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#55 私の好きな芸術/くろさわかな

【往復書簡 #54 のやりとり】
月曜日:及川恵子〈ああ、巨匠さま〉
水曜日:泖〈それすなわち〉
金曜日:くろさわかな〈ありのままの自然という不自然な芸術〉

ありのままの自然という不自然な芸術

0から1をつくりだす芸術も大好きですが、わたしは1を1のまま表現する芸術も好きです。

それに気がついたのは、沖縄で「果報バンタ」の絶景を見たときでした。

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白くて青くて緑で。どれもが濁り無く目の前に広がっていて。加工アプリを使わないでこんなきれいに撮れるなんて、わたしの人生では後にも先にもここだけじゃないでしょうか。

眺めていると、視覚情報から入ってきた澄んだ色が自分の血液まできれいにしていくようななんとも不思議な気分になって、「パワースポット」という言葉に生まれて初めて納得できました。また行きたいなあ…。

とはいえ、この景色そのものが芸術だ!と感じたわけではありません。
この景色を守るため、ビーチまでの道を作らずに立ち入りが難しいままにしているという話を聞き、わたしはそこに芸術性を感じたのです。

ありのままの自然を楽しむためには、人による影響がでないように、人が制御しなければいけない。当たり前のようにも聞こえますが、「不自然」なことをする必要があるんですよね。人が立ち入ってしまった時点でもうそこは100%ピュアな自然ではなくて、それでもそこを100%に近づけようと努力する。1年たっても2年たっても、その景色が「自然」であるように努めるって、芸術表現じゃないですか、と。

現状を維持していくだけ、1を1のままでというのは、簡単そうでいてものすごく難しいこと。作り出すほうが楽しいし、注目してもらえるし、達成感もあるし、一発大儲けができる可能性だって高い。1を2にしたい、3にしたいという欲だって出てくる。それをせず、1のまま保ち続ける。マイナスに傾きだしたらプラスの方に、プラスになりすぎたらマイナスの方に舵を切るバランス。飽き性で大雑把なわたしは、だからこそ余計「1を1のまま」に惹かれるのかもしれません。


くろさわかな

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