![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/131972306/rectangle_large_type_2_d2c0c7c227edadcc6e4fc1d3ec780171.jpg?width=800)
渋谷警察署前交差点 rev.2
以前の記事で渋谷警察署前交差点を挙げたが、その箇所は246と六本木通りが交わる写真でいう①の箇所の解説だった。
今回は246と明治通りが交わる交差点の解説記事だ。
というのも渋谷警察署前交差点は写真でいう①だけでなく②の交差点も同じ名前なのだ。
以前の記事はこちら
この交差点rev.2もなかなかの東京の要所となる交差点だ。
説明がわかりにくくなるかもしれないがご容赦いただきたい。
それでは行ってみよう。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/131972820/picture_pc_82b44038d2b5614a62c7f606c27d3925.png?width=800)
まずは246上り方向で右折は恵比寿方向(しかし曲がれない)、左折は新宿方向、まっすぐで左寄りは青山方向で直進は六本木方向。
渋谷警察署前交差点の記事と言いつつ、
いきなりだが、少し場所は移り、渋谷駅西口交差点を見る。
というのもトップ写真の②交差点はその手前の渋谷駅西口交差点と連動して考えないといけないのだ。オレンジ線はあるし、歩道橋の柱や首都高の柱もあるので、
途中で車線を変えることはできない。
A:明治通り左折新宿方向
B:青山方向、六本木方向のどちらも行ける
C:Bと同じ
ただし、BとCは②交差点を過ぎた後の白線部分で車線変更を活用しなくてはいけない。
それとC車線に限って言えば、その先の渋谷クロスタワーというビルの手前に
反時計回りのUターン路がありそれを使えば恵比寿方向に進行できる。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/131973637/picture_pc_39af987ac675549728aac05634679591.png?width=800)
D:ほぼ六本木方向
六本木方向に進行の場合、渋谷クロスタワーの前の横断歩道交差点で赤信号にひっかりやすいが、明治通りを越える①交差点で青になって進行するときに
普通な安全スピードで進めばちょうど青に変わるので、ぶっ飛ばしてはいけない。
次は
明治通りを新宿方向から恵比寿方向に進行している
(明治通り外回り)場合を見てみる。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/131974818/picture_pc_91291d7f94283c1f64cb23967b8b1eae.png?width=800)
ここの注意点は右折が時間かかるの一点に尽きる。
右矢印が出るまで交差点内に入ることはできない。
街に待って右折矢印が出ても台数的には9台くらいで赤になってしまう。
でも交通量はそれ以上で夕方の帰宅ラッシュ時は3回くらい信号を待たないといけない。なかなかストレスがたまりやすいポイントだ。
次は明治通りの内回り(恵比寿から新宿方向)を見ていこう。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/131976053/picture_pc_94e2dc11e70ad466a364a01ed52e5576.png?width=800)
ここも混雑する。
特に直進と左折。左折は歩行者自転車と混在し、
その先のバス停(スクランブルスクエア付近)もある関係で路線バスが集中する。
2つ目の直進も同様に1つ目の車線の車が路駐などを避けるために車両が集まる。
直進は辛抱強くとろとろ進むべし。
最後の六本木から渋谷方向での交差点注意事項は過去の渋谷警察署交差点の記事を参照していただきたい。
おまけで現代と江戸時代の比較で記事は終わりにする。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/131977020/picture_pc_9f7965ae980c8c594d51f2863327a149.png?width=800)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/131977011/picture_pc_be9ec3baf81aab170637889818399924.png?width=800)
夢二通りは夢を追いかける芸人に縁があるわけではなく、画家で詩人の竹久夢二が38歳(大正10年)から42歳(大正14年)まで住んでいたところに因んで名付けられている。
お後がよろしいようで。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?