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#71 うれしかった贈り物/くろさわかな

【往復書簡 #71 のやりとり】
月曜日:及川恵子〈待ち焦がれています〉
水曜日:泖〈お手紙もらいてぇ〉
金曜日:くろさわかな〈温められたもの〉

お手紙、わたしも書くのが好きです。

中学卒業の時、ラブレターも出しました。相手は同級生や先輩ではなく、国語の先生。おそらく当時40歳前後だったんじゃないかなと思います。見た目はちょっと渋い雰囲気の普通のおじさんで、国語という科目を担当している割に口が悪い。生徒たちに対して「おめえら」とか言っちゃう。だけど授業は面白いし、笑ったときにできる目尻や口元のしわがとてもよかったんですよね。普段はへらへらと冗談も言うのに、なにかあったときは真剣に叱るというギャップも、年上好きな乙女にはたまりませんでした。

とは言っても、相手は父親と同じくらいの年齢の既婚者です。変に迷惑をかけるのは本望ではありません。そもそもが、恋人になりたいというよりは「推し」に近い感情でしたので、ラブレターの中身も「最後の1年間、先生が担当で毎日楽しかったです」「先生の授業はとても面白くて、大好きでした」といった感じの、ほんのり“匂わせ”系でした。

国語の先生ですから、もしかしたら汲み取ってくれているかもしれませんし、なんだこの支離滅裂な文章はって笑っていたかもしれません。返事も、その後会うこともなかったので、ラブレターについてどう思ってくれたかは謎のまま今に至ります。


手紙ってそこがいいんだよなあって思っています。既読もつかないし、返事はある方が珍しい。そういう曖昧なところが余白となって、それがときに優しさにもなったりして。

だからこそ、書き手は「伝えたい」っていうただそれだけの目的に集中できるというか。

伝えたくても伝えられないまま、ずっと抱えていたことを相手に渡すときって、自分には手紙という手段が一番合っているように思います。


でも、逆に相手からその思いを受け取るとき(あ、今受け取ったと感じられるとき)は、短い言葉だけでも嬉しくなって、ときどきふと反芻してしまいます。

「学生の頃、プレゼントにヘアスプレーくれたよね。あれのおかげで、ちょっとおしゃれが楽しくなったんだよね」

これは学生時代の友人が、卒業後10年近く経ってから言ってくれた言葉です。当時は特別気に入ったという話も聞いていなかったので、まさか改めてお礼を言われるとはと、なんだかうるうるきてしまいました。


そんなふうに、わたしに対して「伝えたい」と思って温めてくれていた言葉は、本当にうれしい贈り物です。

だからおふたりに会ったときに度々言われる「そういえばくろさわさんに伝えたいことがあって~!」という枕詞に、いつも贈り物をもらった気持ちになっているんですよ。


PS. 年賀状、楽しみにしています!  及川さんの本のお話も聞きたいし、2022年も年始めのお参りに行きましょうね!

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