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【短編】落花生の祈り


 「ちちをかえせ ははをかえせ

  としよりをかえせ こどもをかえせ

  わたしをかえせ わたしにつながる

  にんげんをかえせ

 にんげんの にんげんのよのあるかぎり

 くずれぬへいわを へいわをかえせ」
        峠三吉『原爆詩集』より


 母はふやかした落花生を潰している。開戦してしばらくは白米に落花生を混ぜていたのだが、配給が目減りして以来、これを潰した粉を入れた雑炊が我が家の主食になった。父がいなくなり、兄も招集され、食事は女二人分で足りるとはいっても、それだけの落花生を潰すにはかなりの時間がかかる。


 母が感情をあらわにしたことは殆どなかったように思われる。父や兄に赤紙が届いた時も、少しも取り乱すことは無かった。しかし日本の勝利のために、などという強い愛国精神を持ち合わせているようでもない。何が起こっても、母はただ黙々とふやかした落花生を潰していた。 


 あれは今年の2月のことだった。勤労奉仕を終え、くつろいでいた昼下がり、役所の職員が封書を届けにきた。役所からの封書といえば戦死公報か赤紙だったから、私は息をのんだ。


 一銭五厘で家を出た父は、ペラ紙一枚で帰ってきた。私は喉奥から溢れそうになる涙を鎮めながら、母にこのことを告げた。母はただ一言「そう…」と言った。そしていつものように落花生を潰し始めた。


 いくらなんでも薄情すぎやしないかとも思ったが、父を失った喪失感が私の憤慨を抑えつけた。それからどうして過ごしたのかも覚えていない。壁掛け時計の8時の鐘が、居間の私を正気に振り戻した。とっくに夕飯の時刻だった。母が見当たらなかった。万が一を考え、探しに出ようとした時、台所から音が聞こえた。見ると、母が台所に立っていた。安心感と虚脱感で思わず声をかけそうになった。


 母はふやかした落花生を潰していた。それはもはや砂のようになっていたが、それでも潰すことをやめなかった。灯火管制下で、寒さでピンと張った空気の中、差し込む月光が母の頬をぼんやりと照らしていた。頬にかかる涙の一筋が、やけにはっきりと見えた。


 私はそのまま居間に戻った。私はここではじめて、母は従前の生活を続けることでどうにか正気を保とうとしていたのだと気づいた。私は少しでも母を疑ったことを恥じた。むしろその崇高な精神に敬服した。しばらくしていつもの静かな母が台所から出てきた。手には、落花生の雑炊が入った鍋が握られていた。



 あれから半年が経ち、夏の盛りとなったが、我が家はいつもと変わらない生活を続けている。神戸や大阪は空襲で壊滅したらしいが、ここには今のところ大規模な空襲がないので、我が家もどうにか衣食住の揃った生活ができる。


 この広島で、今はただ兄が無事で帰ることを願う。
警戒警報発令のためここで筆をおく。
            S20年8月5日夜記す








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