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一粒万倍日はみんな運勢が良くなるんだから、宝くじに当たる確率は変わらないのではないか。


はじめに

一粒万倍日は物事のきっかけになって良い ところが……

このブログを執筆している令和6年8月23日は一粒万倍日であり、大明日であり、かつ母倉日にあたる。それぞれ、干支から定められた特定の日取りで、財産を増やしたり、物事を始めたりおこなったりするに良い日だ。

私自身、こうした古来からの考え方があったこと、そして今もこれを信じたりこれにならって行動を決めたりすることは、なんらもおかしいことではないと思う。

こーいうのは人の考え方次第で、こうした吉凶日に基づき行動するのは、他人に迷惑をかける極端な場合を除けば殊更悪いことではない。むしろ、こういうのに知識がありしっかり理解して守って行動できることには、伝統的な感覚を持っているという印象すらある。

ところが一つだけ納得できないことがある。納得というか、頭の中でどう処理していいか分からんことがある。

それは宝くじを買うのに一粒万倍日を気にするということだ。


一粒万倍日と宝くじの相性の悪さ

宝くじサイトでも、世のニュースでも、吉日が重なる日に報道が出ることがある。

宝くじサイトには、一粒万倍日や天赦日、寅の日など、金銭的なものに関わる吉日が記される開運カレンダーが設置されていることも多い。

ところが、冷静に考えてみて欲しいのだが、一粒万倍日に運気がアップするのは私だけではない。あなたもアップするし、他のみんながアップする。ともすればアフリカにいる人とかも運気がアップする。

これ自体はことほぐべきことだが、少なくとも宝くじというルールにおいては、開運の度合いが変わらなくなってしまうのではないか。

つまり、参加者全員が運気がアップして当たりやすくなっているんだから、全体として誰かが当たる確率は変わらないのだ。

そしてむしろ、普段買わない人が宝くじ売り場に殺到することが想定されるから、宝くじに当たる確率はむしろ低下する、すなわち運気が低下するという考え方すら可能になるかもしれない。

宝くじという当たりくじが一定枚数しかないものに対して、古来からの一粒万倍日は極めて相性が悪い。

我々宝くじを買う人間にとって本当に一粒万倍日が一粒万倍日になるためには、1等の当選くじの枚数を1万倍する必要があるだろう。

ぶっちゃけ、一粒万倍日になって開運しているのは、宝くじ会社の側なのかもしれない。

彼らは決して、吉凶日のうちの凶日をカレンダーに載せない。


おわりに

繰り返すが、私は一粒万倍日とか、他の忘れ去られつつあるものを含め、吉凶日の考え方は好ましいと思う。なにか、きっかけやしばりがある方が、人間行動を起こしやすいと思うからだ。

対人関係など、「しんどい」ことをしなきゃならない時とかも、占いなどできっかけがあると心理的にことを起こしやすくなるってのはとってもよくわかる。

ところが、宝くじに関しては、吉凶日をよく見かけるわりにそれが意味をなさないのではないかということを指摘した。理由は単純で、みんな同時にラッキーになるからだ。

宝くじのような結果が定数的で参加者が一つの目的に殺到するジャンルには、少なくとももう少し個人に即した四柱推命などから吉凶を紐解くべきと考えるが、宝くじ会社の経済的利得の目的の前ではそうしたことは行われにくかろう。

吉凶日は自分の行動のきっかけにこそ使うべきだろう。今日の一粒万倍日は、妻とゆっくり話してちょっと将来のこと考えて調べてみたり始めてみたりとか、私だったらそんなふうに使いたい。

あとはこのブログもせっかくこの日に書いたのだから、たくさんの人に読まれるようになってフォロワー数が1万倍になって欲しいと思う。そういう思いを込めて書くのに、一粒万倍日はとってもいい日だ。

そしてこれは、読んでいるあなたのnoteのフォロワー数が1万倍になることを妨げない。これが宝くじで一粒万倍日を気にするケースとの違いだろう。

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