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#3 嫌いだったのに/くろさわかな

「嫌いの根っこにあるもの」

こんにちは、くろさわです。
今日はお墓参りに行ってきました。
信心深いタイプではないですが、いつの頃からかお墓やお仏壇の前で手を合わせるとき、近況を報告するようになりました。
子供の頃はお墓参りなんて面倒だし楽しくないし嫌いだったのに、今はお盆やお彼岸に行かないのはなんだか気持ちが悪くて……。自分の気持ちの整理をするためにも、よい時間だなと感じています。

歳を取るってこういうことかしら、なんて。
嫌いだったものが、なんだかどんどん嫌いじゃなくなっているような気がするのです。

実は最近、壇蜜さんのpodcastを聞くようになりました。

彼女の話し方や、凛としているのにふんわりしている空気感がとても素敵だなあ……と思います。
podcastの内容は、ときどき同意しかねる意見もあったりしますが、誰にでも賛成されるようなふわっとした意見じゃないところ、わたしにとってはさらに好感度アップポイントなんです。
更新が週イチで物足りないので、最近はブログもチェックしようか……しかしあんまり追いすぎるのもな……なんて思っていたりします。

でもね、前までは壇蜜さんのこと、嫌いでした。

どうして嫌いだったのか、今回のテーマが決まってからじっくり理由を考えてみました。
そして思い当たったのが、父親がセクシー系芸能人に対して悪態をつくことがあったので、その影響を受けたのではないか、ということ。

バラエティ番組などでは、胸を強調するようなポーズを取ったり、猫なで声でセクシーなセリフを言わせる、なんてシーンがありますよね。そういったときに父は、くだらない、と不機嫌な感じになることがあって。
照れ隠しだったのか本心だったのかはわかりませんが、それを見たわたしは少しずつ「女性性を強調する人は嫌うべき対象」という頭になっていたのかもしれません。

しょうもないなと思うでしょ?
わたしもそう思います。

ともあれ、「なんとなく」「生理的に」嫌いということって、きっと根っこを掘ってみると、ほとんど空洞なんじゃないのってくらい、こんなしょうもないことが原因なんじゃないかという気がします。

それを放置することも自由だけど、思い切って一回整理してみるとか、いっそ知らないふりしてもう一度トライしてみると、嫌いなことって意外に好きなことに転じたり、どうでもよくなったり。そんなことから日々の暮らしって楽になっていくのかもなあ、なんて。
(理由があって嫌いなものはやる気エネルギーの源になるので、それはそれでうまく付き合っていけるといいな。)

掘るのは骨が折れるけど……
今度はどんな「嫌い」を掘ってみようかな。

くろさわ


追伸

わたしは「ぼる塾」が好きです。棒読みのはるちゃん、ズバズバ物言うあんりちゃん、すべてを包み込む田辺さん……。実は1人育休を取ってて本当は4人っていうのがまたサイコーです。


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