見出し画像

アルプス山脈を越える37頭のゾウ

4000メートル級の山々が
連なるアルプス。
そのアルプスを越えるとしたら
ベテランの登山家のパーティ。
しかも相当な知識と
場数がなければ
出来そうにないと
思うのですが、、

それを歩兵3.8万人、
騎兵8,000人、
戦ゾウ37頭を引きつれて
成し遂げた人がいます。

ローマと戦った
カルタゴの名将。
ハンニバル。

2200年以上も前のこと。
4000メートル級の高山が
連なるアルプス山脈はすでに冬。

冷たい雨や冬の降る日は
厳寒期なみに気温が下がり、

アフリカ北部で
生まれ育ったカルタゴ人
にとってはもちろん、

赤道付近に生息する
アフリカ象には、
なおさら厳しい環境。

15日間をかけ
生きて越えたのは

歩兵2万人、
騎兵6000人、戦ゾウ20頭
(替えの軍馬と荷車の
損害は不明)
だったそうです。

この地獄を経験した
兵士は、まさに一騎当千。

この後ハンニバルは
何倍もの兵力を持つローマに
連戦連勝していきます。

第2次ポエニ戦争の幕開けです。

この強力なハンニバルを
ローマはどうやって
撃退したのでしょうか?

・・・

ここで話が学校の世界史の
授業に移ります。

教科書では
こんな記載になります。

前3世紀前半にイタリア半島を
統一したローマは、
フェニキア人植民市の
カルタゴとの3次にわたる
ポエニ戦争に勝利、
西地中海の海上覇権を確立した。

ここには事実の羅列があるだけで
そこに生きた人が
どのような思いや価値観を
持っていたのかは、
全く記されていません。

・・・

さて話を
ハンニバルに戻します。

そもそもハンニバルは
何故そこまでして
ローマと戦ったので
しょうか?

それは父との誓いでした。
第1次ポエニ戦争で
ローマに敗れた
父ハミルカル。

その父に神殿に連れられ
ハンニバルは9歳の頃、
ローマ打倒を
誓っています。

父の無念を胸に
アルプスを超えた
ハンニバル。

ローマは最初の
何戦かで主力を含め
殲滅されます。

そこで悟りました。
戦えば必ず負けると。
だから正面から
戦うのをやめ
隙を見て戦うゲリラ作戦
(持久戦)に変えました。

ハンニバルが
個々の戦闘で勝っても
ローマの各都市は
ハンニバル側に
つきませんでした。

それはローマについた方が
メリットが大きかったからです。

ローマは征服した地域の
自治を認め、市民権も
与えました。また
道路を建設して交易が
盛んになるようにしています。

そうして都市からの
補給のないハンニバルは
徐々に弱っていきます。

・・・

個人的な考えになりますが、
このポエニ戦争は、
ハンニバル個人の
想い(復讐)と
公共の利益との
戦いだったと思います。

もしこれがローマに
住む人のための
戦争だったら結果は
違ったかもしれません。

もちろん他の理由もあると
思います。正解は解釈次第。

ところが学校の授業だと
何年に誰が何の戦争したのか?
という知識を問う学問に
なっています。

これでは、どの時代の
何を扱ってもつくのは
知識になります。

またこうした暗記による
一番の弊害は
「答えは自分の外にある」と
無意識に刻まれる。
ことなんじゃないかと思います。

今は情報は検索したら
何でも出る時代。

集めた知識をどのように
解釈し、どう利用するのか?

歴史の出来事から
自分の解釈を加え
先人の知恵を学ぶ。

それはいつの時代でも普遍的に
問われる能力なんじゃないかと
思うこの頃です。

参考
「ハンニバル戦記─
ローマ人の物語II」塩野七海

まだサポートを受けるところまで気が回っていないのですが...作っているカルタの印刷費にまずは回して形にしようと思います。作っているものを自費で作って営業がかけられるようにしようと思います