ささやかな日常のすれ違いの中からも、 人はお互いのつながりを確認し合うものだ

この文章は2014年の7月7日にFacebookに投稿したものです。ハルも今では大学生です。

昨日の日曜の夜は、
かなりの大雨が降っていた。

うちの子供のハルは、
毎週土曜日から日曜日にかけて、
僕の実家に滞在するのだが、
僕は自分の時間が許す限り、
日曜日にはハルを迎えに行くようにしている。

昨日は開園する保育園がらみの買い物もあり、
今の僕の奥さんのチャッピーが、
夏のボーナスが出たら、
リス(本物)を買うと言っているので、
一緒にリスを売っている店を探していたこともあって、
暗くなってからしか迎えに行けなかった。

僕の実家のマンションは、
隣りに徳洲会病院があり、
僕が実家を訪ねる時には、徳洲会の有料駐車場に、
車を停めてマンションを訪ねる。

しかし、昨日のその時間は大雨で、
出がけは小雨だったので傘を持っていなかったため、
駐車場からマンションまで歩いても、
その間にビショ濡れになりそうだったから、
僕はハルに電話して、
「マンションの下の駐車場側の出口まで、
傘を一本持ってきてくれ、」というつもりで、
「下の駐車場側の出口に傘を一本持ってきて」
と言った。僕は、
「マンションの下で傘を受け取り、
そこで奥さんには降りてもらって、
僕だけが徳洲会の駐車場まで車を停めに行って、
そこから一人で傘をさして帰る」
というのが、一番効率がいいと思ったのだが、
運転中でもあるし、そのことを、
事細かに説明するのもわずらわしいので、
用件を省略して言ったのだ。

ところがマンションに着き、
駐車場側の出口で待っていても、
いつまで経ってもハルが出てこない。

それで、奥さんに先に9階の実家まで上がらせて、
僕だけがハルを待っていたのだが、やはり出てこない。

確認のために実家に電話したら、
ハルは僕からの電話のすぐあとに、
下に降りていったという。

まさかとは思ったが、
ハルの携帯に電話したら、
ハルは徳洲会の駐車場で僕を待っていた。

帰り道、僕が、
「なんで徳洲会の駐車場まで行ったんだ?」と聞くと、
「だっていつも、一緒に徳洲会の駐車場で車から降りて、
マンションまで歩いて行っているから」と言う、
「でも今日は、徳洲会の駐車場まで来いとは言ってないだろ、
下の駐車場側の出口に来てくれと言っただろ?」と言うと、
「下の駐車場と聞いた時点で、
徳洲会の駐車場のことだと思って、
話をよく聞いていなかった」と言う、
「それじゃなんで、
傘を一本持って来いと言ったんだと思ったの?」と聞くと、
「二本持って来させるのは、
僕が大変だと気遣ってくれたのだと思った」と言う、
「傘を二本持って来るのさえ大変だろうと思う人が、
こんな大雨の中、
離れた駐車場まで来いと言うと思うか?」と聞くと、
「僕にとっては別に大変な事じゃなかったから」と言う。

まあ中学生の考えることなので、
論理に破綻があるのはしかたないのだが、
僕が、相手が自分の子供だからといって、
大雨の中、離れた場所まで、
傘を持って迎えに来いなんて、
そんなに無茶なことを言う人間だと思われるのは心外だ。

しかしハルはハルで、大雨だろうと、
駐車場まで僕を迎えに来ることなんて、
なんてことはないことなのだ。

それでお互いに大雨の中、
別の場所で、10分くらい、
相手を待って過ごしていたのだが、
こういう時間を過ごすことは、
それはそれで意味のあることだと思う。

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