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父方の実家のお墓参り 続報

私の鹿児島の父方の実家について、
最近初めてお墓参りに行ったという話を書きましたが、
今回はその話の続報です。

前回はイニシャルを外して実名で投稿しましたが、
今回はもう一度イニシャルトークに戻します。

軽く前回のおさらいをすると、
私の身体の具合が悪くなり、
どうも鹿児島方のご先祖様がらみのようだったので、
親戚のN子さんという方に場所を聞いて、
初めて父方の実家のお墓参りに行きました。

そのお墓には先祖代々のお骨が納骨されているという話だったのですが、
お寺の人に聞くと「ここには紀川家の方はI子さんという方しか、
祀られていませんよ」と言われ「おかしいな」と思いながらも、
I子さんだけにお線香をあげて帰ってきました。

後にN子さんから、「それはお寺の方の勘違いで、
紀川家のご先祖様はみなさん納骨されていますよ」
と言われたのですが、この一件で、
私に言いたいことがあったのはI子さんだったのだなとわかり、
N子さんと、亡くなったI子さんのお子さんで、
私と同い年のMくんという従兄弟に手紙を書きました。

手紙の内容は「別に納骨されていたI子さんと、同じように、
福岡のキリスト教の共同墓地に別に納骨されている、
私の祖父母である鉄男さんときえさんも、
同じお墓に合祀しませんか?」という提案でした。

この提案についての私の父の意見は、
「鹿児島というのは世間体や面子を重視する土地柄だから、
家出して自殺したI子のことを別に納骨しているのだろう」
というものでした。
N子さんからは、特にお返事はありませんでした。
そして先日、従兄弟のMくんからお返事が来たのです。

Mくんからのお返事で詳しいいきさつを初めて知ったのですが、
I子さんがお亡くなりになったのは
Mくんが小学校1年生の時のことだったそうです。
私とMくんは同い年ですから、その時私も小1だったはずですが、
私にはそのことは伝えられておらず、
私は小学校3年生くらいの時に、
父の実家の鹿児島に初めて行って、
そこでMくんと、兄のAくん、
妹のHちゃんに初めて会ったのです。

その時には新しいお母さんが居て、
更に下に小さな弟さんがいたような記憶があります。

おそらく従兄弟たちと会ったのはその時きりです。

それから20年くらい経って、
父の弟の三男のSさんの家業が倒産し、
債権者から逃げるために、
祖父母の鉄男さんときえさんは、福岡の、
長男であるうちの父の家に避難したきたのです。

その年のうちに失意の中、鉄男さんはお亡くなりになり、
2年後にきえさんもお亡くなりになりました。
だからそのお2人は、キリスト教徒だったうちの母の仲介で、
福岡のキリスト教の共同墓地に納骨されることになったのです。

このようないきさつから、
紀川家の一族のお骨は、
先祖代々のお骨がお寺の納骨堂に、
同じ納骨堂の別の場所にI子さんのお骨が、
そして福岡のキリスト教の共同墓地に、
鉄男さんときえさんのお骨がと、
3ヶ所にバラバラになっているのです。

更に三男のSさんももうお亡くなりになっており、
そのお骨はどこに納骨されているか、
Mくんは知らないというお答えでした。

そしてMくんと兄のAくんは、
実家の家業が破産してからしばらくは、
債権者から逃れるために逃亡生活を送っておられたようです。

これは私の想像ですが、幼い頃に母が亡くなり、
その後実家も破産して、もう、AくんもMくんも、
「神も仏もあるものか!!」というような
心境になったのではないでしょうか?

一番下のHちゃんは、ちょうど実家が倒産した頃に、
故郷の町で嫁いで、一人その町に残り、
お母さんの納骨堂の維持とかをしていたようです。

それでうちの妻のユリスが
I子さんを呼び出してチャネリングしてみました。

I子さんは「今回は紀川家の人たちを
振り回したくてこのようなことをしました、ごめんなさい。
でもおかげで私は霊界に上がれました。ありがとうございました」
とおっしゃったそうです。

そして幼くして残してきた、
AくんとMくんとHちゃんのことを
とても心配しているようです。

そのことをMくんに手紙で伝えました。
この後の展開はまたお知らせいたします。


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