ジュディ・ハレスキ — — 環太平洋をつなぐ詩人

原 成吉

いまから100年ほど前のこと、英語圏の詩を一新する「イマジズム」という運動があった。その中心にいた詩人のエズラ・パウンドは、日本の俳句に触発され、断片化したイメージをコラージュした短い詩を書き始めた。彼の作品は、それまでの英語詩とは違う脚韻を踏まない「自由詩」だった。その数年後にパウンドは、唐時代(8世紀)の詩人、李白の作品を中心とした中国詩のアンソロジー『キャセイ』を出版した。こちらもイメージを中心とした話し言葉による自由詩である。日本の高校で習う漢詩とは、まったく別物といってよいだろう。T・S・エリオットは、「パウンドが私たちの時代の中国詩を発明してくれた」と賞賛した。エリオットはパウンドにアドバイスを仰ぎ、20世紀の最高傑作のひとつ『荒地』を書いた詩人だが、千年以上むかしの中国の詩を、パウンドが「発見」ではなく、「発明」したという指摘はすばらしい。発明したものとは、ちょうど偏と旁から構成される漢字のように、過去のイメージやエピソードを「いま、ここ」に重ねたり、並べたりしながら、すべての時代を同時代へ還元する詩作法だ。

俳句も漢詩も東洋の詩形で、どちらも定型で書かれている。しかしパウンドはそのフォーム(型)ではなく、その作詩法からそれまでの英詩にはなかった定型の韻律によらない自由詩を創造した。100年経ったいま、この詩作法はアメリカ詩の伝統となっている。先住民を例外とすれば、古代から続く文化伝統がないアメリカでは、必然的に異文化をコラージュする折衷主義に向かうのかも知れない。ハレスキの作品を読んでいてそんな想いが浮かんできた。
前置きはこれくらいにして、ジュディ・ハレスキ(Judy Halebsky、本人によれば苗字の発音は <晴れ好き>)を紹介しよう。彼女が生まれ育ったのは、カナダの南東部ノバスコシア州ハリファックス、小説やアニメでおなじみの『赤毛のアン』の舞台となったプリンス・エドワード島の近くだという。かつてはタラ漁で栄えた漁村だった。

町には仕事がなかったから家を出た
家の価格は給湯器よりも安い
漁村には道路はなく
家は波止場のまわりに群がり
波止場は漁師の家のまわりに群がっていた
私たちは船出した世代だった
残った人びとは、私たちのことを歌っている
そんな歌は数知れない (「杜甫が愛したふたつのもの」より)

そしてジュディは、アメリカ西海岸のサンフランシスコ・ベイ・エリアへ向かう。オークランドにあるミルズ・カレッジの大学院で英文学とクリエイティヴ・ライティングで修士号を、さらにカリフォルニア大学ディヴィス校大学院の博士課程(パフォーマンス研究)へ進み、日本の文部科学省からの奨学金を得て日本へ留学。法政大学の能楽研究所で能を学び、大野一雄舞踏研究所で舞踏のレッスンを受ける。

このスタジオで
私は恐怖心を捨てさった
私はたやすく傷つく存在だった
雪は溶け、花は咲く
床から起き上がると
3番目の松
大地、空、その間の空間
これは私が踊った場所
これは私があなたから離れる場所 (「大野スタジオ」より)

これは最終スタンザだが、最終行の「あなた」を「恐怖心」と取れば、詩の語り手は、踊ることで一種のカタルシスを感じているのかもしれない。

5年間の日本滞在を終え、カリフォルニアへ帰り博士号を取得し、現在はベイ・エリアにあるドミニカン大学の学部や大学院で文学や詩のワークショップを教えている。ハレスキは、ポエトリー・リーディングや地球環境をめぐる問題にも積極的にコミットしている詩人だ。現在はオークランドで夫と3歳になる娘と暮らしている。

彼女の詩には、杜甫や芭蕉が詩という言語の共同体で生きている。「杜甫が愛したふたつのもの」には、こんな詩句がある。

芭蕉は滝を見おろしながら
別の国で
数百年後に
李白のために花を摘む
次は「切れ字」の冒頭のスタンザ — —
切れ字とは
「古池」と
書いた芭蕉が
濡れた粘土に押した指紋

これらの作品が収められた詩集『樹木限界』には、「松のことは松に習え、竹のことは竹に習え」(『三冊子』より)という芭蕉の言葉がエピグラフとしてある。この詩作の教えは、「観念ではなく、事物そのもので」といウィリアム・カーロス・ウィリアムズの詩論と相通じるものがあるだろう。ハレスキの詩の魅力もそこにある。

最新詩集『春と千年(無削除版)』では、詩人は手紙というスタイルで遠い時空間にいる李白へ、アメリカや21世紀の情報を伝える。「無という空」では、李白と杜甫がタイムスリップ(テレポート?)してアメリカ(たぶんオークランド)にやってきて、詩のワークショップに参加することになる。当日の午前4時、もうバーも閉まり、スターバックスも開店前の時間なので、ふたりはスペードのエースがないトランプで遊んだり、杜甫は電子タバコを吸ったり、李白は詩の語り手(たぶんハレスキ)にアメリカの詩人に会わせてくれとせがむ、といった荒唐無稽の作品もある。

「オンライン・デートに想いを馳せる李白」では、逮捕を逃れて亡命中の李白が、「草の上に一緒に寝て/デッサン用の木炭で自分の太ももに線を描いてくれる相手」を探す。

「ブルーの川商人」は、李白の「長干行」とパウンドによる翻案詩「川商人の妻 — 手紙」に通底する愛のテーマはそのままに、詩の舞台を中国からカリフォルニアへ、かつての交通手段あった川を現在のフリーウェイに変え、ビジネスで不在の夫に宛てたラブレターになっている。妻の心模様を、「青梅」のイメージを中心に浮かび上がらせる構成が巧みだ。

ジュディ・ハレスキの作品には、環太平洋のダイナミックな文化変容の面白さがぎっしり詰まっている。まさにアメリカ詩の多様性を示す好例といえるだろう。


主な詩集
Sky=Empty. Western Michigan University, New Issues Press. 2010.
Space/Gap/Interval/Distance. Sixteen Rivers Press, 2012.
The Tree Line. Western Michigan University, New Issues Press, 2014.
Spring and a Thousand Years (Unabridged). The University of Arkansas Press, 2020.

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