていた「戦争犯罪人_草加部克己(くさかべ・かつき」の息子であった草加部陸(くさかべ・りく)は、監獄島日本で父親の刑期が終えるまで、テロや反乱を起こさぬように「重要観察対象」として、ムー軍に日夜監視されながら、監獄島で生活することになった。そして、そこには同じく敗戦国でアトランティス軍の重罪・戦争犯罪人、「アトランティス軍副総帥クロノ・L・クロイツ」の息子として父と共に「島流し」にあったコンラート・A・クロイツが隣の家に越してきた。
コンラートと陸は戦争犯罪人、それもクロノ・クロイツ副総帥と兵器開発者草加部博士という指揮官レベルの戦犯の家族として国民から忌み嫌われる存在であり、戦後政策の一環としてその身分と財産を占領統治機構に没収されていた。
彼らには最低限の生活保護と住居が与えられるが、何処にあっても、何度引っ越しても、国営の集合住宅地には「人殺し!」「死ね」「売国奴」「国賊」「大量殺人者」「戦犯」「国から出てけ」「家族を返せ!」という夥しい張り紙がなされ近所から孤立し、時に石を投げられるなどの嫌がらせでまともに暮らすこともできず、後ろ指を指されながら隠れ忍び生きるように、各地を転々としていたコンラートと陸。そういう後ろ暗い家柄に生まれ、戦争犯罪人の家族としての罪悪感や複雑な心境…、痛みや苦悩を共有できる事から、二人は自然とシンパシーと同族意識を感じるようになり、何かと一緒に行動して、生き別れた兄弟のような親しい関係になった。犯罪者の立場としてこれからの余生を過ごしに、二人一緒に遊ぶ事に対して共犯感覚のような後ろめたさや背徳意識のような妙な感覚に苛まれつつ、離れることもできず、むしろ誰に理解されることも無い、弁明の余地もない人殺しの業を背負い、恨まれ叩かれるしかできない孤独な環境が二人を惹き合わせる。
焦土と化したナナシマには主要都市以外はまだ瓦礫の山が広がり、いつ復興されるかもわからない。あたりには日本人や駐軍していた在日外国人の死体が、引き取る遺族もないままに、そこに野晒しになっている。ウジやハエの集って喰われる前に、まだ姿形の残るうちに。まるで地獄の中でも歩くように、幼い陸はただ無心に、死体を陳列して、コンラートと協力し、子供には大きめのスコップで墓穴を掘っては、そこに十字架と野花を添えて墓をせっせとつくり、祈り歩いていた。名前も刻まれないただの墓標。時折、近くに遺品があれば、その十字架に添える。例えば軍帽が側に落ちていれば、十字架の木の杭に被せてあげた。被せる帽子はアトランティス軍や友軍兵士の制帽とヘルメット、時には巻き込まれた連邦軍の捕虜兵の帽子であったり、あるいは幼い女の子が被ったであろう真っ赤な防災頭巾だったりした。瓦礫の山の中には焼け爛れた真っ黒な手だけがはみ出て、まるで助けを求めるように、天に手を伸ばしてたまま硬直する。
陸が生き残ったのは、「ネフィリム」が投下され、“天使”の光が燃え広がる直前に、あるいは東京大空襲にあう直前に父の側近がまだ幼い陸を身を挺して庇い、何人もの部下が覆い被さって放射線や空襲から身を守ってくれたからだ。その時の記憶は曖昧で、ただタンパク質の焦げる臭いと血の臭い、そして父の部下たちの肉の重みの感触だけが、いまだに鼻腔の奥と肌の上に残っている。コンラートと陸は人力車を引いて、ただ瓦礫や焼けた木材に沈む死体を、煤だらけの服を着て、赤みの擦り傷が浮かぶ掌を使って、大人から受け取る死体の重みに足を取られながら、丁重に扱い滑車に乗せて、指定の墓地に運び、埋めて、一日の終わりに霊園を祈りまわるだけ。そうでもしなければ、僕らの軍隊の失敗の為に。ここで無惨に虐殺され、無念と非業の死を遂げた人々に、国の為に命を捧げて尚恥辱を受けた戦友に、そして僕らの軍隊に殺害された人々に、何の顔向けもできない。生きている僕らと違い、彼らは人を生きる喜びどころか、家族、友人を亡くした悲しみを覚える事、仇を恨み妬む事すらできないのだから。
二人の父親、そして軍隊の犯した罪、戦争の顛末が目の前に広がる無限の地獄である。これは、そのまま人類の叡智の行き着く先であって、僕らの罪そのものでもあった。最早そこに人の感情などない。責任とは、贖罪とは、一体何であろう。焼け野原を前に二人は身を小さくして、寄り添い座り込んでいた。遠くで瓦礫の山を縫うようにして軍事用車のトラックが土埃を巻き上げて走り、そのすぐ近くに瓦礫を片付ける工事用車と機材が止まっている。しかし、地上に並べてみば、なんてちっぽけな姿なのだろう。
ここまで真っ直ぐ平に伸びてゆく、無限に広がる地平線を、人は未だかつて見たことがあるのだろうか。空の終わりに吸い込まれるように、土肌の地面が一直線に天地の境に沈んでいる。そこにはかつての街並みや森も山も無い。ただ無間の広がり、瓦礫や木の骨を出鱈目に目くり返しただけの、虚無の大地がある。風が吹けば駐屯地の連邦の旗が捲れて、塵しか飛ばぬ。終末が来て世界まるごと滅んでしまったようだ。
自分たちの軍隊が多くの人間を殺し、敗戦によって国は分割され、生きるもの死すものの尊厳を酷く傷つけた。こんな惨い死に様があるだろうか。そこに人の形や肉と骨すらも残ってもいない。遺族すら引き取り手もなく、手で払い避けても避けても、ただ羽虫と蛆虫がそこかしこ死体の上に湧いてくる。いくら火傷で済んだといって、被部を綺麗な包帯やカーゼを巻こうとも、焼けた皮膚と黄色い汁が綿の裏にくっつき、傷口の境に膿が出てくる。そこ包帯の下には皮膚などない、ただ剥き出しの凝血した人面の肉が、晒される。包帯を取る時さえも、その人は悲鳴すらあげられない。下手をすれば肉が布につられて一緒に剥がれかねない、そんな怖さでまるで包帯を清潔に保つことすら叶わぬ、赤と黄の汁に滲んで、貼るも剥がすも地獄を見るのだ。だから布を断つ鋏がいる、喩え物資がなく、錆びついた鋏であろうと、無いよりはましと。傷跡にカーゼの繊維が残っても、剥がせば薄皮ごと引き取ってしまう。しかし、綺麗に残った口元を包帯の下から覗かせて、骨と皮のような細い手足をしながら、僅かに顎を動かしながら「ころして」と震える細い声で懇願された時の、あの感情は、心臓と肺が同時に潰れて意識が一気に白み醒めていくような、あの、もう生きることも死ぬことも、わからないような、脳震盪でも起こしてそのまま、存在ごと消えて、衝動的に自分の腹に刃を立てて、勢いよく抜いて血を噴出し、自身もまた酷い死に方を、これ以上の酷い死に方を死なければ、きっとこの人は二度と浮かばれない。そんな思いで、いつの間に、僕は短刀を自分の腑に刺してしまったらしく、鋭い痛みが走って、気がつけばコンラートが、短刀を高々と掴み取りそのまま頬を殴りつけ、地面にドサリと倒れた上に跨って、胸ぐらを掴んでいた。
ここで、貴様が死んでどうなるのだ。
しかし、このまま生きてどうなるの。
僕の腹からは血が出ていない。手払いにあって掠め取られた。その代わり、その時右腕を刃先で切ったので、そこから一閃の赤い筋が浮かんでは、拍子に血の滴が垂れている。殴られた頬が歯茎と顎ごとじんじんと痛んで、内側に腫れぼったい熱を持った。煤だらけの陸は胡乱な眼差しでコンラートを見上げる。僕を見下ろすコンラートの土汚れのついた顔には、墨でも塗ったような黒い眼差しが乗っている。あの人はいつのまに事切れて、肉と骨のなってしまった。このまま後追いできればどれほど、どれほど気安らかなるや、僕は知れない。しかしそれは僕の警護と友のコンラートが許さない。彼もまた同じ苦渋を舐めて、僕一人逃げることなど許さないのだから。むしろ道連れを欲しているのはこの人なのでは無いかしら、と思うほど、この人は決して僕を手放し、あの世に行かせようとはしない。共に、この地獄に生きろと、隙さえあれば、僕さえも飲み込みかねない憎悪と怨念で、その綺麗な青の目を暗く、歪ませてまう。連邦軍に復讐を、報復を、ヤツらに我々と同じ目に合わせるぞ陸、父クロイツと国民の無念を、いつか我々二人の手で報いるのだ!我々の手で、国を、国民を、戦友を、友軍を、自由を、法と秩序を、人の尊厳と言うものを、我が手に取り戻すんだ、陸!
口にすれば兵隊さんから「ご指導」「修正」を頂くから、間違ってもこの人は、面と向かって僕に口にする事はない。口が裂けても、いや、口にすればむしろ、鞭で叩かれ裂けるのは我が身なのだ。しかし明らかに、目が訴えている。それこそテレパシーとでも言うのか、彼の心が僕をそのまま嬲り殺しにしかねぬ勢いで、ただずっと激しい怒り憎しみの渦を湛えて、全身でぶつけている。僕はと言えば、もうすっかり草臥れて、うつけの骨抜きになってしまった。もう、できる事ならば、僕に余生など要らないから、誰かこの可哀想な友の為に、苦しみもがいて、心のやり場すらなく、苛立ちと罪の意識の間に挟まれ、悲鳴すら上げられぬほど困窮するこの人を、抱きしめてくれれば良かったのに。そして誰か、神の如き力を持った誰かがやってきて、この不毛となってしまった荒地と、癒し難き人々の傷跡を、その御手で取り除いて下されば良いのに。僕らには戦災孤児などと言う、犠牲者気取りの綺麗事など許されぬ、僕らに残された人生には、煮湯でも直に飲み干すごとくの、贄釜に茹でられ、転げ回るごとくの、罪人としての一生しか残されていない。命ある限りは、永遠にこの十字架を背負い、靴の底が擦り切れて尚も歩き続ける。贖罪と赦しは必ずしも与えられるものではない。喩え、ボロ絹でも着て、卑しい身なりをして、善行と言って手持ちの食物を分け与え、人から石でも投げられつ、二人荒み野を歩き続けても、そのまま熱せらる鉄板の上を、裸足になっても歩き続けなさいと、永遠に苦しみ続けろと、神は仰るかも知れないのだから。自己犠牲などと、気のいい言葉で誤魔化すな、右手に楽と、左手に困難、二つに枝分かれする道を見つければ、敢えて左手に進みなさい、とすら仰るであろうから。それが蛇の道や、茨道であろうとも。人の傲慢さ故に僕らの手は汚れてしまったのだから、それ程に、根は深いのだ。
僕に覆い被さったまま眉を怒らせ睨みつけていたコンラートは、いつの間に見開いた目を水で滲ませて、ポタポタと粒を落としながら、涙を流していた。僕の目元に彼の涙が二、三滴落ちて、そのまま頬の横に溢れていく。僕の胸元に顔を埋めるようにして、コンラートは喉奥からしゃくり上がる嗚咽を奥歯で噛み殺しながら、静かに泣き出し、僕も気がつけば、透明な涙が頬を伝っている。コンラートが蹲るようにして、僕の身体を強く掻き抱え込み、頬を擦るしか無い僕に請い縋りながら、ただ僕らは力なく、無力に、この永延と続く廃墟の上を、ポツリ、声も出さずに泣いていた。
陸、私の陸。
友よ、同志よ、同じアトランティスの同胞よ。
我々は兄弟だ、血こそ繋がらないが、呪いの宿命を背負った、同じアトランティスの兄弟、二人きりだけの兄弟だ。
私は決してお前を裏切らない。
だから、お前も決して私を裏切るな。
これは血や命よりも重い、魂の契りだ。
うん、コンラート。
僕らはどんな時でも一緒にいよう。
喩え遠く離れても、運命が二人を分っても、僕らは宿命の赤い糸で、魂と心で繋がっている。
決して誰にも、あなたを汚させはしない。
必ずあなたをお守りします、この命に換えても。
このままどうか、音を立てる事なく、存在が続く事もなく、風に野晒しに、そのまま朽ちて死んでしまいたい。この人の涙を風と一緒に浚って、この人の抱える毒素を全て濯いで、彼を優しい光で包み込んだまま、魂ごと消え去ってしまいたい。でももし、僕までもが、この人を置いて行ったら、道ゆく誰かと同じように、この人もきっと壊れてしまう。深手に負った心の傷を、怒り憎しみに変える事で、ギリギリ人の形に踏みとどまっているところを、僕が死を選び一人だけ逃れようなんてすれば、きっとこの人も自我という自我が崩壊して、ただ細く息するだけの廃人に成り果てるのではないか。それ程にコンラートと言う人も、目の前にある戦禍故に、僕らの父親とその部隊が招いた血みどろ故に、人の諍い故に、耐え難き心傷を抱えて苦しんでいる。
本当なら、もうこれ以上、人の死を見たくはない。自軍の血も、敵兵の肉も、そこに違いなく、殺しというものを二度と見たくはない。まるで糸でも切れてしまったように、ぐったりとして腑抜けたようになった戦友兵も、目を吊り上げて興奮や憤怒を堪える墓前の高官も、親の死骸を求めて泣きしゃぐり当てもなく荒野を彷徨う子供も、手が擦り切れてまで瓦礫を捲り、子供を探し続ける嗄れた母親の小さい背中も。二度と、こんな戦果を。そんなことを脳裏に掠めても、互いに口にすることは許されないような、緊迫した意識があった。何せ、ここまで破壊と殺戮の限りを尽くした相手に、かける情などあるならば、怒りの闘志を燃やして、志半ばで散っていた戦友の弔いと、ここに身を埋めている者たちの無念と、残された遺族と、辱めを受けた国民達の為、一矢を報いなければならぬと、日本全土の空気が告げているのだ。いや、それはきっと日本に限ったことではない、アトランティスも、その同盟国も、或いは、吹き荒れる放射能の光に晒された地球のどこかの人々もまた、身を連邦の袖に通して、刃を交えたとしても、もしかすると、何処かに傷みを抱えて、怯えているかもしれない。いくら、日本が収監施設と化して、監獄島の外に追いやられ、安全な諸外国に連れて行かれたと言って、母国を亡くした者、人生を摘まれたもの、家族と故郷を戦争に奪われ、その解決の糸口も、帰路や出口すらも見つけられぬ人々をして、そんな綺麗事を口にするなんて、誰ができるのだろう。しかし、もう戦争はしたくない。こんな元あった人々の姿や町々の面影を失う程に、総動員をかけて、身と心をすり減らして、食うものも食わず、激励とばかりに兵を殴り、お上様に背く事、投降するは国の恥と、互いに牽制しあって、雄叫びを上げて弱気を奮い立て、我を忘れて、理性を捨てて、命を手榴弾と爆弾に変えてまで敵陣に特攻し、義務を全うせよなどと、そして火が投下され殲滅の限りを尽くされ、滅びる事も死ぬ事もできず、屍の体でひもじく生きるなどと、もう二度と起こしてはいけない。してはいけない、もうこれ以上苦しみも悲しみも痛みも要らない、それはきっと何処かで感じているはずと、それだけは何処かで通じ合っていて欲しいと、そんな淡い思いを僅かに胸の奥に閉まって、ただ今日も僕らは、被災者、殉死者を置いて、尚も生き残っている。天の迎えが来なくとも、民の慰めが無かろうと、せめて僕らは、地上に再びこの火が降り注ぐ事の無いよう、せめて、命のある内に、こんなこと僕らの代で終わらせる事ができるなら。後に生まれくる誰かにさえ、この傷跡を背負わせず済むなら、僕らはせめて、せめて、自分のできることをすべきなのだ。しかし、僕の身体は動かない。力が出ない。今は腕一つ上げることさえ、どうして、今はこんなの重いのだろう。立ち上がることさえ、頭や足首に、鉛や鎖でも巻き付いているように、引き摺るような感覚を持って、起き上がらないのだ。コンラートも気がつけば、すぐ横で、何を言うでもなく口を噤んで項垂れている。僕もこの人も疲れきっていた。
横たえる背の裏側に、石割れの砂利と土肌の跡が服の上にくっきり残ると思う程、下から背筋を押し上げる。つぶつぶ、ゴツゴツとした感触が手のひらと爪の間で粒で居座る、ズボン膝の土汚れはすっかり生地上に馴染んでしまった。鼠色の燻んだ曇り空、なんて、なんて遠く高く風の澄み渡る、何も無いだけの空なのだ。ここにはあの西洋モダンの東京駅も、銀座の建造物もなくなり、木々もぺんぺん草すら生えない、土塊の土地。風鳴りに合わせて木屑と砂が薄ら舞って、死体の山が腐臭を吐いて、水を欲って腹這いに伏しながら、冥府の迎えを待っている。雀も烏も小鳥も鳴かない。遥か遠く空を行くのは、十字傷のついたあの鈍り銀の鉄飛行機、そして地に聳えるは連合のバイオエーテル兵器、鉄鋼の天使ネフィリムだ。
魔術と科学の結晶、連合軍の先鋭技術を集め、ただ敵軍基地と兵站の破壊、敵兵の殲滅するだけの目的で作られた。人型決戦兵器。雲間から日が覗けば、曇天の下を銀の装甲が反射して、輪郭が鈍く輝く。あれを生んだ人は一体どんな気持ちで設計したのだろう。そこにどんな精神と哲学があっただろう。知識聡明な科学者の好奇心の向くままに作られ、純心と狂気故になせる業物なのだろうか、それとも我々アトランティスに対する異常なまでの執着とその憎しみ辛みが生んだ、悲しみの産物なのであろうか。地上戦の行われたあの日、柄の鍔の上を激しく雷光するエーテルの刃が、まるで細木の束でも薙ぎ払うようにして、簡単に削ぎ落としてしまった東京府の街並み。深い兜付きの顔が振り向くと同時に、両腕の30mm口径のガトリング砲が空薬莢を撒き散らしつつ、けたたましい速度で明滅する光と共に、瓦礫や塹壕を盾に隠れ前進していた前線部隊に向けて容赦なく弾薬を撃ち付け、土嚢の壁さえ崩してしまう。遠方から砲弾を点火して加勢していた戦車部隊は、天使の右手が巨大な銃砲を構えたと思えば、白光りする粒子の光線が走ると同時に、目眩みした一瞬で蒸発して、戦車兵と共に消し飛んでしまった。降り立つ鋼鉄の悪魔とさえ呼ばれた、暗がりに赤き炎の燃え上がり、大地に聳え立つあのネフィリムに、果たして、人の心はありはしただろうか。
ああ、ここは地獄だ。人類の裁きや、機械鳥を作り、鉄鎧を纏い、空の飛び方を覚えたが最期、爆弾を乗せて、醜く迎撃、砲弾ごっこなどして人の命を悪戯に弄ぶものだから、神の怒りでも受けたのだろうか。ここにはかつてあった華の都東京も、日本の面影もありはしない。始まりや創世とは程遠い。ただ敗北と戦後がひたすら続いていくだけの、終わらない虚ろ、何も無いだけの、死者の国だった。
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