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おじいちゃんが亡くなった日

ふと思い出すことがあります。
中学3年生の冬、私の誕生日の次の日におじいちゃんが亡くなりました。
身近な人の死に触れたのはこれが初めてで、大きく死生観に影響を与えた出来事でした。

優しいおじいちゃんとユーモアのある冗談好きなおばあちゃんには、子供のころからとてもかわいがってもらいました。
母の実家でもあるおじいちゃんおばあちゃんの家は、私たちの自宅からは少し離れていて車で1時間ほどかかります。

おじいちゃんは若い頃 バスの運転手をしていて、私の母のことをバスに乗せてドライブに行ったこともあったそうです。
家では大の甘党で、なんでも砂糖を入れて、お味噌汁にも砂糖を入れて食べていたおじいちゃん。

そんな生活をしていたこともあってか、体調を崩すことが多くなり、私が中学校に入ってからはコミュニケーションも上手く取れないこともありました。
しばらくは自宅でおばあちゃんと2人で暮らしていたものの、具合が悪化し入院することとなりました。

入院してからも体調はすぐれず、さらに認知症も進み うまく会話をすることもできない状態になってしまいました。
そして、ついに私のことも誰なのか分からなくなりました。
一方で 娘である私の母のことはしっかりと認識しているようで、一緒にいた時間の長さと絆の強さを感じさせられました。

私たち家族は、定期的にお見舞いに行ってはおじいちゃんと会話をしていました。
おじいちゃんに寄り添う母親は、見たことがないほど感情があふれていながら、それでいて冷静さも感じられるとても不思議な表情をしていたのを覚えています。

そして、ある日。
夕食後、母が「これからお見舞い行ってくる」といって遅い時間にもかかわらず急におじいちゃんのいる病院へ出かけたことがありました。
携帯電話も持たずに、車で片道1時間かかる病院へ父と2人で向かいました。

夜の10時を過ぎたころ、自宅に忘れていった母の携帯電話が鳴り出しました。
名前を見ると、母の弟である叔父さんからの着信でした。

出て行った母の代わりに仕方なく携帯電話を取り「すみません、母が家に忘れていたようで」と笑って言い訳をしながら出ると、叔父さんから「おじいちゃんが亡くなりました」と伝えられました。

身近な人の死は初めてで、どう返したらいいのか どんな表情をすれば良いのか分からず頭が真っ白な状態になりました。
実際に死を目の当たりにしたことで、初めて 死 を現実的なものとして捉えることとなった出来事でした。
しばらくして母が帰ってきたので、電話のことを伝えると驚きながら、慌ててもう一度病院に向かいました。



虫の知らせという言葉がありますが、その日の母も何かを感じ取って引き寄せられるように会いに行ったのだと思います。
おじいちゃんも、最期に顔を見ることができて安心したのかな、と思うような出来事でした。

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